古田武彦
始めの数字は、目次です。【頁】【目 次】
i はしがきーー復刊にあたって
v はじめに
I 《倭人伝》の扉をひらく |
003 二十年の長期滞在 張政の報告は正確である
008 粛慎の長老の証言 東の果ての国「裸国・黒歯国」 知られていたアメリカ大陸 漢書に記されていた「日の入る所」 スケールの大きい中国史書
024 司馬遷の誤断 リアルな崑崙山の高さ 部分を足すと全体になる 穆天子伝の史料的性格
031 天子から献上をうけた西王母 西王母の国はどこなのか 玉ロードの発見 王権のシンボルとしての玉と斧
049 「邪馬台国」=沖縄本島説について 「邪馬台国」=伊豆半島南端説について 「極限読解」の意義とは 穆天子伝を「極限読解」で読むと・・・・
049 「一大国」はだれが名づけたか 倭人の母国・一大国 倭人は漢字を使っていた
バナナを知らなかった近畿天皇家 「常世の国」は赤道地域にあった リアリティを感じさせる乙姫様の話 倭人は二倍年暦を使っていた 聖書の世界に見る二十四倍暦 暦法に秘められた文明の習合 浦島太郎は六倍年暦で書かれていた はじめに多倍年暦ありき
II 《九州王朝》の扉をひらく |
071 白村江の戦いの相手は倭国だった 唐書の倭国記事の信憑しんぴょう性 郭務[示宗]の証言
078 唐の高官になった仲麻呂 すべての、歴史家に捧げる法則
083 敗戦の中の郡評論争 七世紀は評だった 評は九州王朝が創った
089 郡制施行記事の発見 評督・助督の反抗 古田命題 太宰府はだれが設置したのか
102 詔勅に残された年号 「白鳳」と「朱雀」
105 平安時代に書かれた『二中歴』の原本 古事記の古写本より古い
III 《日本史書》の扉をひらく |
115 リアルな神武の大阪湾侵入 「南方の論証」 手勢は久米集団だけ 筑紫にあった高千穂の峰 糸島郡に成立した「シュリーマンの原則」 分国を求めてさまよう神武 弥生期の鯨捕り歌 糸島郡にあった伊勢の海 大事件・天孫降臨 神武天皇は博多弁でしゃべっていた
倭人伝の「使大倭」 「倭」は本来「チクシ」である
143 倭建命と景行天皇 平群は大和ではなかった 「やまとはくにのまへらま」
151 斎藤茂吉の鴨山とは 梅原猛の鴨山とは
156 「石見国に在りて」 いくつかの疑問
IV 《考古学》の扉をひらく |
165 絶対年代と相対年代 卑弥呼の鏡をめぐる論争
169 自説を訂正した梅原末治の良心
172 「上宮法皇」への疑問 干食王后は太子の妻にあらず
177 隋書イ妥国伝の「多利思北孤」 見え隠れする九州王朝の影
182 「第一の創氏改姓」あり 新羅第四代の王は日本人だった 朴姓に変えられた「ひさご」さん 族譜に秘められた可能性 韓国に残る日本語地名 「君が代」の歌に隠された糸口
195 韓国の「前方後円墳」 「三種の神器」が韓国で発掘された 真実の歴史の扉を開ける時が来た
V 《新しい古代史》の扉をひらく |
205 南部九州への侵略 弥生時代の終焉と吉野ヶ里
209 仮想敵国は「呉」だった 古代史の実像をもとめて
編集協力●編集工房パピルス
写真協力●朝日新聞社・青山富士夫氏・駸々堂出版・毎日新聞社・読売新聞社ほか
※本書は『古代史をひらく -- 独創の13の扉』(原書房、一九九二年)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(二十三)」「中国の古典・史書にみる長寿年齢」を新たに加えたものである。なお、本文中に出てくる参照ぺージには適宜修正を加えた。
古田武彦・古代史コレクション23
古代史をひらく
--
独創の13の扉
________________
2015年 3月10日 初版第1刷発行
著 者 古 田 武 彦
発 行 者 杉 田 啓 三
印 刷 者 江 戸 宏 介
____________________________________________
発 行 所 株式会社 ミネルヴァ書房
_________________________
@ 古田武彦, 2015 共同印刷工業・兼文堂
ISBN 978-4-623-06670-4
Printed in Japan