古田武彦著作集


2010年3月刊行 古代史コレクション3

『盗まれた神話』

記・紀の秘密

ミネルヴァ書房

古田武彦

2013.09.13 校正 正誤表(服部和夫氏校正、有り難うございます)

備  考
52 7 出ずれば 出ずれば  
96 9 「取鹿文」 「取鹿文」  
114 7 ふねのびと ふねのびと 振り仮名、角川文庫版も同様
190 後3 まさかあかつ まさかあかつ 振り仮名、角川文庫版も同様
191 中央 ひこのににぎ ひこのににぎ 振り仮名
226 3 伊奘 伊奘諾  
240 後2 検証の 検証の  
409 8 (長皇子)振り仮名
440 後9 みかき(墻) みかき(宮墻) 振り仮名位置ずれ
412 後4 名古屋(現在、岐阜へ移転) 岐阜(現在、名古屋へ移転)  

 

始めの数字は、目次です。「はしがきーー復刊にあたって」、「はじめに」、「あとがき」は下にあります。

はしがきーー復刊にあたって

はじめに

 【頁】 【目 次】

 001 第一章 謎にみちた二書

001 聖典か、虚妄の史書か/矛から生まれた国/神代紀「一書」の意味するもの/景行、九州大遠征の疑問/韓国の謎

 

 013 第二章 いわゆる戦後史学への批判

013 根本の問い/戦後史学の「割り切り」/不透明の霧/最終の里程標 ーー「川副かわぞえ理論」/説話と史実との間/太鼓の響き/シュリーマン以後/孤在の戦後史学/神話とはなにか?/消された銅鐸神話/権力と神話と/日本神話の稀有の条件

 

 039 第三章 『記・紀』にみる九州王朝

039 熊襲くまその国とはどこか?/仲哀天皇の敗死/死の伝承は変貌する/熊襲と新羅との間/授号の公式/九州王朝との比較/暗殺の公理

 

 055 第四章 蔽われた王朝発展史

055 景行遠征、五つの謎/「巡狩じゅんしゅ」の鍵/五つの疑いを解く/筑紫を原点として/神功紀の謎/タイム・マシンの逆転/木に竹をつぐように・・・/その名は「日本旧記にほんきゅうき」/「日本」という国号/九州王朝史書の成立と性格/真理の断崖/「三種の神器」圏/やりきれぬ『書紀』の手口/「熊」の論理/花咲ける「二国連合」/血縁の伊都国/始源の王者/橿日宮の女王/九州統一王/その名は「前つ君」/「前つ君」の本拠/一大率の秘密/「鹿文」の盗用/とっておきのカード/九州内進展のあと

 

 101 第五章 「盗作」の史書

101 「一書」の真相/「接ぎ木」の史書/「日本旧記」は古記録の集成書/上表文の語るもの/「帰化」とはなにか/『書紀』編者の手法/「帝王本紀」の存在/宙に浮いた史書/天皇皇・国記の運命/「譜第」/「モタラス」の論理性/二段階の註記/おきかえた草薙剣/註記の形式/「新羅」の論証

 

 127 第六章 蜻蛉島あきつしまはどこか

127 七つの大八洲/「シマ」を捨て「クニ」へ/解読のルール/豊秋津とよあきづの真相/中心はやはり筑紫/「トンボの交尾」が左右した/由布院ゆふいん一望譚の出征/もう一つの秋津島

 

 151 第七章 天孫降臨地の解明

151 その降臨の地はどこか/「筑紫=九州」説の背理/筑前の中の日向/四つの問い/天照誕生の聖地/さわやかな訪問/解けたニニギの秘密/大国の発祥/それは「四至」文だった/三つの事実超能力の無理/類似せる地名群/神話地名の表記法/脚光を浴びる「空国」/鮮烈な臨地性/降臨神話の時層

 

 187 第八章 傍流が本流を制した

187 降臨神話はどの王朝のものか?/分流の論証/本流の削除/『旧約聖書」の手法/海幸うみさち・山幸やまさち説話の役割/数奇の運命の子/神武の誕生/神武と日向/九州東岸の地名/高千穂宮の合議/その宮殿はどこに・・・?/惑いと野望/傍流の青年/時間の霧

 

 215 第九章 「皇系造作説」への疑い

215 神武は「虚構の王者」か?/錯誤版「アキツ島」説話/神話と青銅器圏/二大青銅器圏の再吟味/神話と分布圏の対応/壮大な虚像/万世一系の毒/「造作」の動機/二人のハツクニシラス論への疑い/初国と本国/「初」と「肇」を見つめる/「誤読」の系譜/コロンブスの卵/和風諡号論をめぐって/裸の論理/権力の尚古主義/“使い分け”の背理/肌着と礼装

 

 253 第十章 神武東征は果たして架空か

253 二人の彦火火出見/神縁と「ホメロス経験」/神異譚と「シュリーマン以後」/検証の探訪/建国伝説の比較/『キリスト神話』の教訓/乱立する反映説/タギシミミの説話

 

 275 第十一章 侵略の大義名分

275 那珂なか理論の探究/見ようとしなかったもの/最深の秘密/『記・紀』成立の真相/「免責」の思想

 

 283 第十二章 『記』と『紀』のあいだ

283 「削偽定実さくぎていじつ」の命題/梅沢・平田論争/『古事記』の素朴性/『古事記』偽作説

 

 297 第十三章 天照大神はどこにいたか

297 「天国」とはどこか?/難問は解けた!/「日別ひわけ」国の基点は?/海域の島々/「両児島ふたご」は一対の島/その島の名はーー /「天の石屋」はここだ/「オノゴロ島」もつきとめる/仁徳の歌/島を訪れる/二つの用法

 

 329 第十四章 最古王朝の政治地図

329 「天国」の周辺/出雲神話の性格/「挿入」の手口/二人の大国主神/先在した「出雲古事記」/日本版イソップ物語/天孫降臨以前の政治地図

 

 347 結び 真実の面前にて

347 未証みしょう説話/天国以前/あやうかった真実

 353 あとがき

 ーー朝日文庫版あとがきに代えて

 355 補 章 神話と史実の結び目

355 十八年の進展/人話の発見/神の誕生と紀尺/縄文神話/倭国始源の王墓/禁書とはなにか/万葉の真相/『記・紀』成立の秘密/残されたテーマ

 

401 日本の生きた歴史 (三)

401 第一「柿本人麿」論/第二「古事記と銅鐸」論/第三「君が代」/第四「天皇記・国記」論/第五謡曲論/第六「天皇陵」論/第七「先進儀礼」論

 

人名・事項・地名索引

 

※本書中、神名・天皇等の呼称については極力簡略化に従い、『古事記』・『日本書紀』原文の読みくだしもつとめて原表記に立脚した。
※書中引用の論文・著作者名は、前著の場合同様敬称を省略した。非礼御容赦を乞う。

※本書は、朝日文庫版『盗まれた神話』(一九九三年刊)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(三)」を新たに加えたものである。

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古田武彦・古代史コレクション3

『盗まれた神話』
 ーー記・紀の秘密
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2010年 3 月10日 初版第1刷発行

 著 者 古田武彦

 発行者 杉田敬三

 印刷社 江戸宏介

 発行所 株式会社 ミネルヴァ書房

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©古田武彦,2010

ISBN978-4-623-05185-5

   Printed in Japan


はしがき ーー復刊にあたって

        一
 驚いた。謡曲の「翁おきな」の“せりふ”を見たときだ。
 「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう。」
ではじまっている。野上豊一郎編の『解註、謡曲全集(巻一)」(中央公論社)の冒頭である。
 「とう」は、古い「神」の呼び名。関東で「とうばん(当番)」とは、一年間“神の木札”を保持する役割だ。「おとうさん」は“神への呼び名”が父親の意味へと転化したものである。
 四国の足摺(あしずり)岬の「唐人駄場とうじんだば」は、「神」を「とう」と呼ぶ言葉が“もと”になっている。博多や鹿児島の「唐人町」も、同じ「とう」だ。「じん(人)」は「神」の漢音である。“中国人の住んだ町”と解説されているけれど、「漢かん人町」や「宋そう人町」「明みん人町」があるわけではない。本来は「古い神への呼び名」だ。「唐人駄場」が、縄文土器が圧倒的に分布する広場(駄場は“広い祭りの場”)を指しているように、「神」を「とう」と呼ぶのは、まさに「縄文語」なのである。

 

        二

 「たらり」は、「足る」という日本語にもとづく。「たりしほこ」(『隋書』イ妥たい国伝)や「かまたり」(中臣氏)など、人名にも残されている通りだ。その淵源は「縄文以前」の用法なのである。この文言には、その姿がとどめられている。
 それだけではない。第二節に入ると、
 「総角あげまきやとんどや、尋いろばかりやとんどや。」
の言葉がはじまる。この一句のポイント、それは「とんど」だ。正月が過ぎて、子供たちが川原に集まり、お供え物などを焼く、あの行事だ。「とんど」または「どんど」という、火祭りである。日本列島という火山列島で、各地で行われる大切な行事、それが「とんど」である。「とのと」の撥(はつ)音便だ。「と」は「神殿の戸口」、それを“ダブラせて”いる。神殿の中枢で行われる、火祭り。それを指しているのだ。「神聖な水」の流れる川原で行われた。その遺習なのである。それは日本列島の火山の「成立」と共に、古い。当然、「縄文以前」だ。「総角あげまき」や「尋ひろ」と言っているのは、その正月の“晴れ”のときの服装であろう。それらがこの「翁」という謡曲の中に見事に保存され、歌われているのである。

 

        三

 それに尽きない。
 「鶴と亀との齢にて、幸ひ心にまかせたり。」
 「鶴と亀」とは、日本人にとってもっとも“周知”のコンビだ。鶴はシベリアから、この日本列島へ飛来する霊鳥。亀は南米から、同じこの日本列島へ遊泳して産卵に来る神獣。ここ、自分たち日本人の住むところを、地理的に、そして宗教的に、的確に表現した一句なのである。北は黒竜江、北海道方面より、南は太平洋より黒潮に乗って、この列島に合流し、共生した人々が、自分たちの住むところを、もっとも簡明に象徴した一句、それがこの「鶴と亀」だ。縄文以前、旧石器の時代にも、この列島には「北から鶴」「南から亀」が到来していた。それを歌ったものだ。八世紀成立の『古事記』や『日本書紀』、そして『風土記』など、そんな「新しい」時代ではない。
 中国から「文字」の渡来する以前から、わたしたちの祖先は「鶴と亀」を知っていた。それを「口誦」で伝えていた。それがこの謡曲で歌われたのである。
 先日、わたしは翁別(わけ)神社(福岡市東区馬出まいだし二丁目二五)に詣でた。その後、二ケ月、はからずもこの「翁」の“せりふ”に出会った(大下隆司氏による)。神々の歴史は悠遠である。
 意義深き『盗まれた神話』を復刊された、ミネルヴァ書房の杉田啓三社長と田引勝二氏、神谷透氏等の志に厚く謝意をささげたい。

  平成二十一年十一月十五日
                        古田武彦


はじめに

 きのうまで、神話は遠い彼方(かなた)にあった。時の霧によって神秘化され、あいまいさがその一帯を支配していたのである。
 だが、今はちがう。
 神々はどこから来て、どこを通ってどこまで行ったか、また天皇家の祖先はどの地点からどのようにして来たか、その一つ一つの道順がハッキリとわたしの目に焼きついている。あたかも自分の掌(てのひら)にはしる幾筋もの線をじっと見つめている時のように。
 かえりみると、わたしの探究の手もとには、なに一つ変った方法は与えられていなかった。人間の理性の導くところに従って、もつとも常識的な道をひたひたと歩いてきたにすぎない。すなわち、一切の先入観を排し、まず原文全体の表記のルールを見出す。つぎにそのルールによって問題の一つ一つの部分を解読する。 ーーこの方法につきたのである。
 これに対し、戦後史学の「定見」はつぎのようであった。“『記・紀』(古事記・日本書紀)には造作が多い。つまり、その神話や説話は、後代天皇家の史官が勝手に造りあげたものだ”と。天皇絶対主義の史観、ことに戦時中の神話狂乱時代を経験してきた戦後の良識ある人々にとって、ふたたび“火傷やけどせぬため”にも、それはきわめて適切、かつ穏当な見地とされてきたのかもしれぬ。
 だが、わたしにとって、この“穏当さ”にふみとどまり、そこに安住することは許されなかった。なぜなら、 ーーそれはイデオロギーのためではないーー わたしは一切の既成の「定見」に依拠せず、焼けつく大地をはだしで第一歩から歩こう、そのように志したからである。
 『記・紀』神話には、多くの“地図”が内蔵されていた。わたしはそれらを分析し、一枚一枚を積み重ねてみた。ところが、『記・紀』の表記のルールを厳格に守れば守るほど、神々の行動領域はそれらの地図のさし示す所とピッタリ適合した。
 そしてついに ーーそれは思いもかけぬ事件だったーー この本の最後に示されているように、「天孫降臨」当時の政治地図まで発見されることとなったのである。
 ここに、『記・紀』表記のルールに従って析出されたものが、わたしの、夏の夜の脳裏にひらめいた一片の妄想にすぎないのか、それとも、日本古代世界の未見の真実、その「時間の扉」がこれによってはじめて切りひらかれたのか、 ーーその判定はこの本を読み終えた読者ひとりひとりの特権に属しよう。
 その読後の声は、ただひとりこの道を歩むわたしには、いずれも無上の「師の声」である。だが、それとは異なり、イデオロギー上の毀誉褒貶(きよほうへん)がふりそそぐならば、それはわたしにとって、竹の林の上を吹き抜けてゆく夕方の嵐にすぎぬであろう。
 なぜなら、わたしは歴史の荒野のその一隅を、とぼとぼと日の暮れるまで行きつくす旅人、そのような孤立の一探究者として、きのうもきょうも歩みつづけるだけなのであるから。


 あとがき

 この数年間、わたしはひとり、長い長い航海をつづけてきた。『三国志』から中国の歴代史書、さらに今回の『記・紀』に至るまで、“公認”の羅針盤一つたずさえず、ただ古き真実を求めて遍歴してきたのである。
 苦渋の漂流の途次、さまざまの異郷の珍しき光景に遭った。
 そこはあるいはトンボの群れ交う九州の秋の盆地、あるいは少年の日わたしの愛した瀬戸内海の港々であった。または壱岐や対馬に沖ノ島、その夕焼け雲のちぎれて波に浮かぶ海上、または古代の暁のユーモアただよう出雲の海辺であった。
 だが、わたしはそれらの地のいずれにも永くとどまることなく、ふたたびみずからの出発地にたちもどってきたようである。一つのサイクル(周期)は巡り終えた。
 これからわたしのなすべきことはなんだろう。『日本書紀』と共通の性格をになった『風土記』の分析、わたしの探究と考古学的事実とのかかわり合い、そして日本列島の人々の真の始源。それらの課題はわたしの眼前にある。
 けれども、さしあたって今、わたしのなすべきことは、思うに一つしかないであろう。それは一切を忘れ、グッスリと眠りこむことだ。
 ある日、目が覚めると、新たな光景が目に映ずるかもしれぬ。そしてそのとき、わたしのために用意されていたものが、たとえ断頭台のたぐいであったとしても、この本を書き終えたわたしには、もはや動ずべき理由がない。

  昭和四十九年十二月
               古田武彦

 

 ーー朝日文庫版あとがきに代えて

  補 章 神話と史実の結び目

 


『「邪馬台国」はなかった』

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『古代の霧の中から』

『邪馬一国への道標』

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