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お断り:当会ホームページに掲載されている合田洋一氏の論説に対する史料批判は、これらの本で確認してください。
葬られた驚愕の古代史
越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや
創風社出版
合田洋一
目次
001 刊行にあたって
011 第一編 伊予に在った古代王国「越智国おちのくに」
011 一、越智国の曙
016 二、越智国の残映
1. 遺跡・古墳 2. 史書・伝承・行宮跡・遺構
028 三、越智国の領域とその都
034 四、越智国と出雲王朝
038 五、越智氏の出自 -- 「オチ」元は「コチ」だった
1.神話時代の越智氏の系譜 2. 「オチ」元は「コチ」だった 3. 「小千」から「越智」に改姓
050 結語
053 第二編 「日出ずる処の天子・多利思北孤たりしほこ」の伊予行幸
053 一、聖徳太子は虚像だった
1.松山・道後温泉の“珠玉の伝承” 2. 聖徳太子は『日本書紀』にもいなかった。 2.「釈迦三尊像」の微笑み -- 光背銘が示すもの
065 二、『隋書ずいしょ』「イ妥国伝たいこくでん」が物語る九州王朝
1.イ妥国は何処にありや 2. 聖徳太子に擬せられた「天子・多利思北孤たりしひほこ」
079 三、『伊予国風土記』を読み解く -- 五度の行幸の真実
083 四、「温湯碑」が語る真実
1.「温湯碑」の主役は「神井しんせい」 2. 「温湯碑」と称された石碑とは
102 結語
105 第三編 万葉集を彩る九州王朝の天子・中皇命なかのすめらみこととは
105 一、中皇命の人物像に迫る
107 二、「中皇命」は法名であった
108 三、中皇命の天子名は舒明じょみょう・皇后は斉明さいみょう
110 四、伊予における舒明の足跡 -- 「温湯宮おんとうのみや」
113 結語
115 第四編 九州王朝の天子・斉明さいみょうと熟田津にぎたつ
115 一、斉明は九州王朝の天子であり皇極と斉明は同一人物ではない
119 二、天子・斉明の越智国における足跡
122 三、「熟田津にぎたつ石湯行宮いわゆのかりみや」の比定地
128 四、「万葉八番歌」の熟田津
136 五、袁智おち天皇とは
139 六、娜大津なのおおつの長津宮考 -- 斉明紀・天智紀の長津宮は宇摩国長津に在った
1.史料の検証 2. 郷土史に見る「娜大津の長津宮」 3. 長津宮 4. 宝塚 5. 磐瀬宮 6.皇子塚・東宮
156 七、越智国・宇摩国に遺る「九州年号」
1.越智国の史書・伝承に遺る九州年号 2. 宇摩国の史書・伝承に遺る九州年号 3. 奉納面に遺る九州年号 4. 墓碑(宝篋印塔)に遺る九州年号
163 八、斉明天子崩御の地
166 結語
168 第五編 永納山古代山城築造の背景
168 一、神籠石城こうごいしじょう・朝鮮式古代山城・水城みずき
174 二、永納山古代山城
176 結語
180 第六編 九州王朝存在の証あかし -- 「評ひょう」による証言
180 一、郡評問題
181 二、筑紫都督府
185 三、評が示す伊予国
189 結語
190 第七編 越智国に「紫宸殿ししんでん」あり 九州王朝の幻の首都だった
190 一、越智国の「紫宸殿」と「天皇」地名
192 二、「紫宸殿」名称がわが国へもたらされたのはいつか
194 三、越智国「紫宸殿」の造営時期と主人公
200 四、その後の「紫宸殿」
202 結語
209 第八編 天武天皇の謎 -- 「万世一系」系図作成の真相
209 一、天武天皇通説の人物像
211 二、『日本書紀』は天武天皇のために編纂された
212 三、天武天皇の后たち -- 天智の娘四人が天武の妻となった
214 四、天武天皇は天智天皇の実弟ではない
216 五、天武天皇の前称号「大皇弟だいこうてい」の真実
220 六、天武天皇の諱いみな「真人まひと」とは
221 七、斉明天皇と天武天皇は親子ではない
224 八、「壬申じんしんの乱」の真実
1.「紀」が語る「馬の走行に関する記事の信憑性」について 2. 「壬申の乱」で語られた“吉野”の舞台は、大和の吉野ではなく肥前の吉野であった 3. 「倭京」とは「近飛鳥ちかつあすか」と「遠飛鳥とおつあすか」
227 九、天智天皇の死は病死か暗殺か -- 陵墓の不思議
231 十、天武天皇は「近畿天皇家」を簒奪した -- それは「易姓革命」の序章だった
234 十一、天武天皇及びその後継者は何故「九州王朝」を抹殺したのか
1.中国に敵対した国は“なかった”ことにする 2. 「「万世一系・近畿王朝一元史観」の系図の作成 3. 日本国の首都を国の中心にもって来る
240 十二、天武系の天皇が皇室の仏式・神式の祭祀から除外されたのは何を物語るか
241 結語
243 第九編 「九州王朝」の終焉と新生「日本国」の成立
-- 「九州王朝」と共に越智国ほか列島の国々は“なかった”ことにされた
243 一、「多元史観」による「九州王朝説」の根拠
244 二、中国史書に見る「九州王朝説」の概要
248 三、「九州王朝」の終焉と新生「日本国」の成立 -- 王朝交代は禅譲か放伐か
255 結語
258 追編「古代史の万華鏡まんげきょう」
258 一稿、「九州王朝」にあった二つの「正倉院」の謎
269 二稿、「伊予」と「愛媛」の語源 -- 「言素論」が解き明かす
282 三稿、伊予国府の比定地 -- 国分こくぶ・古国分ふるこくぶの地名考察
297 四稿、風早に南海道の発見と伊予の「前・中・後」
305 五稿、〈エッセイ〉「高*御産巣日神たかみむすひのかみ」対馬漂着伝承の一考察
318 〈付録〉「伊予国内大型古墳分布一覧と国々の推定領域」
「九州王朝・倭国の略系図」
320 あとがき
322 拙書・拙稿一覧
葬られた驚愕の古代史
越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや
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2018年 5月25日発行 定価*本体2800円+税
著 者 合 田 洋 一
発行者 大 早 友 章
発行所 創 風 社 出 版
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©2008 Youichi Gouda ISBN978-4-86037-258-3
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