司会あいさつ
ただ今より、私たち、市民の古代研究会主催によります十周年記念講演会を開催します。僭越ながら、司会の大役をたまわりました事務局長の藤田と申します。どうぞよろしくおねがいします。(拍手)
今から十年前、当時の古代史学界では古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』、『失われた九州王朝』、『盗まれた神話』(以上、朝日新聞社刊)の提起に対し、“無視”をしていました。
私たちは“これはおかしい”と感じ、あらゆる職業の違いを越えて集まり始め、「古田武彦を囲む会」を結成しました(一九七七年十一月二十日)。
十年以上も前に、既にこれから何を基軸とすべきか的確に見通しておられ、古田史学の意義を根本的に把握しておられた方がいらっしゃいます。本日、ご多忙の中で、はるばる東京からお見えの山田宗睦(むねむつ)先生です。哲学者でしかも日本古代史にも造詣が深い山田先生は、「わたしは古田史学は、津田左右吉の上代史、神話研究にとってかわる、とみている。津田史学は戦後の日本古代史・神話研究の理論的前提であった。それにとってかわって、古田史学が現在以降、一九七〇年代前後の、日本古代史・神話研究の理論的前提となる。このことを、古田説についていぜん『黙殺』『無視』をつづけている日本古代史家たちに、明言しておきたい。」とハッキリと主張しておられました。事実、十年間の歳月は山田先生の提言(予言)通りにほぼ進行していったと言っても、今日では過言ではないでしょう。
古田史学は確実に市民の共感をよび、従来まで形成されていた古代史像が根底から崩壊し、コペルニクス的転回とも言いうる、新しい歴史の真実を見いだす学問的喜びを得てきました。
古田氏の読者の会は、東京では「古田武彦と古代史を研究する会」(一九七六年、呼びかけ人・壱岐一郎氏ら)、大阪では「古田武彦を囲む会」(一九七七年、呼びかけ人・中谷義夫・今井久順・藤田友治ら)、その後改称して市民の古代研究会、九州では北九州・下関の会(前田博司ら)、「九州王朝文化研究会」(橋田薫氏ら)、さらに東北に「市民古代史の会」(鎌田武志氏ら)、仙台では「仙台古代史の会」(外里ふさえさんら)、最近では丹波に(松尾計一氏ら)、泉南に(梶内岩身氏ら)と続々と広がっています。
これら全国に広がる組織は、まさしく多元的、自立した組織です。関西では、講演会だけにとどめず機関誌『市民の古代〜古田武彦とともに』(年刊)や「市民の古代ニュース」(毎月発行)、「市民の古代研究」(隔月発行)、さらに地道な研究会活動(「市民の古代研究会」、「中国文献を読む会」、「遺跡めぐりの会」)と続いてきました。
ささやかな私たちの会でも、十年という長い歳月を生き生きと活動させてくれたエネルギーの源流は何かと考えますと、次の三つではないでしょうか。
第一に、厳密な史料批判と論理的一貫性を持ち、日本古代史、考古学界、思想史学界に対し根底から挑戦する古田武彦氏の学説と真摯な人柄によるものです。
第二に学問の分野を越えた専門家の支持、さらには論争の広がりです。哲学では、山田先生や鷲田小彌太氏(札幌大学教授)、山本晴義氏(大阪経済大学長、大阪哲学学校校長)ら。日本文学では中小路駿逸先生。日本思想史、親鸞研究では家永三郎氏ら。論争では、考古学の李進煕氏、森浩一氏、王健群氏ら。文献学では尾崎雄二郎氏・安本美典氏ら。枚挙にいとまがない位、様々な分野の第一線学者との対談、激しい論争がありましたが、その都度引き出されてきた“真実”があったと言えるでしょう。(なお、本日までに家永三郎氏、森浩一氏、山本晴義氏ら各先生からメッセージが届いています。)
第三に、古田氏の提起に共鳴した市民の“不思議に思う心”と“納得する心”。古田さんへ手紙で質問したり、『市民の古代』等で問題提起をした人達。そして、縁の下の力持ちとなりつづけた幹事、とりわけ女性陣の活躍があって続けられたと思います。私達は感謝すると同時に新たな出発を決意します。
本日、十周年という“記念”すべき講演会を迎え、古田史学の意義を徹底的に深め、かつ新たな進展を見たいと思います。それでは、最初に中小路駿逸先生よりご講演をたまわります。中小路先生のご紹介を簡単に申しあげます。中小路先生は、一九三〇年兵庫県に生まれられ、京都大学文学部文学科を卒業なさいました。現在、追手門学院大学教授でいらっしゃいます。著書は『日本文学の構図 ーー和歌と海と宮殿と」(桜楓社)、共著に『シンポジウム・邪馬壹国から九州王朝へ」(新泉社)他多数の論文がございます。では、よろしくお願いします。
●十周年記念講演会(なし)
司会
どうもありがとうございました。時間が限られていたのですが。中小路先生のご専門の中から、古田史学に対して非常に強力なご支持をいただいたものという感を新たに持ちました。
続きまして、山田宗睦先生のご講演をたまわります。山田先生は、一九二五年山口県にお生まれになられ、京都大学文学部哲学科を卒業され、現在関東学院大学教授でいらっしゃいます。
山田先生のご著書を私どもは学生時代からよく読んできたのですが、ちなみに中之島図書館に行きまして、著者目録を引きました。そうしますと、非常におびただしい数のご著書が並んでいました。三十冊を超える著書、共著六冊と、訳書もあり、一つ一つ申しあげると、かなりの時間がいります。そこで、私たちの共通テーマとしています古代史に限って触れさせていただきます。
『異志倭人伝』(朝日選書)、『著作集 隠れた日本人』(三一書房)、『著作集 日本神話の研究』(三一書房)、『魏志倭人伝の世界 ーー邪馬壹国と卑弥呼』(教育社)。山田先生は古田史学に基づき邪馬壹国とされ、発音は洛陽古音から邪馬壹(ヤマユツ)国としておられます。ハンドブック的なものとして、『日本の神話』(保育社)。さらに、上田正昭先生や森浩一先生との共著で『日本古代史』(筑摩書房)。その他、論文等多数ございます。
今日は、古田史学の意義と山田先生が最近研究を集中してなされておられます『日本書紀』についてというテーマで、ご講演をたまわりたいと思います。それでは、山田先生よろしくお願いします。(拍手)
●十周年記念講演会
司会
ただ今より、古田武彦先生によりまして「金石文と史料批判の方法 ーー黒曜石・稲荷台鉄剣銘・多賀城碑・宇治橋断碑など」というテーマで、ご講演をたまわりたいと思います。従来から、『市民の古代』や古田先生の著書、論文等を通じまして、金石文の研究が継続的に発表されてきました。最近では、稲荷台鉄剣銘について(千葉県市原市「稲荷台一号墳」出土の銀象嵌の鉄剣銘)、金井塚良一氏(埼玉県立さきたま資料館館長)と有意義な対談を行われ、市民の注目を集められているところです(『歴史読本』一九八八年四月号)。
又、宇治橋断碑の問題につきましても、本日初めてお聞きすることができると思います。なお、当初予定していました祝詞につきましては、『まぼろしの祝詞誕生』(新泉社)という著書にまとめられていますので、時間の制約もあり本日は割愛せざるを得ませんので、ご了解下さい。金石文についての最近の研究成果を本日はじっくりとお聞きしたいと主催者側で要望しました。
限られた時間ではありますが、精一杯お聞きしたいと存じます。
古田先生の業績は、ここでは詳しく申しあげる必要はないと思われる程、よく知られているのですが、今日新しく出会われた方もいらっしゃいますので、申しあげます。一九二六年、福島県に生まれられ、一九四八年に東北大学法文学部、日本思想史科を卒業されました。現在、昭和薬科大学教授(歴史学)でいらっしゃいます。研究生活をなされるために高校教論をやめられまして古代史、思想史研究に専念され、在野の研究者として精緻な論証、徹底的な実証と論理性で学者間に知られ、又私たち市民の間で深い共感、支持を集めてこられました。山田先生や中小路先生も申しておられましたが、学問を一部の人々のものとせず、私たち市民にも開かれたものとされてこられました。それは、公平、平等なる理性への問いかけであったと思われます。
『「邪馬台国」はなかった』から、本日発表されました『古代は沈黙せず』(駸々堂)、『まぼろしの祝詞誕生』(新泉社)にいたる著書に一貫して流れている基調は、まさしくそれであったと思われます。古田先生は当初、全くお一人の孤立した歩みであったわけですが、今日多くの人々の支持を集めてこられている理由は、万人共通の理性にかなうからではないでしょうか。
●十周年記念講演会
司会
今日は非常に盛りだくさんのテーマと内容にふれていただきました。限られた時間の中で、講演者が申しあげておられると思います。先生方のそれぞれの研究成果は、学術論文や著書に書かれていますので、ご参照下さい。
山田先生が先程も申されましたが、日本古代史を根底から問い直すという仕事は、まず古田先生がお一人でなされ始めました。ところが、今では次々と専門分野を越えて、同じ問い直しや研究がおこっています。又、『市民の古代』のメンバーは、それぞれが平等な理性を持って、どんどんと真実を明らかにしていって欲しいということも山田先生は申されました。さらに『日本書紀』研究会のご提言もありました。
私たちも、市民の古代研究会内にいろいろな研究部会がございます(「中国文献を読む会」ーー関西、「遺跡めぐりの会」ーー関西、「万葉集と漢文を読む会」ーー関東 等)。今後、会員の皆さんの中から賛同者を得て考えていきたいと思います。
古田先生が今日おっしゃられた『市民の古代』の論文、清水裕行さんの「『国引き説話』の検討」(第三集)や、丸山晋司さんの「『大化』年号への疑問」(第五集)は、今日の時点では読者の皆さんが入手困難なものとなっています。第三集から第六集まで売り切れて在庫が一冊もないからです。そんなに売れるのなら作成したらいいんではないかと思われるかもしれませんが、私たち市民の古代研究会は営利を目的としていませんので、印刷・製本経費で販売しており、贈呈本やコストを考えますと、赤字となることもしばしばでした。そういう理由で売り切れたら、後は作らないこととしてきました(「どうしても」というご要望で、創刊号、第一集のみ増刷しました)。これは、正直に申しあげています。しかし、この状態では、せっかく皆さんがお読みになりたいと思われましても、たいへん困るというご要望がありました。ある巻を全てコピーして欲しいというようなことも時としてありました。随分と困っていました。
実は、今日次のような祝電が届きました。
「十周年をことほぎます。記念に『市民の古代』第一集から第七集までの合本の復刻を出版するよう提案いたします。記念講演会のご盛会をお祝いします。新泉社・小汀良久」
先程申しあげていました困難なことが、このご提案によりますと解決しそうです。いずれ、皆さんのお手許へ届く日がくるものと確信します。
さて、時間の関係で、本日の記念講演会のまとめに入ります。
十周年を一つの区切りとしてとらえますと、これまで私たちは十分な活動をしてきたなどととらえるものではありません。今日から、又、新しい出発をしていきたいと思います。新しい出発をするためへの一区切であるととらえています。そして、その一区切を今日講演者や聴講者の皆さんと一緒になしたのではないかと思います。
私たちの出発は、あの『「邪馬台国」はなかった』にあります ーー「不思議に思う心」、「納得する心」ーー その心をやはり持続することから始められねばならないと思います。この原点は、本日、山田先生がおっしゃられました「万人に平等に与えられている理性」と同じことととらえますが、この理性をあくまで納得させうる歴史学、考古学、思想、哲学、文学等を求め続けたいと思います。
最近、皇国史観、近畿天皇家一元主義が、古代史ブームの中で、再び強化されてきているのが情況としてあるのではないでしょうか。
私たちは、古田史学を学界や市民の皆さんの支持を一層広げながら、かつ一層発展を期すべく、頑張り続けたいと思っています。本日は、遠路はるばる、又ご多忙の中をおいでいただきました山田宗睦先生、ありがとうございました(拍手)。
さらに、学者で当会の会員になられた最初の先生で、私どもを励ましてこられました中小路先生、ありがとうございました(拍手)。
そして、古田先生、今後ともご活躍下さるよう、私ども心より期待申しあげます(拍手)。
皆さん、長時間にわたり熱心なご参加ありがとうございました。私ども、又、心を新たにしてともに頑張りたいと思います。
これをもちまして、十周年記念講演会をおわりにします。ありがとうございました(拍手)。