天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧へ
藤田友治氏作成『東日流外三郡誌』「人の上に人を造らず、」一覧へ
『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
12,藤崎城譜 藤井伊予 元禄十(一六九七)年 二巻 226〜29
年を経し、糸の乱れの苦しさに 衣の館は、ほころびにけり
史書に一首の古歌あり。是、貞任、義家の上下の句を分けて詠たる歌と曰ふも、これ史家の作説なり。
戦に武道の情を讃美せるは、憎からねど作説は偽なり。安倍一族の史書とて、異説同文甚々しく遺りきは、古来より夷人として安倍氏を認頭に置きて処無の彼方に放棄せる故なり。
蝦夷とは何ぞや、魂をもたざる鬼畜の類と思いきや、奥州に住むる故以てのあざけりか、蝦夷の血は赤白に異なすか、世の開闢に全能なる神が、いかでか異にして蝦夷を造りしや。天日は万物に光陽至らぬことありしや。神は、人の上に人を、人の下に人を造り給ふなし。
安倍道奥抄に曰く、
金器、銀器に雪を盛りて、飢を満さん輩ぞ、都人なり。浜の貝に糧を盛るとも、まことの[食量]は真に飢を満すなり。安倍一族の生生ぞ後説に基くなり。
奥州東日流平河之庄藤崎城は六郡の内、三郡治領の館なり。城築の創はフンチヤシと曰ふ、荒吐族の代なる称名なり。次には、淵崎柵、三流柵、境城、落合柵、白鳥館、水月城、奥法城と異名異にせり。
東日流内三郡の流水みなこの城邸濠に落合て、その流淵を要害として、築城せしはこの城なり。
安倍高星丸、此の柵に住みて、衣の館に似たる城棟を築き、奥州に四散せる旧臣を集いたり。
城柵二千間、城濠二千八百間、城邸八町余、治領砦三十八柵に及ぶ。
藤崎城安倍武鑑に曰く明細、及び藤崎城神荒吐宮連判芳名に曰く。
<芳名は略>
右芳姓、藤崎城御役之臣也。
城神氏帳控 元禄十年 藤井伊予
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