夫婦岩の起源は邪馬台国にあった 角田彰雄(会報78号)
別府・鶴見岳を天ノ香具山とする文献 水野孝夫(会報62号)
『炭焼長者黄金の謎 ーー別府温泉の意外な前史を解く』(原書房 角田 彰男)へ
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「炭焼き小五郎」の謎
多元史観の応用で解けた伝説
角田彰男
日本昔話「炭焼長者」は、ご存じの方も多いと思う。戦前、柳田国男は全国を廻ってこの話の発祥が九州・豊後であり、真名野長者伝説が源であることを発見した。そこには国宝の臼杵石仏、三重・蓮城寺と確かに実在性を暗示する遺跡・事物が多くある。しかし、現地をどんなに探しても長者の金山跡は発見されず、謎を秘めたまま今日に至っている。
これを長年疑問に思っていた私は一昨年、古田武彦先生著の「古代史の十字路」(東洋書林刊)を読んでアッと閃き、謎解明のヒントを得た。急ぎ大分県と山口県から伝説本数冊を取り寄せ、古田先生に、ご教示戴き取り組むと、驚いたことに千数百年に渡る長者伝説の謎は、するすると解けた。まさしく古田史学・多元史観の威力を感じた。
一、炭焼小五郎伝説のあらすじ
豊後の三重に若い炭焼き小五郎が居た。(西暦五〇九年、玉田生まれ)ある日、都から顔にアザのある高貴な娘が旅をし豊後・三重の有名な松原に着いた。そして小五郎を訪ね、お嫁にしてくれという。小五郎は貧しいから無理というと、米を買うようにと姫は持参の黄金を渡した。小五郎はそれを持って出て途中、淵の鴨を捕ろうと小石代わりに手持ちの黄金を投げつけたが狙いは外れ、それで手ぶらで戻り、わけを話した。姫はあきれて、あれは黄金ですと言うと、それを聞いた小五郎は、あれが黄金とは知らなかった。あんな石は、この山の三つの淵や炭焼がまの辺りにいくらでもあると言ったので、姫は驚き、見に行くと多くの黄金や砂金が落ちていたので、それを拾い集めた。更に淵の水で洗うと姫のアザが治り、飲んだ小五郎は知恵のある美男子になった。そこで二人は結婚し(五三一年)、御殿を建てた地名から真名野長者と呼ばれた。
やがて娘、般若姫が生まれ、美人に成長すると都から姫を差し出せと何度も勅使が来た。長者は一人娘だからと断ると、
無理難題を押しつけられた。しかし、長者は財力と武力で度重なる天皇の要求をはね返す。
するとまもなく、都から姫に恋いした皇子が、「山路」と名を変え単身潜入し長者屋敷の牛飼いとなる。やがて山路は機会を得て、松原に集まった群衆の前で流鏑馬の腕前を披露し、長者に気に入られ姫との結婚に成功する。新居を臼杵に建て暮らすうちに、やがて姫は身ごもるが、突然、使いが来て皇子は都に呼び返される。それで皇子は泣く泣く「ここを大内山とせよ」と書付けを残し去る。これが三重の「内山」の起源。
やがて赤子を生んだ般若姫は、皇子の後を追い臼杵港から船出するが、瀬戸内海で大風に遭い亡くなる。(五六七年) 悲しんだ長者は、黄金を寄進し百済から蓮城法師など高僧を迎え、蓮城寺(五七三年建立)など建て姫の供養をする。すると反仏教派の守屋大臣が、長者の行為は我国の神を蔑ろにするもので許せぬと、軍勢を率いて豊後に攻め下る。しかし、長者は大兵で迎え撃ち、何度もこれを撃退する。勝った長者は臼杵石仏造立を発願し、幾多の困難を克服し遂に完成させ、後世に残す。
二、謎を解く鍵は 古田先生の業績、「豊後なる天の香具山」の発見
(1) 万葉歌に詠われた本来の天の香具山は、湯煙と海原、カモメの見える豊後・別府の鶴見岳
(2) 高さ二千メータ近い火山で周辺に鉱山があり、銅 鉄などの産地。西暦八六七年に噴火した。
(3) 噴火前の山頂に三つの火口池があった。古代から鶴見岳には火男火売神社・上宮・中宮・下宮があり、現在も鎮座している。
(「古代史の十字路」より)
私はこのヒントを戴いて鶴見岳を調べ、銅や鉄などを産するだけでなく、同山が広範な「北九州浅熱水性金鉱床」をもつ金山(別府金山)でもあり、今でも高品位の金脈が眠っていることを見出した。(現在は、別府温泉の源泉を守るため金鉱の坑道掘りは停止されている)
次に山容を調べて、鶴見岳を初め幾つもの大小の山が寄り集まった周囲十数キロメータの巨大な山塊全体を鶴見山と呼んでいることを知った。その形は、今でも千メーターを越える三つの主峰、
鶴見岳 一三七五メータ
内山 一二七五メータ
伽藍岳 一〇四五メータ
の重なり連なった三重連山であることを乗船して海上より遠望し、確かめた。噴火前の鶴見山は今より高く、よく目立つ三重連山だったろう。
また、「別府史談会」会報十八号(水野孝夫氏論文・大野保治氏「水野氏論考雑感」)と鶴見山神社由来記(写)から鶴見山について左記の古記録を見出した。
「・・・火結神ノ御体ヨリ成ル天ノ香具山ヲ始メ 磐群木草海水ノ底ニ至ルマデ火ヲ含マヌモノナシ、ト。件ノ伝ヲ以ツテ山ノ霊ハ 火結御霊神ト知ラレタリ。・・・」
(大野保治著 火男火売神社史)
これは鶴見山自体が火結神=火の神の御体より成る天の香具山であると記述している。これは正しく鶴見山が古代に「天の香具山」だった証拠の古文書である。
以上を踏まえて長者伝説を解いてみたい。
三、炭焼小五郎の謎を解く
炭焼小五郎を訪ねて玉津姫が嫁になりたいと都からきて、「有名な豊後・三重の松原」へ着いた。姫は都から船で来たはずなのに、いきなり内陸の(三重町)三重の松原へ着いたという。しかもそこは有名な所だという。ところが今の三重町には松原という地名さえない。
そこで私は、郵便番号簿で大分県に海岸を持つ市町村に『松原』という地名があるか、調べてみた。すると別府市と大分市に一つずつあるのを発見した。両方ともまさに海岸だ。そこでどちらが名所か絞ってみると別府市松原は、浜脇温泉の隣接地。浜脇温泉は別府で一番古い別府温泉発祥の地だ。伊予風土記逸文にも『速見の湯』とある。だから別府の松原は古代、速見の湯のある海岸なので近隣諸国に聞こえた有名な所だった。おそらく温泉あり白砂青松ありの美しい浜辺だったと推理できる。
では、別府なのになぜ、三重の里か。これまでこれは内陸にある豊後大野市の三重町とされていた。私はこれをこう推理する。別府にそびえる鶴見山は、鶴見岳・内山・伽藍岳という千メータ以上の三つの高山が重なり連なった巨大な三重連山・三重山である。だからその里は、三重山の里、三重の里と推理できる。こうして豊後・三重の松原は大分県・別府の松原となる。すると鶴見山は小五郎によって黄金が発見される前は、三重山という名だったと考えられる。やがて五三一年に小五郎はこの三重山(今の鶴見山)で金を発見する。おそらく三重連山の一つ、内山で炭焼きをしていた際の発見だろう。「三重・内山」の地名起源はこれに基づくと推定できる。
この辺りは古代、海人の活躍した安萬(あま)と呼ばれた地方だ。だから安萬の鉱山=香山(あまのかぐやま)と呼ばれ、やがて金や銅・鉄を産する御神体火山の恵みに感謝し、尊んで『天の香具山』と崇められるようになったと推理する。
さらに二人は金亀ヶ淵の水で身を洗ったり、飲んだりして玉津姫は、顔のあざが治り、小五郎は美男子になり、知恵のある聡明な若者に変わったという。鶴見山上にあった三つの淵池の水は今の別府温泉と同様の成分を有し、皮膚病や傷跡を治す効能があり、姫のあざを治したと考えられる。また同温泉には炭酸泉もあり、おそらく小五郎は、この淵の炭酸ミネラル水を飲んで気分爽快、頭脳明晰となったのだろう。(炭酸水は、現代でも「スカッとさわやか・・・」と宣伝されている)これを元に火男火売神社の御利益は「頭脳明晰・学業成就」となっているのだろう。こうして長者は鶴見山=三重山の麓、に御殿を建て真名野長者となった。
では、なぜ長者は別府から遠く離れた所(豊後大野市)に蓮城寺を建てたのか。
もちろん、玉田が長者の故郷だから老いて生地近くに戻り、そこに三重・内山の地名を付けて隠居した。これは黄金を発見した「三重・内山」を永久に記念するために地名を移したと推理できる。
小五郎は三重、臼杵を含む広い土地を領有し豊後の豪族となり、天皇の要求や攻め寄せる守屋大臣の大軍を何度も撃退し勝利を収めている。この伝承は何を物語るか。それは豊後だけでなく、九州自体が強大な九州倭国だった。つまり、長者の後ろ盾に九州王朝があったと推理できる。当時の大和・飛鳥の勢力は豊後一国以下か、同程度の勢力だったと言えるのではないだろうか。こうして長者の子孫は、その後代々、小五郎名を受継ぎ、やがてその財力で臼杵石仏を造立したと推理する。
こうして多元史観の成果を元に、炭焼小五郎伝説の実在性を分析・推理することができた。しかし、なぜ、長者の業績や臼杵石仏の記録は史書から消されたのか。それはその後、白村江の戦いに大敗した九州王朝がやがて滅亡し、その歴史が闇に葬られる際、豊後の真名野長者の記録も史書から消されてしまったのではないだろうか。それを惜しんだ豊後や周防の仏教関係者、並びに地元の人々によって伝説化され、今日まで大切に伝えられてきたと考えられる。
終わりに
以上が真名野長者伝説の謎についての私の推理のあらましである。全国の皆様方の忌憚のないご意見、ご批判を仰ぎたい。
最後に香具山について御指導戴いた古田武彦先生、三重町史跡についてご教示戴いた三重町郷土史家・真名野長者研究会顧問 芦刈政治先生、別府史談論文より貴重な示唆を戴いた古田史学の会代表 水野孝夫様に感謝申し上げたい。
* 紙面の制約上かなり割愛させて戴いた。又別の機会に譲りたい。
* HP「邪馬台国五文字の謎」で真名野長者伝説全文を公開中。
(小説「邪馬台国五文字の謎」著者 元教員 古田史学の会会員)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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