2004年6月1日

古田史学会報

62号

1、別府・鶴見岳を
天ノ香具山とする文献
 水野孝夫

2、ホトノヂは
大戸日別国の祖神
 西井健一郎

3、ヤハタの神と
 宇佐八幡宮
 斉藤里喜代

4、連載小説
彩神(カリスマ)
第十話 深津栄美

5、マリアの史料批判
 西村秀己

6、続・「九州年号」
真偽論の系譜
 古賀達也>

7、市民タイムス
太田覚眠と
信州の偉人たち
 松本郁子

本物の歴史に出会えた喜び
事務局便り

 

古田史学会報一覧

ホームページに戻る

◇本物の歴史に出会えた喜び 事務局便り


会員からのお便り

本物の歴史に出会えた喜び

愛媛県周桑郡小松町 今井 久

 私事一九二六年生まれで農業。文字通り無学であります。故に時代は私を軍国皇国少年に仕立てあげました。あげられました。戦前の歴史観に埋まり、敗戦はソ満国境で初年兵として戦場の端くれをくぐり、その後の国家像・価値観の天地のひっくり返る逆転。昨日まで鬼畜米英と言っていた人達指導者が、今日は解放者・民主アメリカと讃えて何ら平然としているのにとまどい、歴史も又同じ事に書き替わり騙されていたと。戦後の歴史をむさぼるように読みあさっていきましたが、何か釈然としないものが心に何時もありまして、何か違ふ、何かおかしいと漠然との思ひが常にありました。歴史諸家の諸説を読んでも思っていました。
 ふとした機会に『「邪馬台国」はなかった』の文庫本を読んだ時の驚きと嬉しさは「これだ。人間の顔が見える。古代の人の生きた声が聞こえる歴史だ」と。それ以来、古田先生の書をさがし求めましたが、如何せん日時が遅すぎましたが、後をふり返っても仕方ない、今からの残り少ない人生を活かしてと思って、七七才にして齢は古田先生と同じようですが「月とスッポン」、俗な言葉ですが勉強させてもらおうと思っています。やっと本物の歴史に出会えたと喜びに日々が充実した思ひでありますが、病弱・遠耳と体のギャップは体をさいなみますが、三度目の正直、騙された思ひは、真実を探そう。人生の最後をこの思ひで満たしたいと思っている次第です。
 此の古田史学の目で周囲の古代遺跡を見るとき、又見る目が深くなります。近所に法安寺と言ふ古寺があります。聖徳太子が伊予に来た(風土記逸文)から太子の建立と云って法隆寺の流れを含むとされていますが、遺物は、私には同意を与えていないと思って、恥ずかしい乍らも一文を追想のかたちで記したりして楽しんでいます。
 周囲の人達に話しても半分冷笑気味に接せられるのが常に「落ち」でして、又同じ郡内で三km程の処に永納山があります。古代山城といふことで先学の人達が調査して文書になっていますが、築造年代・様式・築造者・築造尺度等、問題は何等解明されていないように私には思われます。大和王朝がと、何時もの事、中央指向になって来ています。私は記録にないのだから地元の権力者が、造った王が居たのだと言って居ります。九州の神籠石の意味の一端にあるものだと、独断と偏見かも知れませんが。(中略)
 又法安寺を建立したのは越智益射でないかと幻想しています。『豫章記』の伊予皇子の十五代目でしたか、百男の段に「端正二年庚戌崇峻天皇時立官也。其後都江召喚。背天命流謫也。」とあります。年号を持った天子に仕え、都へとは九州太宰府であると思わざるを得ません。
 永納山の山越えに直線距離にして一km余でしょうか、朝倉村と云ふところに大王級の古墳(円墳・陪塚も含む)と細線式獣帯鏡(中国鏡)出土の古墳(五世紀)四〇メートル×三〇メートルあり。私は地域国家があったと独断していますが、その人達が永納山城を築いたのではないか。白村江以後と周囲は言っているようですが、それでは遅すぎる。又意味をなさない。五〜六世紀であると思っています。(中略)
 先日、これもご縁でせうか何処かに「古田史学の会」が在るはずと四五年来思って来ましたが、新聞の小さな案内が目に入り、合田洋一さんのお誘いをいただき、今回喜んで入会を申し込みました。今後会の発展を願い、私も頑張りたいと思ひます。今の世の逼塞、歴史の行き詰まりは、又次代を準備している者達をつくると歴史は教えています。古田史学は正にそれであると確信して。
          敬具 三月十五日


事務局便り

▼西村稿「マリア」の史料批判は常識を覆す新説。論証方法も実証的で手堅い。
▼長野県の地元紙「市民タイムス」から松本郁子さんの記事を転載(十六頁)。将来が楽しみな研究者だ。
▼記念講演会には全国各地から会員が参加予定。オランダ在住の難波さんも参加される。準備も最終段階。皆様のご協力で成功させたい。
▼過日、古田先生がまぶたの手術をされた。一日も早い回復をお祈り申し上げ、引き続き本会としてはご研究の支援を行っていきたい。@koga


 これは会報の公開です。

新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから

古田史学会報一覧

ホームページへ


Created & Maintaince by" Yukio Yokota"