天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧へ
藤田友治氏作成『東日流外三郡誌』「人の上に人を造らず、」一覧へ
『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
19,荒羽吐神起原大要 秋田孝季 寛政五(一七九三)年十月 五巻57〜58
世に民族が猿候の古骸を脱し、魂を心に得て蘇生し、諸智の恵を以て子孫を遺したるは万物の生命を多く絶するが故に天命は人を病に、戦に、飢に、災を以てその過産を制すと古代人は想定せり。
而るに、人の智恵は日毎に天命なる神捉に反き、益々智覚をめぐらし、自然なるを掌握して万物の生命をより一層に被滅せんとす。山に木の繁れるを伐し、海に魚貝の生息を犯して絶やしむるなり。また地上に生息せる鳥獣の狩猟に依りて滅亡せしもの多く、衣食住の他、その欲にてあたら殺生す。
生命あるもの総ては天命にありけるに、あたら万物の生命を断つは、神掟の障罰至る刻、地上なる民族の絶滅に到るときなり。
人の智恵は地より鉄を造り、海より塩を造り、人たる身をして空に飛ばん、水に走り、海底を潜行せん具をも造らんとせる智望やまざるなれば、人をして人を征する世に到らば、自から造りし具物に民族の絶滅あらむとして、是を天命なる神の念怒に障りなからしむるために、東日流荒羽吐族は、天、地、水の自然なるものを神とぞ崇めたり。
神なるは人なる相に非らず、日月星、明暗、空風、雨雪、雲雷、寒暑、山川、火煙、地震、洪水津波、岩石、草木、苔藻、魚貝、湖沼、大海、虫けらにいたるすべてぞ、天地水の神なるものにて、是を殺生せざれば生々難き人ぞ罪深き神への障りにあるものとて、木を植し、種を蒔き、腹卵なる魚鳥を狩猟漁携せずと心得たり、依て、神捉を犯したるとき、天神なるは○印にて、地神なるは△印、水神なるはー印にて己が罰当りの身代りとて、岩を彫りて人形を造り、是れを天に投げ、地に打割り、水留りに投げ捨てける祈りを捧げ、病、傷、悩める心を悔いて救済をなせり、これなる祈りをゴミソといふなり。
また子及び親なる死別にては骸抜の魂霊を招き弁告せる霊媒あり、是をイタコと称す。更に、神なる罰の障り一族の安かるを占なふる者にオシラと称せるありて、今に遺るも、祈法総て他神他法にて古代なる真法なきは、詮なきなり。
寛政五年十月 秋田孝季
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