『古代に真実を求めて』 第十八集

 


「聖徳太子」と「日出づる処の天子=多利思北孤」

論文一覧

まとめ 古田史学会 インターネット事務局横田幸男

 当会の「聖徳太子」と「日出づる処の天子」に対する、と、当会の機関誌『古代に真実を求めて 』と会報の一覧などです

 加えて古田武彦氏の著作の一覧と関係者の本の一覧を添付しています。

 

①『古代に真実を求めて --盗まれた「聖徳太子」伝承』第十八集

明石書店2015.03.25発行

見出しおよび関係リンク一覧

   巻頭言
003 真実の「聖徳太子」研究のすすめ[古賀達也]
005 初めて「古田史学」或いは「九州王朝説」に触れられる皆さまへ[西村秀己]

〔特別掲載〕
012 古田武彦講演 深志から始まった九州王朝——真実の誕生[古田武彦]


特集 盗まれた「聖徳太子」伝承

038 《古田武彦氏インタビュー》家永三郎先生との聖徳太子論争から四半世紀を経て[古田武彦]
048 聖徳太子架空説の系譜[水野孝夫]
054 「聖徳太子」による九州の分国[古賀達也]
061 盗まれた分国と能楽の祖——聖徳太子の「六十六ヶ国分国・六十六番のものまね」と多利思北孤[正木裕]
082 盗まれた遷都詔——聖徳太子の「遷都予言」と多利思北孤[正木裕]
091 盗まれた南方諸島の朝貢——聖徳太子の「隋との交流」と多利思北孤[正木裕 会報119号分
101 九州王朝が勅撰した「三経義疏」[古賀達也]
113 虚構・聖徳太子道後来湯説——『伊予国風土記』を読み解く[合田洋一]
   『松前史談』第27号(平成23年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載

134 九州王朝の難波天王寺建立[古賀達也]
143 盗まれた「聖徳」[正木裕]
153 「君が代」の「君」は誰か——倭国王子「利歌彌多弗利」考会報34号)[古賀達也]
158 法隆寺の中の九州年号——聖徳太子と善光寺如来の手紙の謎(会報15号)[古賀達也]
161 「消息往来」の伝承[岡下英男] 会報116号分
171 河内戦争——心の自由を求める戦士と名前のないミカドが歴史を変えた[冨川ケイ子]

研究論文
202 もうひとつの海幸・山幸——神代と人代の相似形II [西村秀己](会報121号分)
211 「伊予」と「愛媛」の語源——「言素論」が解き明かす『松前史談』第31号[合田洋一]
(平成27年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載分

218 「景初」鏡と「正始」鏡は、いつ、何のために作られたか -- 薮田嘉一郎氏の考えに従う解釈[岡下英男]
228 関から見た九州王朝[服部静尚]
238 畿内を定めたのは九州王朝か——すべてが繋がった[服部静尚]

資料
246 1 法隆寺金堂の釈迦三尊像光背銘原文
248 2 『隋書』イ妥国伝原文

 

 

②『古代に真実を求めて
     -- 盗まれた「聖徳太子」伝承』第十八集以外

 

 1). 九州王朝仏教史の研究ーー経典受容記事の史料批判 古賀達也(第三集2000.11.30発行)

参考 九州王朝への一切経伝来 ーー『二中歴』一切経伝来記事の考察(古田史学会報12号)へ
   善光寺如来と聖徳太子の往復書簡ー九州年号の秘密ー (古田史学会報58号)へ

2). 「日出ずる処の天子」の時代試論・九州王朝史の復原古賀達也

      (『新・古代学』古田武彦とともに 第5集 2001年 新泉社)

 

 3). 辛酉革命と甲子革令の王朝 ーー九州年号と十七条憲法の史料批判 古賀達也(第五集2002.7.10発行)

一 辛酉年改元の淵源/二 甲午年革令の淵源/三 九州年号と十七条憲法の構造改革

 

 4). [講演記録]「釈迦三尊」はなかった 古田武彦(第九集2006.3.31発行)You Tube講演参照

一「釈迦三尊」はなかった(付◆調査成果の意義について 斑鳩町教育委員会 若草伽藍西方の調査)

 5). 「国県制」と「六十六国分国 」会報上・下 -- 「常陸風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連において 阿部周一(第十六集)

 

 6). 聖徳太子の伝記の中の九州年号 岡下英男(第十七集)

   聖徳太子の伝記の中の九州年号が消された理由(会報148号分)

 

 7). 「廣瀬」「龍田」記事について -- 「灌仏会」、「盂蘭盆会」との関係において(会報118号分) 阿部周一(第十七集)

 

 8). 四天王寺と天王寺  服部静尚(会報126号分)(第十九集)

   解説 YouTube講演 2020年5月 聖徳太子の実像 @その1、天王寺と四天王寺 服部静尚

 

 9). 盗用された「仁王経・金光明経」講説          正木 裕(第十九集)
    -- 古田武彦氏の「持統吉野行幸の三十四年遡上」論証を踏まえて(会報126号分)(第十九集)

 

 10). 鞠智城神籠石山城の考察 古賀達也(第十九集)

 

 11). 「イ妥・多利思北孤・鬼前・干食」の由来        正木 裕(第十九集)
    -- 古田武彦氏の『隋書』イ妥国伝、「釈迦三尊光背名」の解釈を踏まえて(会報130号分

 

 12). 九州王朝にあった二つの「正倉院」の謎 合田洋一(第十九集)

 

 13). 兄弟統治と九州年号「兄弟」 古賀達也第二十集

 

 14). 聖徳太子は九州王朝に実在した -- 十七条憲法の分析より 服部静尚(第二十三集)

    解説You Tube講演  2020年5月 聖徳太子の実像 @その2、十七条憲法は聖徳太子作でない 服部靜尚
                          聖徳太子の実像@その3、十七条憲法とは 服部靜尚

 

 15). 古代の疫病と倭国(九州王朝)の対外戦争 -- 天然痘は多利思北孤の全国統治をもたらした 正木 裕(第二十四集)

 

    【聖徳太子】

16). 二人の聖徳太子「多利思北孤と利歌彌多弗利」[正木裕](第二十五集)

17). 聖徳太子と仏教 -- 石井公成氏に問う[服部静尚](第二十五集)

18). 「鴻臚寺掌客・裴世清=隋・煬帝の遣使」説の妥当性について(第二十五集)
     ―『日本書紀』に於ける所謂「推古朝の遣隋使」の史料批判―[谷本茂]

 

 

③古田史学会報

機関紙『古代に真実を求めて』と重複しています

1). 盗まれた説話 -- 聖徳太子の南岳禅師後身説話と『七代記』の史料批判 古賀達也(会報39号)

 

2). 善光寺如来と聖徳太子の往復書簡 -- 九州年号の秘密 古賀達也(会報58号)

 

3). 「太宰府」建都年代に関する考察 -- 九州年号「倭京」「倭京縄」の史料批判 古賀達也(会報65号)

 

4). 天武九年の「病したまふ天皇」 -- 善光寺文書の『命長の君』の正体 正木裕(会報94号)

 

5). 九州年号「端政」と多利思北孤の事績 正木裕(会報97号)

 

6). 法隆寺の菩薩天子 古賀達也(会報97号)

 

7). 九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について 正木裕(会報104号)


8). 「国県制」と「六十六国分国」 阿部周一(会報108・109号)

 

9). 九州王朝の丙子椒林剣 古賀達也(会報128号)

 

10). 九州王朝の天子の系列 1 多利思北孤・利歌彌多弗利から、唐と礼を争った王子の即位 正木裕 (会報163号)

 

11). 九州王朝の天子の系列2 利歌彌多弗利から、「伊勢王」へ 正木 裕 (会報164号)

 

12).九州王朝の天子の系列(下改め3)『赤渕神社縁起』と伊勢王の事績 正木 裕(会報166号)

 

13). 「壹」から始める古田史学・二十三 磐井没後の九州王朝3 正木裕(会報157号)

 

14). 「壹」から始める古田史学・二十四 多利思北孤の時代Ⅰ 「蘇我・物部戦争」以前 正木 裕(会報158号)

 

15). 「壹」から始める古田史学・二十五多利思北孤の時代II 仏教伝来と「菩薩天子」多利思北孤の誕生正木裕(会報159号)

 

15). 「壹」から始める古田史学・二十六 多利思北孤の時代Ⅲ 倭国の危機と仏教を利用した統治 (会報160号)

 

16). 「壹」から始める古田史学・二十七多利思北孤の時代IV多元史観で見直す「蘇我・物部戦争(丁未の乱)」正木 裕(会報161号)

 

17). 「壹」から始める古田史学・二十八 多利思北孤の時代Ⅴ 多元史観で見直す「捕鳥部萬討伐譚」 正木 裕 (会報162号)

 

18). 「壹」から始める古田史学・二十九 多利思北孤の時代Ⅵ 多利思北孤の事績 正木裕 (会報163号)

 

19). 「壹」から始める古田史学・三十 多利思北孤の時代ⅥI 多利思北孤の新羅征服戦はなかった  正木裕(会報164号)


20). 「壹」から始める古田史学・三十一多利思北孤の時代Ⅷ「小野妹子の遣唐使」記事とは何か 正木裕

 

21). 「壹」から始める古田史学 ・三十二多利思北孤の時代 Ⅸ多利思北孤の「太宰府遷都」 正木裕../kaiho166/kai16606.html

 

22). 「壹」から始める古田史学 ・三十三 多利思北孤の時代 Ⅹ 多利思北孤と九州年号と「法興」年号 正木裕(会報167号)

 

23). 「壹」から始める古田史学 三十五 多利思北孤の時代⑪ 多利思北孤の「東方遷居」について 正木裕(169号)../kaiho169/kai16906.html

 

24). 「壹」から始める古田史学 多利思北孤の時代⑪ -- もう一人の聖徳太子「利歌彌多弗利」 正木裕(170号)../kaiho170/kai17005.html

 

25). 「高良玉垂大菩薩」から「菩薩天子多利思北孤」へ 正木裕( (会報162号)

 

26). 「倭国年号」と「仏教」の関係 阿部周一(会報157号)

 



『古代は輝いていたIII  ーー法隆寺の中の九州王朝』古田武彦

2014年 7月刊行 古田武彦・古代史コレクション21

見出しのみ掲載

第三部 六、七世紀の東アジアと日本列島

125 第一章 空白の世紀
   倭国史書の欠如 彗星歌 二つの滅亡

129 第二章 出現した出雲の金石文
   額田部臣 「臣」の不審 「姓」の多元史観 出雲王朝の姓 天皇家の姓 六角連続文 岡田山一号墳
142 第三章 隋朝の南北統一とイ妥国
   南朝の滅亡 隋朝への遣使 歴代の倭王朝 イ妥国伝の証言 「多利思北孤」の意義 『隋書』の実例 兄弟統治 天子と年号 イ妥国の律令 イ妥国伝の地理 秦王国とは 秦王国の不定性 竹斯国基点 流求国 国交断絶 正確な国家関係 六角連続文の分布
177 第四章 推古朝の対唐外交
   裴世清の帰国 『隋書』と『日本書紀』 「朝貢」の有無 推古朝の遣唐使 十二年のずれ 『隋書』へ認識 元興寺の丈六光銘 裴世清の称号 「宝命」とは唐の高祖の使用語

第四部  法隆寺の中の二つの金石文

211 第一章 釈迦三尊の光背銘
   百九十六字の銘文 上宮法皇 聖徳太子か 法興元三十一年 登場しない推古天皇 上宮法皇の正体 止利仏師の謎 焼失した本尊 諸史料の中の上宮法皇 研究史の回顧
250 第二章 薬師仏の光背銘

 

 

『古代は沈黙せず』古田武彦 ミネルヴァ書房

2012年1月刊行 古田武彦・古代史コレクション9

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029 第二篇 「法華義疏」の史料批判 --その史料科学的研究

〈解題〉日本の古代史世界において、最古の自筆原本がある。「法華義疏」と呼ばれる。「聖徳太子の真筆草稿本であり、法隆寺に伝来せられたもの」 ーーこれが「定説」的見地であった(明治維新後、皇室に献上)。
     この見地に対して疑問をいだき、史料批判と共に、自然科学的研究方法でこれに対面した。顕微鏡及び電子顕微鏡写真の撮影並びに観察である。その結果、予想もせぬ幾多の事実を検証するに至ったのである。(未発表)

 

 

⑥『聖徳太子論争』市民の古代 別巻1(新泉社 市民の古代研究会編)

1989(H01).10.01 106 古田武彦、家永三郎

⑦学術雑誌掲載論文

一般に掲載されない分は別に扱いました。

1). 「法隆寺釈迦三尊の史料批判 ーー光背銘文をめぐって」

 『仏教史学研究』二六 - 二、昭和五十九年三月

 

⑧関係著書

1). なかった別冊2 『「日出処の天子」は誰か -- よみがえる古代の真実』

   ミネルヴァ書房 大下 隆司 著・山浦 純 著

 

2). 聖徳太子の虚像 -- 道後来湯説の真実 合田洋一

    『松前史談まさきしだん』第27号(平成23年3月 愛媛県伊予郡松前町松前史談会編)から転載
    平成22年7月10日 松前町東公民館に於いての講演録

以上 


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