報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決 付 別紙(九) (野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧)
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東日流外三郡誌(昭和五八年一二月二五日発行)北方新社版
2邪馬台城大秘道しるべ(寛政六年五月) 第一巻 古代編 一二五 〜 一二六頁
耶馬台城と語部録の一片に謎の如く記さるも、永くその実在を知らず、徒らに歳月をかけ、大和に求めて探せども覚つを叶はず。
飯積山庄屋中村殿より、是の石垣をなせる城跡を聞き及びて得たり。
飯積より五里、山谷を越え小田川を登り、タダラの沢を登りつめ、峰越えに郡堺を卒止浜討間辺に峰降りて飛鳥山に至れり。
外望いかで城跡ぞと覚つ難し。林中に入りては尚城跡なる処に当らず。
帰山を決意せるや、石垣延々と続くを覚ゆ、時速く日暮れて野宿せり。朝なるをまつは遠くして、ねむもやらず、蚊になやみて火をたくも亦煙り鼻を突きて尚ねむるに至らず。早や夜明けたり。寝不足なるも、山にての朝食またさわやかなり。
さてこそ謎なる城跡、何日を費にかくるとも解明せむとぞ、右左上下の積石を巡りたり。依て、その図を遺し置くも、秘に依りて別紙に至極せん。耶馬台城とは、支那に起りし陽茂台(ヤンマオタイ)に付称と云ふなり。(ヤンマオタイ伝記は別巻に記あり)
寛政六年五月 秋田孝季
和田長三郎
報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決 付 別紙(九) (野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧)
東北の真実ーー和田家文書概観(『新・古代学』第1集 特集1東日流外三郡誌の世界)