バルディビア探求の旅 倭人世界の南界を極める(会報79号)
敵を祀る -- 旧真田山陸軍墓地 大下隆司(会報76号) ../kaihou76/kai07601.html
敵を祀る
旧真田山陸軍墓地
豊中市 大下隆司
昨年九月の講演会の中、「靖国本質」で古田先生が語られた「敵を慰霊し祀る」ことが、大阪市の中心、真田山にある旧陸軍墓地で行われていました。この墓地は今、風化が進み朽ちてゆこうとしており、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の方々が墓地の保存と研究に尽力されています。今回「保存を考える会」の方に墓地を案内していただきました。状況を紹介いたします。
旧真田山陸軍墓地の現在の敷地は約四五〇〇坪、五二九九基以上の墓標と五基の合葬墓、納骨堂には四万三千余といわれる遺骨が納められています。大村益次郎が明治三年に兵部省の中心を大阪に置き兵学寮・造兵寮(後の砲兵工廠)などを設置、この流れの中で、明治四年に陸軍墓地もつくられています。
墓地は環状線玉造駅から清水谷高校のほうへ歩いて約五分のところにあります。門をはいると左手に、日清戦争とこれに続く台湾領有戦争の間に亡なった軍夫・職人など九三四基の墓碑が目に入ってきます。第一次大戦のドイツ兵の墓碑二基と日清戦争における清国兵の墓碑六基はこの一画にあります。また南側には西南戦争の戦病死者を中心とした墓一二六〇基、その向こうには将校・下士官・兵卒の墓などがブロックごとにわかれ広がっています。たくさんの同じ形の墓標が整然と並べられているのを見ると表現のしようもない思いにひたされます。
この陸軍墓地に葬られているのは、靖国神社のように「国に貢献した」と軍や神社が認定した人たちだけでなく、軍に関係して亡くなられた方すべてが含まれます。将校から、下士官、兵卒、軍夫、職人、捕虜まで、また戦死・戦病死者だけでなく、新兵の訓練中の死亡、飲酒によるトラブルで重禁固刑となり入監中に病死した者、さらには銃で自殺した兵も含まれています。
二人のドイツ兵については、大正四年と六年に大阪衛戍病院(鎮台病院)で死亡したことが墓碑の側面に書かれています。また墓碑に書かれてあった「俘虜」という文字は昭和六年に第四師団が名誉のためにと削っています。大正十三年に撮られた写真では、墓域は今とは違う場所にあって、ゆったりとした場所を確保し、石の墓碑の後ろには木製の十字架が建てられたのが写っています。大正十二年の文書にはドイツからの問い合わせに対して墓地の現場保管等については、埋葬地の番人に監視させ、毎年一回の日本人の弔魂祭において日本の軍人と同様に献花をし、大阪府立清水谷高等女学校の生徒一同からは毎年十二月に献花の上弔意を表しているとの記載があります。
この扱いが消滅して、軍夫・職人の墓地の一画に移され、現在の取り扱いのような形になったのは、昭和三年に墓地の敷地約三千坪が真田山小学校建設のために譲渡、墓地の整理が行われたときの可能性が考えられています。
初期のころのお墓は、個人別に墓碑が建てられ、その側面に経歴などが刻まれていましたが、日露戦争で戦死者が急増し、これに対応しきれず合葬という方式に変りました。このため当初準備した八千坪という敷地が必要でなくなったため、軍はその一部を真田山小学校に譲渡したもようです。葬る形式を変えざるを
得ないほど多数の戦死者を出す対外侵略戦争の開始、それにつながる軍の思想の変化など、日本陸軍は明治三年に大村益次郎が意識した明治の陸軍のイメージとは違ったものへと変ってゆき、その後満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと突き進んでいったものと思います。
本文は「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のホームページ、またこの四月にミネルバ書房から発刊された同会の「陸軍墓地がかたる日本の戦争」をもとに、敵を祀るとの視点からまとめました。詳しくは「保存を考える会」の資料を参照下さい。
この墓地は大阪においてもほとんど知られていません。また全国で八十ヶ所以上あった陸軍墓地はそのほとんどが朽ち果て、原型をよくとどめて残っているのはこの真田山だけのようです。
数万の遺骨が眠る墓地を朽ち果てるままにしてよいものか、また明治の一級資料ともいえる墓碑銘文を風化させるままにしておいてよいものかなど、考えさせられる墓地の見学となりました。
(参考)
「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」
*代表 小田康徳氏 大阪電気通信大学
工学部人間科学研究センター教授
*ホームページ 移動するので削除
「その他の陸軍墓地における外国人墓碑」*保存を考える会資料による。
*弘前・仙台(ロシア各一基)、金沢(ロシア十基)、静岡(ドイツ一基)、名古屋(ドイツ十二基、ロシア十五基)、大分(ドイツ二基)、松山ロシア人墓地(ロシア九八基、ドイツ一基、アメリカ一基)、高崎(ロシア三基)、広島(ドイツ一基、フランス七基)、丸亀(ドイツ一基、ロシア一基)、福知山(ロシア一基)、姫路(ドイツ三基)、徳島(ドイツ二基)、久留米(ドイツ一基)。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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