天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧へ
藤田友治氏作成『東日流外三郡誌』「人の上に人を造らず、」一覧へ
『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
23,自由民権之事 末吉 明治二十(一八八七)年八月四日 五巻 677〜78
凡そ天日月影の至らぬ郷はなかりけり。
人は神をして産るとも、神は人の君子を造らず、富貧亦造りたるなし即ち神は平等摂取にして、人の上に人を造らず、人の下に人を造るなし。
境域また世界に造らず、総て人が神を造り、掟を造り、権政を作為して権謀術数に人類同志を制へむとする故に、戦起り殺伐たる世々ぞ尽きぬなり。
万物の生々に於て、人類を除くところにぞ境なく、圧制なく、自由なる生々の界に生々す。依って、吾ら人類に於てその自由ぞなきか。権勢権謀は人の自由に当て智能を留むる他に無益なり。
人は学びて尚智能を向上せしむ神授に在り。君子をして賢、貧民をして愚たるの天授はなかりき。一人の民とて人生の生くる自由ありて、民族相睦むこと吾等が一族安倍の祖より安東また秋田の姓改世襲代々をして手本たり。
神仏何れを崇むも自由たれ。職また然なり。己が得手とせる志を進むこそ自由たれ。
人生いかで再度の機あらず、一刻の時移ぞまた然なり。常に新成之学に長じて旧来の迷を解くべし。依て、親たる者、如何に吾が子たりとも孝を責むより、彼の才を延すを先としべきは子孫の長久と覚るべし。
秀才は孝子ならずといふ。また発明家は富ずと曰ふ。親たるもの先づ己が子をしてその才をたすくるに依りて、子の学才は成るなり。
吾が日本国の進歩至らざるは才ありとも師弟の間永く、徒らに恩を責むるにあり。
国政のなかに神代たる架空の史を教育の源となせる処、治世の極みとせるは生長の障りなり。刀より銃砲の如く文明の学びなくして国貧しきなり。
自由は民のものにて、その権は民に存すと吾は茲に宣するものなり。
吾等は日本なる史に於て蝦夷人なりと永く世俗に当らざる祖来に在れども、学ぶる眼と心は世界の文明開化に志し、永き因習の久しき脱皮せんやと望みぬ。
自由民権は今ぞ日本民族の夜明なり。
明治二十年八月四日 末吉
東京市赤坂にて演説後入獄さるるも秋田氏に依りて免罪さる。
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