天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧
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資料 和田家文書2 福沢諭吉『学問のすすめ』関係 天は人の上に人を造らず・・・云へり 総覧

『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
 9,津軽秘聞抄 藤井伊予 荒磯神社祭文 元禄十(一六九七)年八月三日

津軽秘聞抄

 あなとうきむかしよに、あらはばきとやあがむるかみやしろありて、ふることのかたりまおさくおきなにたづぬれば、たけきもののふのはばきをまつりきみやしろぞとこたふ。たけきもののふのなを、さらにたづぬれば、たみちの将入、田村の将人、比羅夫の将人、義経の将人とぞこたふにさだまるところなけむ。あらはばきとやいかに神まつるぞやと問へたれば、いづれのおきなもしらざるなりとかたくなにかたらず、わが脚はかぜたよりのあらばきやしろをたづねて諸国にめぐりぬ。そのみやしろあるべきところ、よくむかしなるさくあとの鬼門方位に存在す。いづれもたづねてその由来しるひとぞなし。
 あらばきの神、もとよりひのもとのみやこびと拝神ならず、やまたいくにの石神崇拝神にて、都人これを忌みてうちこはし、ほりぬまに捨てつる多し。すて得ざる大石のかみのみ今に遺りけるやまとのあしかむらの大石神ななりき。
 荒吐神とはもと耶馬台くにのかみにして、あらぶるのかみ、天地開き創めのかみなりといはれむかみにて、そのかたち人相にあらず、自然なる石の象形の神体なりせば、人の造れるものならず、天神は能く流星の石を天神とし、川、海辺なる流石を地神とせり。
 荒吐神は天地一切、万物一切を神とし、男女の律儀を一夫一妻として護り、犯す者を赦さず科罪す。一族の者にして富貧をつくらず、人の上下を造らず、一汁一食たりとも私に非らず一族をして分つが捉とし、これを抜る者はただ死あるのみなりき。荒吐神はかくして荒吐族の心に生じたる神なり。
 いつよながら、人をして富貧をつくりては権をして凶兆をまねき、富貧の者限りなく世に策謀し、一草一物たりとも権者の私せるものなりとせば、是れ荒吐の神に依りて天誅ありとぞ信じたるは荒吐族なり。
 荒吐神の霊験なるは、覚り易くまた奥義深く迷信なるはなし。人の生々に人ばかりなる生々は神に逆らうるとし、狩にめすをとらず、漁にして卵魚を漁せず、いづれなりとも幼生なるものを狩漁せざるは常なり。一木伐しては一木植し、保食の律またきびしく、凶年に備へたり。
 荒吐神とは、人心の律、人心の顕正を子孫に伝ふるものとして、荒吐族の崇むところなり。生々流転の世に、徒らに死を怖れ心乱しもの無苦として死所に逝く心のさとりに、荒吐神の八相廻生たる教あり。生々のために捉を破るもののために十戒をして刑科あり、老若男女の苦情、親子なる不和合にあるべきものをして、荒吐三神崇拝のト部あり。祖来のしるべに語部あり、病のものには薬師ありて、一族の神なる使者導師とせるは一族祖来の習へなり。
 荒吐神は常に日輪の光明の如く、いかなるところに住むる者と云いども照らす照らさざるといはれる教へなく、老若男女、何れに住むる者なるとも一子の如く世の渡りを平等とせり。茲に、荒吐神なる奥義を解かん。


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『真実の東北王朝』(第六章『東日流外三郡誌』を問う)「神は人の上に人を造らず・・・」

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