深謝の言葉
今回、十月二六日から十一月四日に至る、メガーズ博士(エバンズ夫人)の御来日につき、多くの皆様方の御支援により、無事に、絶大の学的収穫を得るに至りましたこと、心から御礼申し上げます。
すでに明らかにされていたように、南米のミイラの寄生虫(ブラジルの共同研究)や遺伝子・ウイルス(がん学会の報告)の研究等から、エバンズ夫妻・エストラダ氏の学説は無視しがたくなっていました。その上、今回明らかにされたことは、一にエクアドル・コロンビアの出土土器類が、アメリカ大陸(北・中・南米)の諸土器群の中で「孤立」していること、二にこれと「類似」する日本の縄文土器群の方は一万二~四千年前からの伝統をもつのに対し、南米の土器(エクアドル・コロンビア)には、そのような伝統のないこと、この二点です。
さらに、欧米の「反エバンズ」説の学者たちが「アマゾン領域・原始土器起源」説を唱えたのに対し、夫人は当領域の研究調査を永年つづけ、その結果
、当領域にその痕跡の存在せぬことを立証された。「わたしは、アマゾンの専門家です。」と言い切られた言葉に感動せざるをえませんでした。
事実、高知県の中村市から土佐清水へ向う途次、つづら折の道でわたしたちが“車酔い”しかけていても、高齢の夫人は毅然として動ぜず、アマゾンの奥地をジープで踏破し抜いた歴年の面
目躍如でした。
青森市の三内丸山でも、岡田康博さん(教育委員会)との“論争”は、そばにいるわたしたちの胸を打つ気迫がありました。青森市民古代史の方々の暖かいもてなしと共に、忘れえぬ
一日となりました(十月三十一日)。 十一月三日、御帰国の前の日に行われた「縄文ミーティング」(全日空ホテルにて)も、各界の学者と共に白熱の長時間討論が行われ、先記の論証と共に、コロンビアのサン・ハシント遺跡出土の土器の写
真を多数提示されました。一見「火焔式土器」とも、部分的に類似性(文様等)をもつものですが、六千年前の遺跡とのことです。新しい関心の的のように見受けられました。
ことに、十月二十九日のシンポジウム(土佐清水市、市立市民文化会館)と十一月二日の記念講演(東京、憲政記念館)において、一般
市民を前に、スライド展示によって四十年来の自説を凛然と述べられた姿は、まことに印象的でした。さらに、記念講演会場において和田家伝来の古代神像等が「近世国際交流」のしるしとして、展示されました。今回の夫人の来日がジョン・万次郎の国際交流を記念するものだったからです。(たとえば、当日展示されたパピルス二枚は「十八世紀後半」のもの、とされています。秋田孝季による将来。)
もちろん、わたし自身にとっても、エバンズ学説の真実性の立証は「他人ごと」ではありません。
なぜなら、それは同時に「裸国・黒歯国、南米(西海岸)」説が“虚”ではない、その一事を裏づけるからです。わたしのこの説が二十四年前『「邪馬台国」はなかった』(現、朝日文庫)で提唱されたとき、万人の目にそれはいかにも“奇矯の説”と見えたでしょう。けれども、寄生虫やウイルス研究から「日本列島~南米」間の人間同士の濃密な関係が立証された今、さらに綿密・周到にして実証的・論理的なエバンズ学説の真実性が学問的大地に根をおろすとき、いつまでもこれを、“奇矯”視することができましょうか。倭人伝の「裸国・黒歯国」認識は、当然ながら「縄文以来の認識」の反映と考えざるをえないからです。
このように「裸国・黒歯国」に関するわたしの認識が正しかったとすれば、それは必然的に「二倍年暦」と「短里」に関するわたしの認識もまた、正しかったこととなります。というのは、後者(暦・里)を前提にして、前者は成り立っているからです。
そして、「女王国、博多湾岸周辺」説もまた、同一論理、同一運命の一環なのです。これらもやがて、すべての人々の認識となる日が必ず来ると思います。
貴重な人生の一日を割き、遠近より貴重な御寄付を賜わり、十日間に深い御苦労をいただいた方々、そのすべての方々に向って、ここに心から言い尽くせぬ
感謝の言葉をささげさせていただきます。
一九九五年十一月二十日
(ふるた・たけひこ 東方史学会々長)
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