古田武彦[著]
古田武彦と古代史を研究する会[編]
始めの数字は、目次です。
【頁】【目 次】
i はしがき 古田武彦
003 国家の選挙
010 角川文庫
017 立花隆 -- 「鳥越憲三郎」説
027 松本健一 -- 「日の丸・君が代」論
036 大前和秀氏と原子爆弾
048 ケンブリッジ
055 訃報 -- 平野・藤田氏
064 原田夏子さん
075 「いじめ」の真相
082 「いじめ」の運命
089 本音の教育論
097 教育立国論 -- すべての政治家に告ぐ
107 科研と土建
114 手術のあと
119 時代の真相
127 軍事汚染
135 「西松建設」事件
146 真の「天の声」
153 沖縄問題の本質 -- 新国防論
157 「沖縄よ」
165 日本戦略
179 歴史への提言
192 自殺論
200 冤罪論
207 吉本隆明の証言
216 黒澤明の発見 -- 「白痴」
223 坂本龍馬の夢
233 「万世一系」の史料批判
237 日本思想史学批判 -- 「万世一系」論と現代メディア
245 万世一系論と近現代教育
255 日本批判
282 日本車(にほんしゃ・和訓ひのもとぐるま)
294 尺寸せきすんの地を我に与えよ -- 「ヒロシマ」の記念塔
305 原水爆論 -- ヒロシマ・ナガサキはアウシュヴィッツである
309 なぜ政治に関心がないか -- 原発全廃論をめぐって
317 国破れて原発残る
328 人間の道理 -- 「生球」論
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古田武彦・歴史の探究3
現代を読み解く歴史観
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2013年 4月30日 初版第1刷発行
著 者 古 田 武 彦
発行者 杉 田 敬 三
印刷社 江 戸 宏 介
発行所 株式会社 ミネルヴァ書房
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© 古田武彦, 2013 共同印刷工業・兼文堂
ISBN978-4-623-06494-6
Printed in Japan
古田武彦と古代史を研究する会 編集担当 平松健
第一巻や第二巻を読まれた方には、古田武彦先生は、まさに「知の巨人」であるというイメージを持って頂いたと思いますが、文字通り、古今東西を問わず、歴史、政治、宗教、哲学、文学に到るまで、くまなく研究している大思想家であると言って過言ではないと思います。
第三巻は今までと若干趣を変え、主として現代のテーマに的を絞りました。「温故知新」という言葉がありますが、これは過去を正確に知り、理解してこそ、現代を知り、論じることができるということだと私は理解しています。古田先生は、故きを温ね、極めておられるからこそ、新しい問題を的確に把握し、我々の行くべき道を、指し示しておられます。本書では、現代をときめく評論家よりも、はるかに説得力のある思想を読み取って頂けると思います。逆に、現在において説得性があること自体、過去の問題に対しても古田説が正しいということを意味するものだと思います。
古田先生は、言ってみれば、現在のソクラテスであり、ガリレオだと思います。しかし残念にしてソクラテスもガリレオも当時の世間には受け入れられませんでした。ガリレオの地動説が、その当時、中には正しいと思っていた人がいたにしても、結局いろいろのしがらみから、否定されたと同じように、古田説が正しいと思いながら、いろいろのしがらみから、古田説が「なかった」ことにされている現在の姿は、大いに共通するところがあります。誠に憂うべきことです。
古田説が無視される最大の要因は、「邪馬壹国=博多湾岸」ということではありません。その段階では、まだ世の学者は自説を曲げず、メシを食っていけます。最大の要因は七〇一年までは「九州王朝」が日本の支配者であったということです。これを認めると、日本のほとんどの学者の、今まで営々と築いてきた自分の地位が崩れ去ることになります。これは容易なことではありません。学者のみならず、その家族が路頭に迷えば、学者は、古田説を無視するしかないのです。
もう一つ古田説が無視される要因に「東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし」があります。これは和田喜八郎による偽書であるのに、それを真書とするような古田説は根本から間違っているという説に通じます。二〇〇六年十一月十日の「寛政原本」の発見により、偽書説は完全に否定されました。にもかかわらず学界は完全にそれを無視しています。要するに偽書説のままでおれば、同時に古田説の否定にもなるから、自分たちの旧来の説は肯定されるという、全くの打算からです。
およそ、学者の世界ほど学問的でない所はないと言えましょう。弟子が師の説を否定すると、永久に師にはなれません。これは歴史学・考古学のみならずほとんどの学界でそうです。最も進んでいるはずの原子力の分野でさえそうです(本巻三〇九ぺージ以下参照)。そんなところに本当に学問の進歩があるでしょうか。
学問といえば、我々の生活に直結しているものに国語学があります。これも、ミネルヴァ書房の岩崎さんから教えて頂いた件ですが、感歎の「歎」という字が、辞書によって違うということです。そう言われてよく調べてみると、愛用している『広辞苑』でも『漢字源』でも「歎」の「偏」の頭が「くさかんむり( )」になっています。「感嘆」の「嘆」の旁(つくり)の方です。もう一方で、これも愛用している『学研漢和大辞典』や『辞林』ではちゃんと「歎」となっています。
若干の僻みかもしれませんが、私にはどうも岩波書店(『広辞苑』発行元)の驕りのように思えて仕方がありません。岩波文庫の『魏志倭人伝他三伝』には「会稽東治」を「会稽東冶」に書き換え、隋書「イ妥国伝」を「倭国伝」に書き換え、同じ倭国伝の中の「多利思北孤」は「多利思比孤」に書き換えております。『日本古典文学大系 古事記祝詞』では、原典では「弟」とあるものを「矛」と直しています。恐ろしいのはそれがあたかも原典にあるかのようになってしまうことです。岩波書店や編集者が勝手に漢字を変えると、通常の読者は原典にもそうあると取ってしまうのです。
古田説の構築の基礎に、原典を勝手にいじらないということがあります。代表的な例が「壹」と「臺」です。すべての版本に「邪馬壹国」とあるものを、これでは「やまと」と読めない、「邪馬臺国」の誤りだとして、勝手に訂正するのが通常です。しかし古田説の手法は、原典にある「壹」や「臺」のすべて、文字通り「すべて」の用例を摘出して、検討を加えることです。そうすると、勝手に訂正することが誤りであることが分かります。しかしそうなると、従来説の否定になるので、学者は、古田説を「シカト」することになります。
古田先生が常に言われるのは、孔子の「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」です。同時に「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」です。世の中のすべての学者が堂々と意見を変える、そうすると、皆が、かえってその学者を信頼する、そういうような世界が一日も早く来ることを期待しております。