古田史学会報
お断り:ホームページとブログ「古賀達也の洛中洛外日記」は別構成です。
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2024.04.09増補改訂
○170号(2022年 6日13日)
『史記』の二倍年齢と司馬遷の認識 百済人祢軍墓誌の「日夲」 -- 「本」「夲」、字体の変遷
○169号(2022年 4日12日)
「聃牟羅国=済州島」説への疑問と 「聃牟羅国=フィリピン(ルソン島)」仮説
○153号(2019年 8日13日)
誉田山古墳の史料批判
○151号(2019年 4日10日)発行
五歳再閏 前期難波宮「天武朝造営」説の虚構 -- 整地層出土「坏B」の真相
○150号(2019年 2日12日)発行
太宰府条坊の存在はそこが都だったことを証明する
『論語』二倍年暦説の史料根拠
○149号(2018年12日10日)発行
新・万葉の覚醒(1) 盗まれた氏姓改革と律令制定
○148号(2018年10日10日)発行
「壹」から始める古田史学十六 「倭の五王」と九州王朝
○147号(2018年 8日13日)発行
「実証」と「論証」について 「都城論」の論理構造
○146号(2018年 6日11日)発行
書評『発見された倭京 太宰府都城と官道』
「壹」から始める古田史学十五 俾弥呼・壹與と倭の五王を繋ぐもの
○145号(2018年 4日10日)発行
大宮姫と倭姫王・薩摩比売 縄文にいたイザナギ・イザナミ
○144号(2018年 2日13日)発行
多元史観と『不改の常典』
○143号(2017年12日12日)発行
九州王朝(倭国)の四世紀 ~六世紀初頭にかけての半島進出
○142号(2017年10日10日)発行
南海道研究の最先端(土佐国の場合)
○141号(2017年 6日10日)発行
『古代に真実を求めて』第二十集 「倭国年号」採用経緯と意義
「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」 について
○140号(2017年 8日12日)発行
七世紀、倭の天群のひとびと・地群のひとびと 国立天文台 谷川清隆
○135号(2016年 8日10日)発行
九州王朝説に刺さった三本の矢(前編)
○134号(2016年 6日 8日)発行
隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった!
○133号(2016年 4日 9日)
「近江朝年号」の実在について 「要衝の都」前期難波宮
○132号(2016年 2日 9日)
古田武彦先生追悼会の報告 「皇極」と「斉明」についての一考察
古田史学会報は131号より、文字コードをユニコードに変更いたしました。
○129号(2015年 8日10日)発行
「壹」から始める古田史学 古田史学の会 第二十一回会員総会の報告
○128号(2015年 6日10日)発行
網野銚子山古墳の復権
○118号(2013年10日10日)
「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の行程
○117号(2013年 8日15日)
前期難波宮・九州王朝副都説批判
○114号(2013年 2日 8日)
『正法輪蔵』の中の九州年号 碾磑と水碓
○111号(2012年 8日10日)発行
太宰府出土「戸籍」木簡
○109号(2012年 4日 8日)
倭人伝の音韻は南朝系呉音
○108号(2012年 2日10日)
古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?
百済人祢軍墓誌の考察
○107号(2011年12日10日)
古代大阪湾の新しい地図
○106号(2011年10日 8日)
論争の提起に応えて
「邪馬一国」と「投馬国」の解明 -- 倭人伝の日数記事を読む
○100号(2010年10日 8日)
禅譲・放伐論争シンポジウム
○94号(2009年10日10日)発行
韓国・扶余出土木簡の衝撃やはり『書紀』は三四年遡上していた
○90号(2009年 2日16日)
「温湯碑」建立の地はいずこに 盗まれた「国宰」
○87号(2008年 8月12日)発行
「藤原宮」と大化の改新について I
○81号(2007年 8月15日)発行
伊倉(いくら) -- 天子宮は誰を祀るか 薩夜麻の「冤罪」
○80号(2007年 6月12日)発行
太田覚眠研究の現在と未来
○79号(2007年 4月10日)発行
バルディビア探求の旅 -- 倭人世界の南界を極める
日本書紀の編纂と九州年号 -- 三十四年の遡上分析
『日本書紀』中の「百済本記」記事
○78号(2007年 2月10日)発行
武烈天皇紀における 「倭君」 朱鳥元年の僧尼献上記事批判
○77号(2006年12月 8日)発行
『東日流外三郡誌』と「福沢諭吉」
○76号(2006年10月10日)発行
敵を祀る旧真田山陸軍墓地
○75号(2006年 8月 8日)発行
「元壬子年」木簡の論理
○74号(2006年 6月 6日)発行
木簡に九州年号の痕跡 -- 「三壬子年」木簡の史料批判
○73号(2006年 4月12日)発行
大野城太宰府口出土木材に就いて
○71号(2005年12月 8日)発行
和田家文書による『天皇記』『国記』及び日本の古代史考察
○69号(2005年 8月 8日)発行
阿漕的仮説さまよえる倭姫 『古事記』序文の壬申大乱
○65号(2004年12月 9日)発行
九州年号・九州王朝説
○62号(2004年 6月 1日)発行
別府・鶴見岳を天ノ香具山とする文献 マリアの史料批判
○61号(2004年 4月 1日)発行
九州王朝の近江遷都 日露の人間交流と学問研究の方法
○57号(2003年 8月 8日)発行
「古田史学いろは歌留多」選定成る
会報の公表を、個人別(五十四号)から記事別(五十五号)に変更
○49号(2002年 4月 1日)発行
法隆寺移築論の史料批判
○47号(2001年12月12日)発行
続『新撰姓氏録』の証言
○45号(2000年 8月 1日)発行
天孫降臨の詳察
○44号(2001年 6月 6日発行)
古代の佐賀平野と有明海
○43号(2001年 4月22日発行)
大和島
○42号(2001年 2月22日発行)
日本書紀の「倭」について
○41号(2000年12月12日発行)
○40号(2000年10月11日発行)
天の長者伝説と狂心の渠
○39号(2000年 8月 8日発行)
盗まれた説話 -- 聖徳太子の南岳禅師後身説話と『七代記』の史料批判
○38号(2000年 6月12日発行)
夕波千鳥
○35号(1999年12月12日発行)
「日本」という国号に関する一考察
○34号(1999年10月11日発行)
○33号(1999年 8月 8日発行)
○31号(1999年 4月 1日)発行
百済武寧王陵碑「改刻説」補論
○30号(1999年 2月 2日発行)
人代歴と年代歴が示す「九州年号」
○29号(1998年12月 1日)発行
九州王朝と「旧撰姓氏録」
○24号(1998年 2月24日発行)
玉垂命と九州王朝の都
○18号(1997年 2月26日発行)
○17号(1996年12月28日発行)
○16号(1996年10月15日)
昭和四六年に『東日流外三郡誌』約二百冊を見 た
永田富智氏(松前町史編集委員)へのインタビュー
○12号(1996年 2月20日)
メガーズ博士来日記念講演会の報告
○7号(1995年 6月25日)
「金光上人史料」のいきさつ
佐藤堅瑞氏(西津軽郡柏村・淨円寺住職)に聞く
○6号(1995年 4月26日発行)
公刊の真実
青森・市浦村元村長 白川治三郎
○5号(1995年 2月26日)
山王日吉神社宮司 松橋徳夫氏の証言
宝剣額は日吉神社にあった
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから
制作 横田幸男
著作 古田史学の会及び提供団体、個人