鶴見岳は天ノ香具山(続)(古田史学会報六四号) へ
別府・鶴見岳を天ノ香具山とする文献
奈良市 水野孝夫
先日、別府温泉で一泊した。鶴見岳へ登ってみたかったが、あいにく雨で山頂は雲に隠れていた。地獄めぐりに切り替えて坊主地獄へ行った。坊主地獄というのは二ヶ所あるようで、「天然坊主地獄」という方である。「ここはもと広大な火男火売神社境内の寺であったが、四百年前の噴火で寺も坊主も吹っ飛んだ」旨の説明。「近いはずだ」と火男火売(ルビ:ほのおほのめ)神社へ参拝。ここで『式内・火男火売神社史』(注(1))を求めた。
このなかに「鶴見山神社由来記」が引用されているが、ここには「鶴見岳=天ノ香具山」と書いてあると、わたしは考える。次は神社史中の「鶴見山神社由来記」部分である。
(前略)其ノ山霊ノ神トハ如何ナル大神ニ座シマスヤ、御名ハ詳カニ知ラザレドモ、山霊ノ神トハ火ノ神、火結御霊神ト知ラレタリ。
古来ノ伝ニ依ッテ、謹ミテ考ヘ奉ルニ、遠ツ御代、神伊邪那岐神、妹伊邪那美神、
二柱嫁ギ玉ヒテ国の八千島ヲ生ミ給ヒ、八百万神ヲ生ミ給ヒテ、麻那弟子ニ、火結神ヲ生ミ給フ。
此ノ時、伊邪那美神、御蕃登(注、女性の陰部)ヲ焼キテ神去リ給ヒシカバ、伊邪那岐神怒リ、コレヲ斬リ給フ。
火結神ノ御体ヨリ成リ、天ノ香具山ヲ初メ、磐群木草海水ノ底ニ至ルマデ火ヲ含マヌモノナシ、ト。
件ノ伝ヲ以ッテ、山ノ霊ハ火結御霊神ト知ラレタリ。(中略=水野)山頂ノ山勢、東西二ツナレバ、東ノ嶽ヲ火男神、西ノ嶽ヲ火賣神ト称ス(以下略=水野)
「鶴見山神社由来記」は、この神社に伝わる古文書で、別府市の文化財として指定されているらしい。漢文で、上記引用は神社史筆者の読み下しである。
古田武彦氏の「鶴見岳は香具山」説は、万葉集第二歌の分析からのみ導かれており、この結論を直接示す文献は知られていなかった。古文書の確認や神話の検討など問題を残してはいるが、文献発見を報告する。神社史を千五百円で求めた話をしたら、「そんな金額を払うなんて、変ってる・・・」とのたまった知人もあったが、値打ちはあったのだ。
古田氏と福永氏(のちに下山、高田氏も参加)の火男火売神社、鶴見岳、由布岳の訪問調査の初回は九八年十一月であり、この神社史はまだできていなかったようである。
この神社史によると、他にもおもしろい記事がある。わたしの参拝した市内・鶴見地区にある神社と同名で、本家争いをしたという、鶴見岳中腹の神社の方にも、ほとんど同内容の「由来記」があるという。いわく「天孫降臨は日向の高千穂と、この鶴見岳の二箇所へ行われた」「景行天皇は鶴見岳の頂上まで登って国見をした」等である。
九州年号について触れた江戸期の学者・鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)、この人は鶴見岳へ登った経験をもつ。この名前がペンネームであるならば、鶴峯は鶴見岳を意味するのではなかろうか。
(注)
(1)式内火男火賣神社史、千百五拾年大祭実行委員会刊行、二〇〇〇年三月発行
執筆者:大野保治(別府出身、大分大学等に奉職、別府史談会代表)
鶴見岳は天ノ香具山(続)(古田史学会報六三号) へ
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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