訃報 古田武彦先生ご逝去の報告(会報131号)
西村俊一先生を悼む(会報140号)
二〇一七年 新年のご挨拶
次世代に伝えたい古田先生の言葉
古田史学の会・代表 古賀達也
古田先生が亡くなられて一年を過ぎました。亡師孤独の道をわたしたち古田学派は必死になって歩んだ一年だったように思います。これからも様々な迫害や困難が待ち受けていると思いますが、臆することなく前進する覚悟です。
二〇一六年を振り返りますと、古田学派の大先輩だった藤沢徹さん(東京古田会会長、四月十七日急逝)が古田先生の後を追われるようにご逝去されたことを忘れることができません。古田史学にとって、一つの時代が終わろうとしているのかもしれません。
わたしが古田先生の門を叩いてから三十年の月日が流れました。その間、先生から多くのことを学びましたが、今でも印象深く覚えている言葉の一つに「学問は実証よりも論証を重んじる」があります。古田史学や学問にとって神髄ともいえる言葉で、古田先生から何度も聞いたものです。
この言葉は古田先生の恩師村岡典嗣先生によるものとうかがっています。そのことにふれた古田先生自らの文章が「日本の生きた歴史(十八)」(『よみがえる九州王朝』所収、ミネルヴァ書房)に次のようにあります。
「第一 『論証と実証』論
一
わたしの恩師、村岡典嗣先生の言葉があります。
『実証より論証の方が重要です。』
と。けれども、わたし自身は先生から直接お聞きしたことはありません。昭和二十年(一九四五)の四月下旬から六月上旬に至る、実質一カ月半の短期間だったからです。
『広島滞在』の期間のあと、翌年四月から東北大学日本思想史科を卒業するまで『亡師孤独』の学生生活となりました。その間に、先輩の原田隆吉さんから何回もお聞きしたのが、右の言葉でした。
助手の梅沢伊勢三さんも、『そう言っておられましたよ』と“裏付け”られたのですが、お二方とも、その『真意』については、『判りません』とのこと。“突っこんで”確かめるチャンスがなかったようです。
二
今のわたしから見ると、これは『大切な言葉』です。ここで先生が『実証』と呼んでおられたのは『これこれの文献に、こう書いてあるから』という形の“直接引用”の証拠のことです。
これに対して『論証』の方は、人間の理性、そして論理によって導かれるべき“必然の帰結”です。
(中略)
やはり、村岡先生の言われたように、学問にとって重要なのは『論証』、この二文字だったようです。」
このように古田先生は「学問は実証よりも論証を重んじる」という言葉について自著にも残されていますが、二〇一三年の八王子セミナーでもこの言葉を述べられたそうです。その後、この意味についての質問に答えるため、わたしの理解するところを「洛中洛外日記」で八回にわたり連載し、『古田史学会報』一二七号に転載しました(後に『古田武彦は死なず』に収録)。もちろん、古田先生に読んでいただき、わたしの理解に誤りがないかを確認することが主たる目的でしたが、先生からは特にご注意もなかったため、大過ないものと安心しました。
二〇一五年六月、古田史学の会代表になったわたしは、新役員と共に古田先生に就任のご挨拶にうかがい、食事をしながら最近の学問研究について意見交換しました。その様子を「洛中洛外日記」一〇〇七話(二〇一五年七月二五日)で報告しましたのでご覧ください。
その翌月にはKBS京都放送の桂米團治さんのラジオ番組に先生と二人で出演したのですが、そのとき先生はとてもお元気でハイテンポのトーク番組にもかかわらず、収録は二時間に及びました。同番組「本日、米團治日和。」は翌九月に二週にわたりオンエアされました。その概要も『古田武彦は死なず』に掲載しました。番組収録ではとてもお元気だった先生がその二ヶ月後に亡くなられるとは思ってもみませんでした。おそらく古田先生は亡くなられる直前まで学問への情熱を抱き続けられていたことと思います。 「学問は実証よりも論証を重んじる」の他にも先生からお聞きした大切な言葉の数々を、新時代を切り開く世代に伝えていきたいと、新年にあたり決意を新たにしました。会員の皆様や友人の方々のご協力をお願い申しあげ、新年のご挨拶といたします。
これは会報の公開です。史料批判は『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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