2024.06.20増補改訂
まとめ 古田史学会 インターネット事務局横田幸男
当会の「聖徳太子」と「日出づる処の天子=多利思北孤」に対する、当会の機関誌『古代に真実を求めて 』と会報の一覧などです
YouTube動画「聖徳太子」を参照下さい。個々にも添付しています。
なお古田武彦氏の関係著作の一覧と関係者の本の一覧を添付しています。
傳聖徳太子真筆本(国宝)であり、日本最古の書物の史料批判として駿々堂から発刊されていた、『古代は沈黙ぜず』(現、ミネルヴァ書房 )の第二篇 「法華義疏」の史料批判 --その史料科学的研究もあります。 日本語PDF電子書籍もここから
明石書店2015.03.25発行
見出しおよび関係リンク一覧
頁
巻頭言
003 真実の「聖徳太子」研究のすすめ[古賀達也]
005 初めて「古田史学」或いは「九州王朝説」に触れられる皆さまへ[西村秀己]
〔特別掲載〕
012 古田武彦講演 深志から始まった九州王朝——真実の誕生[古田武彦]
特集 盗まれた「聖徳太子」伝承
038 《古田武彦氏インタビュー》家永三郎先生との聖徳太子論争から四半世紀を経て[古田武彦]
048 聖徳太子架空説の系譜[水野孝夫]
054 「聖徳太子」による九州の分国[古賀達也]
061 盗まれた分国と能楽の祖——聖徳太子の「六十六ヶ国分国・六十六番のものまね」と多利思北孤[正木裕]
082 盗まれた遷都詔——聖徳太子の「遷都予言」と多利思北孤[正木裕]
091 盗まれた南方諸島の朝貢——聖徳太子の「隋との交流」と多利思北孤[正木裕 会報119号分]
101 九州王朝が勅撰した「三経義疏」[古賀達也]
113 虚構・聖徳太子道後来湯説——『伊予国風土記』を読み解く[合田洋一]
『松前史談』第27号(平成23年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載
134 九州王朝の難波天王寺建立[古賀達也]
143 盗まれた「聖徳」[正木裕]
153 「君が代」の「君」は誰か——倭国王子「利歌彌多弗利」考(会報34号)[古賀達也]
158 法隆寺の中の九州年号——聖徳太子と善光寺如来の手紙の謎(会報15号)[古賀達也]
161 「消息往来」の伝承[岡下英男] 会報116号分]
171 河内戦争——心の自由を求める戦士と名前のないミカドが歴史を変えた[冨川ケイ子]
研究論文
202 もうひとつの海幸・山幸——神代と人代の相似形II [西村秀己](会報121号分)
211 「伊予」と「愛媛」の語源——「言素論」が解き明かす『松前史談』第31号[合田洋一]
(平成27年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載分
218 「景初」鏡と「正始」鏡は、いつ、何のために作られたか -- 薮田嘉一郎氏の考えに従う解釈[岡下英男]
228 関から見た九州王朝[服部静尚]
238 畿内を定めたのは九州王朝か——すべてが繋がった[服部静尚]
資料
246 1 法隆寺金堂の釈迦三尊像光背銘原文
248 2 『隋書』イ妥国伝原文
参考 九州王朝への一切経伝来 ーー『二中歴』一切経伝来記事の考察(古田史学会報12号)へ
善光寺如来と聖徳太子の往復書簡ー九州年号の秘密ー (古田史学会報58号)へ
(『新・古代学』古田武彦とともに 第5集 2001年 新泉社)
一 辛酉年改元の淵源/二 甲午年革令の淵源/三 九州年号と十七条憲法の構造改革
一「釈迦三尊」はなかった(付◆調査成果の意義について 斑鳩町教育委員会 若草伽藍西方の調査)
聖徳太子の伝記の中の九州年号が消された理由(会報148号分)
解説 YouTube講演 2020年5月 聖徳太子の実像 @その1、天王寺と四天王寺 服部静尚
解説You Tube講演 2020年5月 聖徳太子の実像 @その2、十七条憲法は聖徳太子作でない 服部靜尚
聖徳太子の実像@その3、十七条憲法とは 服部靜尚
解説You Tube講演「聖徳太子」は天然痘で薨去した-- 倭国の対外戦争と疫病正木裕
解説YouTube講演 利歌彌多弗利 -- もう一人の聖徳太子 正木裕 https://www.youtube.com/watch?v=PKMJybrTyDw
「聖徳太子」の実像 -- 「日出ずる處の天子」とは誰か 正木裕 https://www.youtube.com/watch?v=5WyCRQNb6rA
YouTube講演 仏教はいかに伝わったのか -- 現世利益の経典 服部静尚 追加【速報】石井公成氏よりお答えをいただけました
奈良新聞 令和4年8月4日木曜日 企画8
機関紙『古代に真実を求めて』と重複しています
https://furutasigaku.jp/jfuruta/simin05/houryuzi.html
https://furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak26/furutawa.html#daiza
見出しのみ掲載
125 第一章 空白の世紀
倭国史書の欠如 彗星歌 二つの滅亡
129 第二章 出現した出雲の金石文
額田部臣 「臣」の不審 「姓」の多元史観 出雲王朝の姓 天皇家の姓 六角連続文 岡田山一号墳
142 第三章 隋朝の南北統一とイ妥国
南朝の滅亡 隋朝への遣使 歴代の倭王朝 イ妥国伝の証言 「多利思北孤」の意義 『隋書』の実例 兄弟統治 天子と年号 イ妥国の律令 イ妥国伝の地理 秦王国とは 秦王国の不定性 竹斯国基点 流求国 国交断絶 正確な国家関係 六角連続文の分布
177 第四章 推古朝の対唐外交
裴世清の帰国 『隋書』と『日本書紀』 「朝貢」の有無 推古朝の遣唐使 十二年のずれ 『隋書』へ認識 元興寺の丈六光銘 裴世清の称号 「宝命」とは唐の高祖の使用語
211 第一章 釈迦三尊の光背銘
百九十六字の銘文 上宮法皇 聖徳太子か 法興元三十一年 登場しない推古天皇 上宮法皇の正体 止利仏師の謎 焼失した本尊 諸史料の中の上宮法皇 研究史の回顧
250 第二章 薬師仏の光背銘
【頁】【目 次】
〈解題〉日本の古代史世界において、最古の自筆原本がある。「法華義疏」と呼ばれる。「聖徳太子の真筆草稿本であり、法隆寺に伝来せられたもの」 ーーこれが「定説」的見地であった(明治維新後、皇室に献上)。
この見地に対して疑問をいだき、史料批判と共に、自然科学的研究方法でこれに対面した。顕微鏡及び電子顕微鏡写真の撮影並びに観察である。その結果、予想もせぬ幾多の事実を検証するに至ったのである。(未発表)
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一般に掲載されない分は別に扱いました。
『仏教史学研究』二六 - 二、昭和五十九年三月
ミネルヴァ書房 大下 隆司 著・山浦 純 著
『松前史談まさきしだん』第27号(平成23年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載
平成22年7月10日 松前町東公民館に於いての講演録
以上
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制作 古田史学の会