報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決 付 別紙(九) (野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧
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資料 和田家文書 1

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7『総輯東日流六郡誌』 津軽書房版 七二頁 紀州熊野宮之由来(寛政七年八月)
 (昭和六二年七月二〇日発行)

紀州熊野宮之由来

 那智なる熊野宮は、荒覇吐神の水杜なり。倭国の国号、耶馬台国たりしころ、荒覇吐神なる天地水神を祀りし聖処あり。三輪山を天杜とし、胆駒山を地杜となして、この熊野宮を水杜とせり。
 陸なる農耕、海なる魚漁に水神を鎮むるは、古代信仰の創めにして、熊野信仰ぞ、その要にあり。耶馬台国王初代耶馬止彦、一族繁栄を祈りて、神域に石垣、土垣を築きめぐらしたるが、この長蛇の如き石垣をば、長磐座と称し、天の川とも号けたりともいふ。
 古代に於ては、神域そのものを神となせるも、安日彦王、長髄彦王に至りて、日向族に敗れたる耶馬台国、故地を放棄して、北方へ移りしために、社境たもち難く、また、宮社も神佛混淆に変りて、いまに至れりといふ。
 耶馬台国王が直裔なる安倍安東一族、水軍を重んじたれば、後世にても、この社に寄進せること甚大にして、さらに、祈願をなせることも、しばしばなりといふ。      寛政七年八月 秋田孝季


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東北の真実ーー和田家文書概観(『新・古代学』第1集 特集1東日流外三郡誌の世界)

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