報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決 付 別紙(九) (野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧
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資料 和田家文書 1

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東日流外三郡誌(昭和五八年一二月二五日発行)北方新社版
1東日流邪馬台城跡(寛政六年五月)   第一巻 古代編 一二三 〜 一二五頁

東日流耶馬台城跡

 梵珠連峰北に走る山に飛鳥山ありて、その林中に石垣延々たる耶馬台城ありき。
 千古の歴史を偲ぶ太古に耶馬台国五畿七道の王たる安日彦、長髄彦命等を追ませし日向の賊に備へし城垣にして、是を今に知る人ぞなし。
 飛鳥山の四方、東に卒止浜、北に大蔵山、南に魔神岳を位なし、桧山にしてその木立樹令幾千年の大老木茂げる処、ひる尚暗く、太古を偲ぶ城跡なり。
 林中無気味なして西に望むれば樹海開く処に望みては、東西に遠々たる大いなる東日流平野、雲海の如くして十三湊はるかに見ゆるなり。
 此の城垣をして濠道あり、土門ありて建物ありなん処に卒止浜の磯山河望みて易く、要害建固なり。而るに想ふ処、この城跡にて戦事なく、国安らぎて廃虚となりたるや。または一族の秘とせしむ、何れか仔細あり。
 此の秘城遺りしか、たれぞとて知るものなかりき。四辺に歴史あり。
 石塔山近く、是れ山伏の秘密権頂とや道場跡ありて、不可思議なる石塔の築けるありぬ。梵珠の山は梵場寺跡ありて、往古のしるべあり。降る卒止浜辺に安東重季が居城あり。攻防の戦場跡なり。
 而るに、耶馬台城跡のみ寂として、時折、山鳩の声聞く耳なり。溪水は清くして山菜豊庫の如し。
 石垣を廻らし、是敵防なれば高からず、沢に投石のたくわいならば敵誅によろしき哉。
 而して能く見巡せば、秘を蔵す処にしては、是永世に護らえる地位にありて、是を探るも難にして、先づは濠道に続く果なる至処を究む。その濠道に歩をなしては、人視に難く東西南北の峰道に達す城邸に水乏しきに、隠れ泉なる処あるを覚ゆ洞穴なり。
 城邸と覚つは石垣濠のたぐいならず、土堤をも連らねたる処多し。館建てりと覚つ処に礎石なく、是、掘建の館とぞ覚つ。吾れ独りの愚考なりき。
 土を掘りては、遺物の土器物ありて古時を語るが如し、是ぞ、東日流最古の城邸なりと思ふらん。
 他言に伏せて、末代までも是の城柵を護らむるも亦、吾が意に通ずる魂の御告なるかと筆に図取りて、五日がかりの調踏了り、茲に語部録の真伝は尚更に感無量也。
  寛政六年五月        秋田孝季
                和田長三郎


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東北の真実ーー和田家文書概観(『新・古代学』第1集 特集1東日流外三郡誌の世界)

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