横田個人で行っていたホームページが、会として行うことになりました。それを契機にホームページの組み替えを行いました。英語のページと日本語のページを分離して、観やすいように工夫しました。
また一部著作権に対する議論が問題になるところを明示しました。私どもは基本的にインターネットを、公開の場と捉えています。ですから、どのような問題も明示することにより、営業行為と区分できれば、問題はないものとの理解に立っています。全てのドキュメントは、全て学術論文とその要約、及びそれに付属するものです。又アイデアを尊重し誰が一番初めに考えたかを明確にするため、引用先を明示しています。
また会の運営するホームページではありますが、現実は一人の人間が日常の仕事を行いながら制作しています。6ヵ月に1回(1月、6月)ぐらいに皆さんが関心を寄せておられることを中心に、古田氏の承諾を得て載せたいと考えております。出来れば英語版を必ず付加したいと思っています。過去に誤字・脱字等も見受けられ、皆さんに御迷惑をお掛けするかも知れませんが、よろしくお願い致します。その他の点も含めて気付いた点が有りましたら御連絡下さい。
(2024.05.10)
追記忘備録として離れて記載していたものを再修正して再掲載しました。
2001年7月1日 プロバイダーであるXAXONが営業を停止しましたので、紹介いただいたドリームネットに移動しました。ハードディスクの容量が20MB近くになりました。
2001年10月1日 ドリームネットからアルファインタネットに移動して、独自ドメインwww.furutasigaku.jpを取得しました。
以後ドメインは継続していますので、ホームページアドレスとメール名は固定しています。
2005年1月23日英語版が7万人を超えました。
2005年1月28日日本語版が17万人を超えました。
2010年12月31日 日本語ドメイン 古田史学.JPを収得
1996年10月 1日
1997年 1月10日
1997年 4月10日
1997年 6月 1日
1997年 7月 1日
天孫降臨の真実(the Truth of "Descent from Heaven")を英語版と日本語版に分離し、ホームページを一新。
1998年 1月10日
1998年 6月30日
足摺岬周辺の巨大遺構(The Giant Stones Around Ashizuri Cape)と付属日本の縄文地図(with
a Map of Japanese Jomon period sites & Ashizuri Cape)を掲載する
さよなら!「邪馬台国」も掲載する
1998年 9月 1日
1999年 2月 1日
1999年 7月 1日
1999年 8月 5日
万葉の覚醒シリーズを企画。これは雄略ではない(None of this poem was composed by King Yuryaku)を掲載
1999年 8月 5日
「日の丸」と「君が代」の歴史と自然認識について(古田史学会報 No. 33 1999年 8月 8日)を掲載
1999年 12月 1日
2000年 1月 10日
2000年 6月 20日
2000年 6月 20日
2000年 6月 25日
2000年 9月 10日
2000年11月 20日
2000年11月 30日
2000年12月 15日
2001年 1月 10日
2001年 8月 10日
2001年 7月 1日
xaxonが業務を停止、紹介されたdream.comへ移動。
アクセスアドレスの変更
www.os.xaxon.ne.jp/‾sinkodai/ →http://plaza14.mbn.or.jp/‾sinkodai
メールアドレスの変更
sinkodai@os.xaxon.ne.jp→sinkodai@dream.com
2001年10月 1日
アルファインタネットをメインにして、ホームページを設置
独自ドメインwww.furutasigaku.jpを取得(2003年10月まで併用)
メールアドレスの共用(2003年10月まで併用)
sinkodai@furutasigaku.jp
2001年10月 1日
4260th and 4261st : none of composed for Imperial Family in Ohmi
四千二百六十番と四千二百六十一番:これらの歌も近江で近畿天皇家に奉(たてまつ)られた歌ではない
2002年 1月 15日
日本の原理主義批判(FUNDAMENTALISM OF JAPAN) -KYUSHU DYNASTY PRECEDING KINK EMPEROR-
2002年 6月 30日
2002年 8月 5日史料として古田史学会報1号より35号まで掲載
2003年 3月 1日
2003年 8月 5日 史料として古田史学会報1号より41号まで掲載
2004年 3月 1日 日本語電子書籍(PDF)『中村幸雄論集』 を掲載。
2004年 6月
闘論コーナーを新設、「天孫降臨と神武東征」、「短里と二倍年暦」、「九州年号」を掲載、後「法隆寺移築論争」を掲載
2004年 8月 5日 史料として古田史学会報1号より47号まで掲載
2004年 9月15日 古田武彦講演記録として、日本語電子書籍(PDF)6件を掲載、後に1月に一件を追加。
2004年12月 5日 手作り古田史学「いろは歌留多」を掲載
2005年 1月
2007年 1月 9日 中国語版を掲載
2007年 5月 10日 日本語版が32万人を超えました
2007年 8月 13日 日本語版が34万人を超えました
2007年 8月 25日
「邪馬台国論争は終った=その地点から」を掲載
(『続・邪馬台国のすべて』(朝日新聞社 1977年)
古代史と国家権力ー津田史学を批判するー(古田武彦)を掲載
(『情況』1993年月 4月号より)
『邪馬壹国の論理』(1975年10月、古田武彦)を掲載
竹村順弘氏の協力で全て掲載できました。
2007年11月20日 日本語版が36万人を越えました。
2007年12月25日 古田史学会報を61−68号を掲載。
古代の琴(増田修氏 『市民の古代』第11集)を掲載
倭国の暦法と時刻制度(増田修氏 『市民の古代』第16集)
2008年 1月 7日 日本語版が37万人を越えました。
2008年 2月20日
機関誌『古代に真実を求めて』の索引と案内を作成。これで関連雑誌の見出しをすべて収録。
古田史学会報を69号まで公開。これで「古賀事務局長の洛外洛中日記」と接続できました。
新設の九州王朝欄に九州年号総覧と『市民の古代』11集に「九州年号」目録を掲載
九州王朝説からみる『日本書紀』成書過程と区分の検証(三宅利喜男氏 『市民の古代』15集)
続『日本書紀』成書過程の検証(三宅利喜男氏 『市民の古代』16集)を掲載
2008年 2月25日 日本語版が38万人を越えました。
2008年 4月10日 日本語版が39万人を越えました。
冨川ケイ子氏の協力により、古田武彦講演記録を掲載
金石文と史料批判の方法(『市民の古代』10集)
歴史の歌の真実(『市民の古代』14集)
2008年 5月24日 日本語版が40万人を越えました。
2008年 7月 6日 日本語版が41万人を越えました。
2、金石文再検討について 編集部(『市民の古代』第10集)を掲載
日本古代碑の再検討 藤田友治(『市民の古代』第10集)
削られた多胡碑 藤田友治(『市民の古代』第8集)
3、多湖碑の「羊」と羊太夫伝承 増田修(『市民の古代』第10集)を掲載
多湖碑と羊太夫伝説に関する文献目録 増田 修・柳川美紀子・横山妙子
4, 倭国の律令−筑紫君磐井と日出処天子の国の法律制度− 増田 修(『市民の古代』第14集)を掲載
5、『常陸風土記』に現れた楽器 増田修(『市民の古代』第13集)
解説 常陸国風土記研究文献目録 増田 修
研究文献目録 増田修・横山妙子作成(『市民の古代』第12集)を掲載
1,古田武彦著作目録(PDF版)林研心氏が作成したものを掲載
2,第四章 幻の筑紫舞『よみがえる九州王朝』(徳間選書 目次)を掲載
2009年 7月 10日 日本語版が50万人を越えました。
『吉野ヶ里の秘密』(光文社)を掲載。
2009年 9月 22日 日本語版が52万人を越えたことにします。(カウンタが壊れたので、笑い)
2009年11月 2日 日本語版が53万人を越えました。
1古田史学会報を72号から82号まで公開
2、講演親鸞の伝承と史料批判(『なかった』第四集)古田武彦を掲載
3,「太安万侶墓誌」干支の謎を解く(『新・古代学』第六集)洞田一典を掲載
4,「神功紀」の謎(『新・古代学』第六集)今井俊圀を掲載
5,『なかった ーー真実の歴史学』第六号 ミネルヴァ書房
直接編集 古田武彦 の見出しと下記の項目を掲載
序言・中言・末言 第六号
丸山雍成『邪馬台国 ーー魏使が歩いた道』をめぐって 古田武彦
西谷正『魏志倭人伝の考古学』をめぐって 古田武彦
敵祭ーー松本清張さんへの書簡 第六回 古田武彦
冨谷至「錯誤と漢籍」を読む 古田武彦
安本美典『「邪馬台国畿内説」徹底批判』を読む 古田武彦
2010年 1月 19日 日本語版が55万人を越えました。
2010年 2月 25日 日本語版が56万人を越えました。
2010年 3月 15日 『「邪馬台国」はなかった』(ミネルヴァ書房)の目次と各章の第一節を掲載。
2010年 4月 4日 日本語版が57万人を越えました。
巻頭対談 虹の架け橋 ロンドンと京都の対話 森嶋通夫・古田武彦(『新・古代学』第4集)を掲載
2010年 5月 10日 日本語版が58万人を越えました。
2010年 8月 27日 日本語版が61万人を越えました。
講演記録「万葉集は歴史をくつがえす」(『新・古代学』第六集 古田武彦)を冨川ケイ子さんの協力により掲載
古田武彦講演録「神と人麻呂の運命」(『古代に真実を求めて』 第五集)、
「神話実験と倭人伝の全貌」(『古代に真実を求めて』 第六集)を掲載
2010年 9月 30日 日本語版が62万人を越えました。 iPad効果か?
2010年12月 10日 日本語版が64万人を越えました。
『神の運命ーー歴史の導くところへ』古田武彦の内、
近代法の論理と宗教の運命ーー“信教の自由”の批判的考察を掲載
「邪馬台国」はなかった |
2010年1月刊行 古代史コレクション1 |
失われた九州王朝 |
2010年2月刊行 古代史コレクション2 ミネルヴァ書房 |
盗まれた神話 記・紀の秘密 |
2010年3月刊行 古代史コレクション3 ミネルヴァ書房 |
邪馬壹国の論理 古代に真実を求めて |
2010年6月刊行 古代史コレクション4 |
ここに古代王朝ありき 邪馬一国の考古学 |
2010年9月刊行 古代史コレクション5 ミネルヴァ書房 |
2010年12月刊行 古代史コレクション6 |
2010年12月 25日 (講演記録)歴史の曲がり角と出雲弁ー人類の古典批判ー
王朝の本質ー九州王朝から東北王朝へー(『古代に真実を求めて』第七集)
2010年12月31日 日本語ドメイン 古田史学.JPを収得
2010年12月中旬〜2011年2月上旬 ウィンドウズのInternet explorerのみ、ホームページが文字化け
12月7日アルファインターネット上位接続回線切り替え、
12月17日Internet explorerの不都合を認める それぞれがどう関係するかしないか不明
2011年 1月 15日 文字化け・カウンターが壊れたため再出発 65万人からカウンターを再出発
2011年 2月 22日 日本語版が66万人を超えました。
2011年 3月 26日 カウンターが壊れたため再出発 65万六千人からカウンターを再出発
1,邪馬壹国から九州王朝へ 古田武彦(『シンポジウム 邪馬壹国から九州王朝へ』新泉社)を掲載
2,「君が代」と九州王朝 古田武彦(『シンポジウム 倭国の源流と九州王朝』 新泉社)を掲載
3,I天皇家一元史観からの脱却 古田武彦(『シンポジウム『天皇学事始め』』 論創社)を掲載
2011年 4月 12日 日本語版が66万を超えました。
1、“人間、古田武彦さんとの出会い”難波收を掲載(『新・古代学』第一集)
2,オランダの支石墓「ヒューネベット」難波収を掲載(『古代に真実を求めて』第二集)
3,倭国に仏教を伝えたのは誰か --「仏教伝来」戊午年伝承の研究 古賀達也を掲載(『古代に真実を求めて』第一集)
4,明治体制における信教の自由『古代に真実を求めて』第一集 古田武彦を掲載より2011年 5月 24日 日本語版が67万を超えました。
2011年 7月 3日 日本語版が68万を超えました。
古田武彦
講演「学問の方法について」〈歴史学と自然科学との間〉 古田武彦を掲載
(共に『古代に真実を求めて』第2集)
2,和田家文書「偽作」説に対する徹底的批判ーー筆跡学から「偽鑑定」を正す 古田武彦を掲載
これはユニコードです。文字化けしていれば、エンコーディングはUTF-8にして下さい。
(『古代に真実を求めて』第2集)
2011年 8月 12日 日本語版が69万を超えました。
2011年 9月 20日 日本語版が70万を超えました。
2011年10月 18日 日本語版を71万6000に設定
(カウンターが壊れ、再設定。1万多いのはわたしの設定間違いを訂正 2011.2)
2011年12月 10日 日本語版を73万に設定
(カウンターが壊れ、再設定。)
よみがえる卑弥呼 日本国はいつ始まったか |
2011年9月刊行 古田武彦・古代史コレクション7 |
古代史を疑う |
2011年12月刊行 古田武彦・古代史コレクション8 ミネルヴァ書房 |
多元的古代研究会(関東)や東京古田会のホームページとリンクを開始。
2012年 1月 14日 日本語版を74万に設定
2012年 2月 18日 日本語版は75万を超えました。
2012年 3月 23日 日本語版は76万を超えました。
2012年 4月 23日 日本語版は77万を超えました。
(カウンターが壊れ、再設定。10万多いのは横田の設定間違いを訂正 2012.4.23)
2012年 5月 6日 日本語版は77万4千から再スタート
2012年 5月 24日 日本語版は78万を超えました。
2012年 6月 25日 日本語版は79万を超えました。
『なかった』第六集 特集1 究極の史料批判 を掲載
金石文の九州王朝 ーー歴史学の転換 古田武彦
「寛政原本」の出現について 古田武彦
名代論 ーー孝季と崇道天皇 古田武彦
2012年 7月 25日 日本語版は80万を超えました。
新・古代学 第5集
三角縁神獣鏡の史料批判ー三角縁人獣鏡論 を掲載
2012年 8月 27日 日本語版は81万を超えました。
古代は沈黙せず | 2012年 1月刊行 古田武彦・古代史コレクション9 ミネルヴァ書房 |
真実の東北王朝 | 2012年 3月刊行 古田武彦・古代史コレクション10 ミネルヴァ書房 |
人麿の運命 | 2012年4月刊行 古田武彦・古代史コレクション11 ミネルヴァ書房 |
古代史の十字路 -- 万葉批判 |
2012年6月刊行 古田武彦・古代史コレクション12 ミネルヴァ書房 |
壬申大乱 | 2012年8月刊行 古田武彦・古代史コレクション13 ミネルヴァ書房 |
2012年 9月 24日 日本語版は82万を超えました。
2012年10月 23日 日本語版は83万を超えました。
2012年11月 22日 日本語版は84万を超えました。
2012年12月 23日 日本語版は85万を超えました。
2013年 1月 24日 日本語版は86万を超えました。
2013年 2月 22日 日本語版は87万を超えました。
2013年 3月 24日 日本語版は88万を超えました。
2013年 4月 21日 日本語版は89万を超えました。
2013年 5月 1日
プロバイダーをKAGOYA Internet Routingに移転。
(10時間停止しました。)すみません。
2013年 5月 21日 日本語版は90万を超えました。
2013年 6月 21日 日本語版は91万を超えました。
2013年 7月 22日 日本語版は92万を超えました。
2013年 8月 21日 日本語版は93万を超えました。
2013年 9月 20日 日本語版は94万を超えました。
2013年10月 18日 日本語版は95万を超えました。
2013年11月 16日 日本語版は96万を超えました。
2013年12月 16日 日本語版は97万を超えました。
2014年 1月 16日 日本語版は98万を超えました。
2014年 2月 14日 日本語版は99万を超えました。
2014年 3月 13日 日本語版は100万を超えました。
当会のページ数は約四千ページあります。
開設(1996年10月)以来、累計閲覧者数は総計五百万人程度と推定。
また一度でも当会のページを閲覧した方は二百万人程度と推定。
2014年 4月 10日 日本語版は101万を超えました。
2014年 5月 8日 日本語版は102万を超えました。
2014年 6月 3日 日本語版は103万を超えました。
2014年 6月 29日 日本語版は104万を超えました。
2014年 7月 23日 日本語版は105万を超えました。
2014年 8月 18日 日本語版は106万を超えました。
2014年 9月 15日 日本語版は107万を超えました。
2014年10月 9日 日本語版は108万を超えました。
2014年11月 4日 日本語版は109万を超えました。
2014年12月 1日 日本語版は110万を超えました。
2014年12月 28日 日本語版は111万を超えました。
2015年 1月 25日 日本語版は112万を超えました。
2015年 2月 21日 日本語版は113万を超えました。
2015年 3月 18日 日本語版は114万を超えました。
2015年 4月 12日 日本語版は115万を超えました。
2015年 5月 12日 日本語版は116万を超えました。
2015年 5月 28日 日本語版は116万7000からカウント。
KAGOYA Internet Routingの共用サーバS30に移転。
古賀達也の洛外洛中洛外日記(http://furutasigakukai.gates.jp/koganikki)
をWordPressで併設
2015年 6月 5日 日本語版は117万を超えました。
2015年 6月 30日 日本語版は118万を超えました。
2015年 8月 10日 日本語版は119万を超えました。
2015年 9月 17日 日本語版は120万を超えました。
2015年10月 21日 日本語版は121万を超えました。
2015年11月 22日 日本語版は122万を超えました。
2015年12月 31日 日本語版は123万を超えました。
2016年 2月 3日 日本語版は124万を超えました。
2016年 3月 11日 日本語版は125万を超えました。
2016年 4月 20日 日本語版は126万を超えました。
2016年 5月 31日 日本語版は127万を超えました。
2016年 7月 15日 日本語版は128万を超えました。
2016年 8月 30日 日本語版は129万を超えました。
2016年10月 15日 日本語版は130万を超えました。
2016年12月 5日 日本語版は131万を超えました。
ビジネス仕様のSixcoreの共用サーバS1にホームページ(http://www.furutasigaku.jp)を移転。
サブドメインとして古賀達也の洛外洛中洛外日記(http://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki)
をWordPressで併設
2017年 1月 31日 日本語版は132万を超えました。
2017年 3月 23日 日本語版は133万を超えました。
2017年 5月 13日 日本語版は134万を超えました。
2017年 7月 12日 日本語版は135万を超えました。
2017年 8月 29日 日本語版は136万を超えました。
2017年10月 23日 日本語版は137万を超えました。
2017年12月 23日 日本語版は138万を超えました。
2018年 2月 19日 日本語版は139万を超えました。
2018年 4月 19日 日本語版は140万を超えました。
2018年 6月 19日 日本語版は141万を超えました。
2018年 8月 21日 日本語版は142万を超えました。
2018年10月 20日 日本語版は143万を超えました。
2019年 1月 1日 日本語版は144万を超えました。
2019年 2月 2日 日本語版は145万を超えました。
2019年 5月 4日 日本語版は146万を超えました。
2019年 6月24日 日本語版は147万を超えました。
2019年 8月21日 日本語版は148万を超えました。
2019年10月16日 日本語版は149万を超えました。
2019年12月13日 日本語版は150万を超えました。
2019年 2月11日 日本語版は151万を超えました。
2020年 8月 1日 日本語版は154万を超えました。
2020年10月10日 日本語版は155万を超えました。
2020年12月20日 日本語版は156万を超えました。
2021年 1月 4日 シックスコアは『Xserverビジネス』に
サービスを統合 256GB、150GB SSDとなる。
2021年 3月 4日 日本語版は157万を超えました。
2021年 5月22日 日本語版は158万を超えました。
2021年 8月12日 日本語版は159万を超えました。
2021年11月20日 日本語版は160万を超えました。
2022年 1月 共用新サーバXserverBusinessに移転、増量。
サーバーAMD EPYC 7402( 2.80GHz ) x 2
メモリー512GB ディスク300GB SSD
古田史学会報は一年前まで公開。
2022年 2月20日 日本語版は161万を超えました。
2022年 5月31日 日本語版は162万を超えました。
2022年 9月17日 日本語版は163万を超えました。
2023年 1月15日 日本語版は164万を超えました。
2023年 4月26日 日本語版は165万を超えました。
2023年 8月 6日 日本語版は166万を超えました。
2023年11月30日 日本語版は167万を超えました。
2024年 3月25日 日本語版は168万を超えました。
英語版のホームページのタイトルを Back to the Furture にしました。
the Revolution of Ancient History はサブタイトルにしたいとおもいます。 タイトルそのものは映画と同じです。私は残念なことにその映画は見たことはありません。
この言葉は古田氏の「古代を知ることは、現代を見つめ、未来をきりひらく鍵である。」に対応するものと理解しています。古田氏の言葉をそのまま英語に訳しても対応するわけではありません。
この言葉の理解について、下記の意味であるとの理解を元にタイトルを作成しました。私の英語力不足のため間接的な形で記載のみ確認し、原文再解釈を含む論文などの確認には至っておりません。なにしろまったくと言っていいほど、文学にはなじみがないもので。もし良い論文が御座いましたら、ご推薦下さい。
................................................................................................
Kawasaki Kazuo
DESIGN TALK 背後未来
この英文の原型は今では有名なジャーナリスト高野猛氏が発行していたTOKYO INSIDER(An Inside
Line on Asia-Pacific Affairs,April 10.1986,No.0ー現在は廃刊) の挨拶の文です。それを再解釈し、古田氏の紹介の文を作りました。皆さんはどのように判断されるのでしょうか。私は『歴史のジャーナリスト』であると考える『古田氏の紹介』としてこれ以上の英文はないと勝手に思っています。現在と過去という対象の違いはあっても、真実を追及する人間の意気込みを表わしていると思います。
(参考 世界関連地図の読み方 高野猛 PHP研究所 あとがき)
それでは、読みたい方は拙い私の翻訳を読んでください。読まなくても構いません。英文を読めば、雰囲気が分かると思います。
以上
掲載していた英文をここに掲示しておきます。
FROM THE CREATOR
Takehiko Furuta has come to appreciate the difference between
random pieces of information and trustworthy intelligence with
insight.
Everyday we are literally flooded with ancient history information
and archaeological data on Japan and East Asia, but there has
no been a historical intelligence document from Japan that dares
to analyze subterranean trends and expose hidden facts. The English
edition of his Document seeks to respond to this need.
The Japanese edition of his Document began publication in 1965,
and in these thirty years, it has gained a significant readership
in historical circles, research and journalism as well as academic.
Within this sophisticated readership, evaluation of his Document
has been very favorable. And through this history he has cultivated
of highly informative people Japan and abroad.
The English edition of his Document will not only recognize you
with important inside stories about major historical events in
Japan, but with in-depth analyses of key global issues from the
viewpoints of keen observers in Japan.
----
This coment take note of a news letter, TOKYO INSIDER No.0 (An
Inside Line on Asia-Pacific Affairs,April 10.1986) .
制作 横田幸男