和田家文書「北斗抄」に使用された美濃和紙を探して(竹内強) へ
藤本光幸 編
初めの数字は目次です。あとがき(竹田侑子氏) は下にあります。
001 注 言
001 丑寅日本国神
003 日本古記述
003 一、開闢起源
004 二、天地之開闢
006 信仰之事
007 奥陸秘話
009 奥羽陸古話記
011 神鎮之事
012 耶馬臺之事
013 丑寅耶馬臺之事
013 耶馬臺諸伝
014 樺太記
015 愚制民朝幕政
016 聞伝オリエント史
018 北斗巡記
019 編史諸審之事
020 祓障之言
021 山靼往来
023 安倍之譜 一
024 二
025 荷薩體史談
025 明日香之史談
027 日高見史談
029 坂上田村麻呂不戦
030 蝦夷とはに
031 丑寅日本民之食生
032 安倍氏築湊之事 一
033 二
034 倭国移住跡
035 律令下蝦夷記
036 山靼馬之渡来
037 倭民之悪計史
038 渡島住民往来
039 荒覇吐信仰之事
040 聖 譜
042 為逆報聖者悪
043 陸奥歌枕百選
066 日高史談
068 北斗抄之事
070 記
070 諸翁聞取帳 一
072 二
072 三
073 四
074 五
075 六
075 七
076 八
077 九
078 十
081 十一
081 十二
082 十三
083 十四
084 十五 「陸奥歌抄」一
088 十六
089 十七
090 十八 「陸奥歌抄」二
096 十九 「陸奥歌抄」三
100 二十
101 二十一
103 二十二
104 二十三
105 二十四
107 二十五
108 記
109 此之書之覚
109 諸爺衆寄書 一
109 二
110 三
113 四
114 五
115 六
116 七
117 八
118 九 陸奥歌水月抄 一
120 十
122 十一
122 十二 陸奥歌水月抄 二
126 十三
128 十四
129 十五 陸奥歌水月抄 三
133 十六
134 十七 陸奥道草
135 十八
135 十九
136 二十
141 二十一
142 二十二
142 二十三
144 記
144 奥州今昔抄 一
146 奥陸今昔抄 二
146 奥陸今昔抄 三
149 古陵之事
149 学得之事
150 荒覇吐信仰道
151 モンゴル見聞記
152 紅毛国旅記
153 異土古代品之事
155 橘白雉式目抄
156 閉伊戸帳
157 法恩寺異書
158 佐藤家文書
158 安倍戦記
160 羽後夜話
161 日本国丑寅創起
162 諸史転末抄
163 稲作渡来之事
164 安倍日河水軍
165 由来不詳之神
165 丑寅日本史大抄
167 丑寅日本総集
168 具足師之事
168 国見歌集
170 安日岳抄
171 衣川奇談
173 奥州大抄一飾
175 奥山海歌集
179 一言宣上
180 再筆詑言
181 注 言
181 諸翁聞取帳 一
183 二
184 三
185 四
186 五
186 六
187 七
188 八
189 九
190 十
190 十一
191 十二
192 十三
193 十四
194 十五
196 十六
198 十七
199 十八
200 十九
201 二十
203 二十一
205 二十二
207 二十三
209 二十四
210 序 言
210 東北民土誌
212 東日流今昔語
217 陸羽記
220 東日流上磯記
222 安倍氏とはに
223 坂東平氏之事
224 謎なる伝へ
228 奥州通誌
228 飽田風誌
230 安倍氏歴跡 一
231 安倍氏歴跡 二
232 安倍氏歴跡 三
233 安倍氏歴跡 四
234 安倍氏歴跡 五
234 安東二城兼主之事
236 奥州歌選集
243 西海航
243 了 言
245 注 言
245 陸奥郡誌序
246 陸奥郡誌 一
249 陸奥郡誌 二
251 荒覇吐神伝記
253 東陸日迎之海記
253 厨川夜話
255 閉伊物語
257 日之本陸羽記
259 陸羽奥領史
260 日高見河岸誌
261 鷹羽船之事
263 伊治水門之事
263 シュメイル歴伝
265 蒙古史抄
267 アルタイ騎馬族之事
268 奥選歌枕
272 巣伏之事
272 宇涛安潟之事
273 みちのく夜話
276 安倍風雲録
277 信仰之事
278 みちのく歌暦
282 巡史跡考
283 非理法権天
283 諸翁聞取帳 一
284 二
286 三
287 四
288 五
289 六
290 七
290 八
292 九
293 十
294 十一
295 後 記
296 序 言
296 陸奥長談 一
298 二
300 三
301 四
301 五
303 六
304 七
305 八
306 九
308 十
309 羽陸之巡史証 一
311 二
312 三
313 四
314 五
315 丑寅日本史大要
316 北奥伝説記 一
318 二
319 三
322 四
323 五
324 六
325 七
326 八
327 九
328 十
330 注 言
東日流諸翁聞取帳
330 かたりべ草紙 神魂幽幻記
333 東日流抄
334 三話
335 四話
337 五話
338 六話
340 七話
341 八話
341 九話
342 十話
編者紹介
藤本光幸(ふじもと・みつゆき)
1931年生れ。「東日流外三郡誌」(共著)(北方新社)の詳細を語る第一人者。
藤崎町教育委員長、同町文化財審議委員を歴任。
2005年10月没。
和田家資料 3 北斗抄 一〜十
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2006年 1月31日発行
編 者 藤 本 光 幸
発行者 木 村 義 昭
発行所 北 方 新 社
印刷所 小 野 印 刷
「和田家資料2」を発刊したのは、平成六年です。それからもう十一年になります。
その間、私は連日、『和田家文書』復刻版発刊のために『和田家文書』の再書をして居りました。先月、暫くその残部全ての再書を終りました。
それに依りますと、『和田家文書』は本回発刊の「北斗抄」を最後として当初は総四千八百一七冊巻あった事がわかりました。
しかし、現実に現在何巻残っているかは、先に出版した「東日流外三郡誌」が当初三百六十九巻のものが、現実には二百巻であり、残ったもの全部の出版が終った後でないと、はっきりわかりません。
所で、『和田家文書』は当初、初代和田長三郎吉次によって、寛政年間から文政年までに書かれ、その後、長三郎基吉 -- 長三郎権七 -- 長三郎末吉 -- 長作、と和田家五代に渉って書き継がれたもので、その間、新事実が判明した時には、それを採用して書き足して記述した、書き継ぎ文書なのです。従って、偽書説者が主張する様な、明治期や現代の事象も記され居るのです。
なかでも、苦心されて記述されたのは、四代目の長三郎末吉の様で、明治二年(一八六九)から大正八年(一九一九)に亡くなるまでの五十年間に渉って「和田家文書」を書き続けて来たのです。
長三郎末吉は、明治天皇の五ヶ条の御誓文の順守と信奉をし、それに依て、自由民権運動を推進しましたが、明治十五年(一八八二)に政府による自由民権運動に対する弾圧に依り、入獄させられて居ります。大正八年に亡くなって居りますが、遺言に依て、息子の長作が書き続け、最終巻「北斗抄第二十七巻」は、昭和七年(一九三二)に書かれて居るのです。従って「和田家文書」は、文政年間(一八二九)から昭和七年(一九三二)に至るまで一〇三年に渉って書き継がれて来た“書き継ぎ文書”なのです。
それを『和田家文書』を偽書とする偽書派の人たちは、文書の実見調査もせずに、また出版本すらよく読まずに、憶測でいろいろ批判ばかりしているのです。
今春、青森市民古代史の会を介して竹内強氏(岐阜市)の報告書「和田家文書(北斗抄)に使用された美濃和紙を探して」を知りました。氏に寄稿をお願いいたしましたところ快諾下さり、本書へ掲載することができました。氏の調査結果は、「北斗抄」をはじめとする和田家文書は、故和田喜八郎氏によって創作されたものではない、ということを証する傍証になるものと考えます。
本回「和田家資料3」として、北斗抄の一巻から十巻までを、復刻発刊致しますが、引続き残存して居るものは、全て復刻発刊する予定です。和田喜八郎氏は既に逝去して居ります。偽書派の人達は、今度は私の創作というのでしょうか。今までに「和田家資料1」で奥州風土記、陸奥史風土記、丑寅日本記全、丑寅日本史総解、丑寅日本雑記全、「和田家資料2」で丑寅日本記、丑寅日本紀、日之本史探証、「東日流外三郡誌」を発表して居りますが、全て、時の権力者に敗れた敗者側の記録です。勝者の記録は遺りますが、敗者の記録はなかなか遺りませんので貴重な記録です。
いずれにしましても、「和田家文書」の復刻発刊に依て、真実の日本古代史が解明される一助となれば幸いです。
青森県民は、青森県を自負しても良いのではないでしょうか。
平成十七年九月
藤木光幸
一、「和田家資料」の編集方針としては、「和田家資料」では冊子別、巻別、が明白であるため、原本の分類を尊重する事にした。現存の「和田家文書」の状態は冊子木、巻本、一枚物、裏打ちのないままの巻紙状の物等、様々な体裁である。
一、原本は「此の書は前後相混ずる処あるも、文献の見付次第に記されし者ママなれば、順々不乱も詮なし」とあるように全体が統一テーマによって編纂されたものではないので、統一的、時間的な流れはないが、御了承を願いたい。
一,原本は旧字体であるが、本文については新字を心がけたが、人名、地名などはできるだけ原字体のままとした。また当て字なども多いが、意味のとれるものはそのままとし、明らかに誤字、脱字、重複字、のわかるものについては訂正した。
一、記述の内容において間違いと思われるが曖昧なものは、そのままにして(ママ)と付した。書継ぎ者が既にわからなかった字については「不詳」、現在不明な字については「不明」とした。
一,原本には句読点および改行一字下げはないが適宜これを施した。なお、現木にはまれにルビや傍線があるが、そのまま存置し、編者によるルビはない。
一、本巻は北斗抄二十八巻+総括のうち一〜十を収録した。
平成十七年十月二十一日、本書の編者である筆者の長兄藤本光幸が急逝しました。『和田家資料3』の初校途中のことでした。
兄は、十数年来の心臓病に加えて、下肢の衰えから杖が必要となり、また会話に不自由を感じるほどに耳の機能も衰えてはおりましたが、頭脳の方はいたって明晰、気力も充実しておりました。
昭和三十六年、兄は和田喜八郎氏と知り合い、一連の「和田家文書」に出合いました。以来、「秘とされてきた丑寅(東北)日本の歴史をより多くの人々に知ってほしい」という願いを抱き、「和田家文書」の復刻出版をライフワークとしてきました。ですから、喜八郎氏死去後の平成十三年秋、ご子息和田孝氏(平成十四年死去)の合意を得て、石塔山神社に保管されていた文書類を兄宅へ運んでからは、寸暇を惜しんで文書の原稿化に取り組んでいました。ときどき様子見に訪ねる私への口ぐせは、「和田家文書はすばらしいよ。古代から近世までの哲学も科学も天文も地理も宗教もみんな詰まってるんだ。青森県人はこの文書のあることを誇りに思うべきだよ」でした。
葬儀の後、兄の家族やこれまでお世話になった方々との話し合いで、私竹田が兄の仕事を引き継ぎました。
本書収録の「北斗抄」は、兄の調べでは、二十七巻(冊)と総結巻に加えて、第二十巻が、二冊あるので合計二十九冊。うち欠巻が第十、二十三、二十四巻の三冊で、現存する冊数は二十六冊ということでした。二冊ある第二十巻のうちの一方を欠巻の第十巻として入れたいという兄の希望から、本巻の第十巻は、他の巻と同じく反古紙に記してある二十巻の方を収録したものです。
このことについては、『和田家資料4』で報告の予定でした。ところが、兄の遺稿と文書類の整理をしていた十二月半ば、「北鑑」全六十冊(未刊)の中に紛れ込んでいる第十巻と二十八巻をみつけました。この二冊については兄の原稿がありません。が、『和田家資料4』に収録させていただく予定です。
というわけで、現存する「北斗抄」は、合計二十八冊。「支那紙に付き破れ易く開書注意せよ」と表紙に書き入れのある第二十巻の一冊を除き、全て、佐々木嘉太郎氏より提供を受けたという大福帳の裏紙を使用した綴り本であります。
兄藤本光幸の死去というハプニングがあったとはいえ、本書の発刊が予定の十一月末より大幅に遅れてしまいましたことを心よりお詫び申し上げます。
最後になりましたが、「北斗抄は全部出しましょう」と力強い励ましの言葉をかけて下さった北方新社社長木村義昭氏と編集を担当して下さった二部洋子氏に、心からの謝意を表したいと思います。
平成十七年十二月三十日
竹田侑子
「和田家文書」に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史の考察1 2 3 4