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柳田民俗学批判--歴史の欠落をめぐって 報告要旨(2010年10月17日 古田武彦) 多元的古代研究会編
古田武彦
始めの数字は、目次です。
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i はしがきーー復刊にあたって
iv はじめに
古代につながる後陣乗太鼓 青春の中の小林秀雄 小林秀雄の宣長観 銅鐸の不在 --古事記 「見る名人」の盲点 本居、小林の共通項 宣長の前提に「皇国」あり 国生み神話のリアリズム 古事記の真実性 侵入者の神話 史実が語る神武実在 天皇家以前に国家あり 祖師の説に疑いあり
漁民の話 阿麻氏*留神社を訪ねて 天照大神の“本籍地” 「天国」のありかは対馬海流圏 「天照大神」の“読み”が語るものは 九州王朝説を裏付ける筑紫舞 記・紀神話は筑紫でつくられた 大国主命の家来だった天照大神 主神になった天照大神 知られなかった阿麻氏*留神話 神話群から生れた記・紀神話 柳田国男に採取されなかった阿麻氏*留神話 柳田国男の学問姿勢 柳田民俗学に欠けていた命題 時間軸の欠落した民俗学
氏*は、氏の下に一。JIS第3水準ユニコード6C10
疑惑の長歌 大和は代々の都であったか 天皇とは天智をさしているのか リアルな遷都の描写 二つの近江遷都 都の留守居役の存在 不吉な反乱 湖面に消えた忍熊王 屍を追う武内宿禰の執念 昔を歌い今を想う 見逃された二重構造 万葉研究の底流に疑義あり
大国村の伝承 継承された縄文一万年の神々 信仰圏の主神は大国主 矛盾する行動の記述 二つの倭が存在した! 出雲より倭国=筑紫へ 「沖つ鳥」とは? 対馬海流を上って再転用された用語法 御諸山とは三輪山か 宣長説の致命的弱点 遠賀川中流域の神 四年目の到達
“おほきみのとほのみかど”とは何か 偏った分布地図 初めに「東国万葉集」あり 先人の解釈を追う うけ継がれる「定説」 「定説」への疑問 万葉集の全用例を検証する 全例が「中央権力機構」を指す “近畿の天皇にとっての朝庭” “中心の場”としての筑紫 国名としての筑紫 地名としての日向 転用者は大伴家持のみ 越の国は継体の出身地 家持と越の国を結ぶ縁 近畿独尊主義の崩壊 求められる新・万葉学
衝撃の論文との出会い いくつかの素朴な疑問 酒匂筆跡の再検証 回避された「筆跡」問題 ゆがめられた研究史 倭とは九州王朝の派遣軍である 王健群氏の誤謬 客観的存在としての国境 朝鮮半島内に倭地あり 倭国とは邪馬一国 教科書も無視する「倭=九州王朝」説
定説を刺す三五八本の「剣」 基軸をなす「出雲と筑紫」の関係 出雲は大和朝廷下の地域史にあらず 大和朝廷中心主義者の矛盾 自然地理的用法にそって原文を読む 封建の大家への盲従 紀の編者による偽作 逆立ちした皇国史観 出雲から筑紫への主権変動 縄文期に成立した「国引き神話」 黒曜石文化との照合 出雲から諏訪湖へ 聖なる湖を中心とする縄文信仰 日本海全域を舞台にした神話
古典を軽侮する現代 謎の固有名詞 記された原初的な倭人 孔子も知っていた 「天鄙」への旅 「天日」とめぐり会う 現代に生きる三世紀の読み 縄文期に集団あり 出雲の大建築物 「円形神殿」の出土 モデルは「天の日栖の宮」 「天の日栖の宮」はどこにあったか 日栖=ひす 「日」の集積される地帯 縄文期の海上都市 黒曜石は何と呼ばれていたか
再会の喜び エバンス氏を偲んで 好運に恵まれる 永年の疑問を質す 待たれる日本の学者の訪問 未知への夜明け
〈付〉貴重なエバンス説への反論 ーー西藤氏の場合
青年史家・陳寿の志 槿花一朝の夢 悲運の中でのめぐりあい いわれなき悪評 死して名誉をうる
395 あとがき
249 第一 弥生の土笛論
253 第二 「詩のはじまり」論
255 第三 「定型(五・七・五・七・七)」論
259 第四 大逆事件と民俗学
262 第五 「女神石」(線刻礫)の伝播論
268 第六 「天目」の原点論
274 第七 陳寿論
1~5 人名・事項・地名索引
※本書は、駸々堂出版刊『古代史を疑う』(一九八五年刊)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(八)」を新たに加えたものである。
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古田武彦・古代史コレクション8
『古代史を疑う』
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2011年 12月30日 初版第1刷発行
著 者 古 田 武 彦
発行者 杉 田 敬 三
印刷社 江 戸 宏 介
発行所 株式会社 ミネルヴァ書房
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© 古田武彦, 2011 共同印刷工業・藤沢製本
ISBN978-4-623-06056-6
Printed in Japan