2004年4月1日

古田史学会報

61号

1、九州王朝の近江遷都
 古賀達也

2、唐古・鍵遺跡
 第九三次調査
 伊藤義彰

3、日露の人間交流
と学問研究の方法
 松本郁子

4、弥生渡来人説
と中国史料
草野善彦

5、ミケランジェロ作
バチカン・ピエタ像の謎
木村賢司

6、創立十周年
記念講演会次第済み
事務局便り

 

古田史学会報一覧

ホームページに戻る

ミケランジェロ作「最後の審判」の謎(古田史学会報68号)へ


ミケランジェロ作

バチカン・ピエタ像の謎

豊中市 木村賢司

 ミケランジェロ作バチカン・ピエタ像の謎  キリストに奥様がいた、と、またまた、ビックリの報告を聞いた。二月の関西例会での古賀達也氏の「ナグ・ハマティ文書の紹介ーーイエスと女性たちーー」に於いてである。奥様の名前は「マグダラのマリア」とのこと。奥様はキリストが処刑になったあと、(その遺体に)最初に接した、とのこと。その時弟子たちはペテロをはじめすべて逃げていなかった、とのこと。
 私はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂を二度訪ねている。カトリックの総本山で外観も内部も荘厳そのものの大建築であった。堂内に入り、最初に観光客?が案内されるのが、ミケランジェロの二五歳時の作「ピエタ彫像」である。キリストの遺体を膝上に抱いている女性の像である。説明では女性は聖母マリアと聞いた筈である。でも、この女性は遺体のキリストよりも若いのである。キリストより聖母のほうが若い。当時から変に感じていたが、老母の聖母マリアも見た記憶がないので、宗教上の表現かなー、と思っていた。
 ところが今回、古賀さんの話を聞き、あのピエタの女性は奥様の「マグダラのマリア」である、と直感した。まさに、奥様が夫の遺体を膝上に抱いて悲しんでいる、自然の構図である。「マグダラのマリア」は娼婦である、との伝承?もあるとのことであるが、この彫刻像は娼婦ではありえない、と思う。(娼婦を貶める気持ちはないが・・・)だとすれば、ミケランジェロはこの女性を間違いなく、奥様の「マグダラのマリア」として彫刻された筈で、ミケランジェロは「キリストに奥様がいた」ことを承知していた、という論理となる。
 ローマ法王は聖母マリアと信じているとすれば、私は法王も知らない、ミケランジェロの秘密を知ったことになる。
 ここまで書いて水野さんに電話を入れ意見を聞いたところ、バチカンのピエタのことはご存知でなく、復活したイエスに最初に接したのは女性であることは知っている、と云われて早速パソコンで調べられた。弓削 達(著)の『ローマ』文春文庫・世界の都市の物語シリーズの中で『このピエタ像の話からはじまって、「マグダラのマリア」を論じている』そうです。と返答が入った。
 『ローマ』にどのように書かれているか、読まねばならないと思うが、すでに、「マグダラのマリア」と思っている人がおられそうだ、と知り少しがっかり。
 もし、私の直感通り、ミケランジェロがイエスの奥様を承知していたとすれば、このルネッサンスの旗手は、バチカンとフレンツエとの何回かの往復生涯の中でキリスト復活や聖母マリアの処女懐妊など信じていたとは考えられない。
 私はフレンツエで、これも有名な少年ダビデの像も見ているが、こちらは私のイメージのダビデとさして違和感がなかった。あの巨人ゴテリアを「石つぶて」で倒した少年(裸の一物が小さく包茎)像であった。(石つぶて、一芸秀でて、王となり)の伝説通りであった。 
 「キリストと女性たち」で私が知っていたのは、聖母マリアとキリストが十字架を背負って刑場に向かっているときに、手拭を差し出した娘「ベロニカ」であった。彼女は後に聖女となり、現在はベロニカという花の名前で残っている。花言葉は「信頼」「女性の誠実」「私はあなたに私の心を捧げる」「神聖」「清浄」などである。この花の日本名は「オオイヌノフグリ」と芳しくない。花でなく実がそれに似ていることから名づけられた。私の友人がなにげなく路傍の雪をけとばすと、その下から可憐な青い花が顔を覗かせた。これが「大犬の陰嚢」であった。友人は相応しい名前をつけてやりたくなり、考えた末に早春賦と名づけた。
 「ベロニカ」は聖女となった。「マグダラのマリア」が娼婦では、あまりにも釣り合いが取れない。イエスの奥様であれば、当然「聖妻」または「聖嫁」であり「聖未亡人」である。私は「伴侶の(聖)マリア」と呼ぶこととした。
 聖書やナグ・ハマデイ文書を含め、キリスト関係の文書を学問として調査・考察する場合に現キリスト教信者でない、かといってイデオロギー的偏見もない者が行うことが適している、と云う。古田武彦氏や古賀達也氏の研究による、新発見がこれから楽しみである。
 *ミケランジェロ、イエスの真実、ピエタを彫って残したか。
 以上 二〇〇四年二月二三日

 追:以上を二月二三日に古賀さんにファックスで送った。古賀さんから会報に載せてもよいか、表題が長いので短縮してほしい、と要請があった。私は会報に載せてもいいが、古賀さんの発言内容にあやまりがないか、と尋ねた。復活したイエスに最初にあったのは「マグダラのマリア」であるが、遺体に最初に接したとは云っていない、といわれた。私は復活したイエスでは意味がないと思い、また、がっかり。
 それで直ぐに手持ちの「聖書物語」(犬養道子著、少年少女世界の文学、河出書房、昭和四二年初版)を開き見ると、「マグダラのマリア」は洞窟の墓穴に遺体を納めた主要な人であることがわかり、少し元気がでた。さらに、『ローマ』を紀伊国屋書店に注文し取り寄せてもらい、本日(三月五日)入荷したので購入して早速読んだ。弓削先生は、バチカンのピエタは「マグダラのマリア」である、と詳細な論で結論づけされていた。
 私の直感はやはり当たっていた、と現在自分をほめているのである。従って表題も内容もあえて変更せず、この追で経過とする。水野さん、古賀さんに感謝します。
   二〇〇四年三月五日追記


 これは会報の公開です。

新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから

古田史学会報一覧

ホームページへ


Created & Maintaince by" Yukio Yokota"