天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧へ
藤田友治氏作成『東日流外三郡誌』「人の上に人を造らず、」一覧へ
『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
1,安倍頼時之遺文 天喜元年(一〇五五)五月二日 寛政五年十月写 一巻520〜 21
日高見国末代に住よき国造り、夢追ふが如く民にはげまし、いざこそ是れ荒吐族世の如く南越州、東坂東より北領の住人の国境及び司者を除きて住民一結の政を布してより、飢え民ぞなかりしに、朝賊の汚名を蒙むりて、帝は征夷の勅を以て吾れ討なむとせり。誠に以て浅猿しき哉。
絹衣を朝夕にまといし都、麻を着る民の汗をついばむ輩に、何が故の献税ぞや。
奥州は、古き世に耶馬台国の故地を追れきし吾等の拓地なり。雪に埋もれし北国の飢なる保(ママ)は貧けり。依て、一族に富貧強弱を制へき吾国の策にて、平等救済に国造らむとせるは何事ありて国賊ぞ、生生の者に己れが権利のむさぼりに遊舞美昧[味カ]の国主ぞ、吾に無用なるが故に、是の如き司世を奥州に起しめり。
抑々、吾等は都人に非ず、自らも鍬打振りて田畑を造りき。生くるが故の国造り、末代を飢に救はむ吾が民を討とは、たとへ吾一身に国賊の矢弓壼に代る撃矢ぞ受くるとも、吾は怖れず、恨魂幾代かかるとも、吾が国を護りなむ。
天喜元年五月二日 安倍日高見之介頼良
右文献石越邑白河次三郎家宝也
寛政五年十月 秋田土崎之住安東之胤 秋田孝季
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