天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧へ
藤田友治氏作成『東日流外三郡誌』「人の上に人を造らず、」一覧へ
『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
7,東日流外三郡誌 抜抄篇第三 藤井伊予 元禄十(一六九七)年五月 一巻64〜65
東日流とは日高見国の国末にて、古代に於てをや、氷原を以て海を閉し、支那の地に到るを歩めし世ありき、渡り来たる阿曽辺族、次には津保化族を以て人住む国となりける地なり。抑々、わが東日流の国ぞ、安東浦、曽止浦の海幸に豊けきところなりせば、古人の祖住ぞ今なる倭の国より古けき国とぞ曰ふ。
北辰に続く広大なる国土ぞ、日輪の不沈国ありて、丸き日輪も四角に神変せるぞ拝せらるなり。これなる氷原国ぞ、みな日下将軍の国土にして、蝦夷とぞ軽笑に化外せる倭朝の不知るところなり。
地の果まで日下の国は続きけるに、安東水軍ぞ古代より海征をなしたるは、その幸を求むる故なりき。われら人祖の祖血は世界皆一族にして、いかで人のうえに人ぞあるべきか、また富貴貧賎ぞ如何に以て人の世にのみあるべきぞ。人の道には父母に孝し、導くものを尊敬せる他に何事を以て争ふぞ。
荒吐族は古来より全能の神なる天地水の荒吐神を平等摂取の神となし崇拝しきたり。
人とし殺伐、欲と盗、自望勝手たるを赦すことなく一族を護りきに、倭人はこれを夷賊とて永き征伐の歴史を遺したるに、如何なる悔もなきは忿怒やるかたなき外道の制悪にして永代忘却を赦さざる憎恨なり。
凡そ生を世に人身をして受け、陽陰少かに五十年を限りとし、生々流転安きことなき無常一刻の夢になにをか以て争ふるぞ。
冬寒永き日高見の国に到る一刻の陽期にまかなふる衣食住の備を奪ふるは倭朝の輩にて、これに応ぜざれば蝦夷の反きとぞ征夷の刃ぞあらましぬ。依て荒吐族は古来より一汁一食たりとも私にせず、生々相互の分ちあふ生命の保つを暮しとせり。
これを犯すものは、いかなるものとて一族を挙げて討つべくは生きるべく人の道にして、神ぞあらばいづれが正邪ぞ知るべきところなり。北辰の民はかくして生命を今に保つきたるなりと伝はり、平等なる人の生々を子孫に遺しけるは尊ときところなり。
かくある荒吐族の生命ぞ、今尚以て征夷の軍配とどむなく、いつぞやこれを討破らむ陽光当るべき日の近からむ兆ぞあらめ。
神ぞ知るべくを以て筆をとどむるなり。
元禄十年五月 藤井伊予
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