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和田家文書〔「東日流外三郡誌」など〕 訴訟の最終的決着について(『新古代学』第三集)へ戻る

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『新・古代学』古田武彦とともに 第3集 1998年 新泉社
特集 和田家文書をめぐる裁判経過

平成九年十月十四日最高裁判所判決

平成九年(オ)第一一四〇号

     判決
大分県別府市大字北石垣一一八七番地の四
           上 告 人     野村 孝彦
           右訴訟代理人弁護士 石田 恒久
           同         吉沢  寛
青森県五所川原市大字飯詰字福泉二七五番地
           被 上 告 人   和田喜八郎
           右訴訟代理人弁護士 五戸 雅彰

 右当事者間の仙台高等裁判所平成7年(ネ)第二〇七号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成九年一月三十日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

     主文
   本件上告を棄却する。
   上告費用は上告人の負担とする。

     理由
 上告代理人石田恒久、同吉沢寛の上告理由について
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。
 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

     最高裁判所第3小法廷
              裁判長裁判官 尾崎行信
                 裁判官 園部逸夫
                 裁判官 千種秀夫
                 裁判官 山口繁

上告趣意書

(平成九年(オ)第一一四〇号 上告人 野村孝彦)

上告代理人石田恒久、同吉沢寛の上告理由 目次
  第1 判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背(民事訴訟法三九四条)の存在
 一 上告理由の骨子
 二 翻案の意義
 三 本件が少なくとも翻案権侵害に該当すること
  第2 本件論文の著作権のうち、同一性保持権を侵害していることを看過した法令違背について
  第3 理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)
 一 上告理由の骨子
  第4 外面的表現形式も判断基準に加えた原判決の理由不備
 一 原判決の事実認定
 二 原判決認定以外の類似点
 三 本件論文のストーリー等と東日流外三郡誌等のストーリー等の同一性
 四 原判決の理由不備=判断矛盾
  第5 東日流外三郡誌等の本件論文に対する依拠性についての判断の脱漏
 一 翻案権侵害と原著作物に対する依拠性
 二 原判決の判断
 三 原判決の判断の脱漏
  第6 原判決が結果的に被上告人の信義則違反行為を放置することについて

 

 上告の理由

  第1 判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背(民事訴訟法三九四条)の存在
 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背が、左のとおり存在する。
 一 上告理由の骨子
 1 著作権法二七条は、「著作権者は、その著作物を・・・翻案する権利を専有する。」と規定する。
右にいう「翻案」とは、既存の著作物を改作して、その内面的表現形式を維持しながら、外面的表現形式を異にする別個の著作物をつくることであると解される。
 2 原判決は、「控訴人主張の『東日流外三郡誌』等の個々の記述から見て、それが本件論文と著作物としての同一性を有すると判断することは困難であるが、さらに『東日流外三郡誌』全体と本件論文とを対比して検討しても、前者は長大な史書の体裁をなすものであるのに対して、後者は本件石垣の調査結果の報告論文である点で全く異なる上、前者が古代日本に存したとされる邪馬台国及び耶馬台城の石垣に関するいわば伝説的な記述であるのに対し、後者は熊野地方に存する石垣の客観的な性状を探究してそれが構築されるに至った理由、過程を学問的に研究しようとするものである点においても全く異なるのであるから、全体的な対比においても、著作物としての同一性を肯認することは到底困難であり、結局、前者には後者の記述にヒントを得たと見られる部分があるというに止まるべきである。」とし、「したがって、『東日流外三郡誌』等の記述が本件論文の複製であることはもちろん、翻案であると認めることもできない」とする。(原判決後三丁裏以下 ーー 傍線上告代理人注ーー 以下同じ。 インターネット上では赤色表示
 3 しかし、1のとおり「翻案」とは、著作物の内面的表現形式を維持しながら、外面的表現形式を異にする別個の著作物をつくることである。
しかるに、原判決は、2のとおり左の判示をする。
 (一) 「『東日流外三郡誌』等の個々の記述から見て」
 (二) 「前者は長大な史書の体裁をなすものであるのに対して、後者は本件、石垣の調査結果の報告論文である点で全く異なる」
 (三) 「前者は・・・伝説的な記述であるのに対し、後者は・・・石垣の客観的な性状を探究してそれが構築されるに至った理由、過程を学問的に探究しようとするものである点においても全く異なる」
 即ち、原判決は、その体裁など外面的表現形式の異同をも基準にして、翻案権侵害の有無を判断しており、法解釈として明らかに誤りである。
 因に、原判決は、「前者には、後者の記述にヒントを得たと見られる部分がある」、即ち、両者の内面的表現形式の同一性を、程度の如何はともかくとして認めていることは、特記に値する事柄と思われる。
しかしながら、それも仔細に検討すると、言葉そのものが共通するか、それに近い表現の存在を前提として対比しているものと見受けられる。
 二 翻案の意義
 1 翻案とは、既存の著作物の内面形式を維持しつつ、つまりストーリー性等をそのまま維持しながら、外面形式、つまり具体的表現を変える、シチュエーションを変えるというような場合をいう(加戸守行「著作権法逐条講義」新版三五頁)。
 2 下級審裁判例においては、左のとおり判示されている。
(一)翻案権侵害が認容された事例
(1)  東京地裁平成五年八月三〇日知的裁集二五巻二号三一〇頁以下
 「テレビドラマの制作あるいはテレビドラマの脚本を執筆するに当たり、他人の文芸に関する著作物を素材として利用することは許されないことではないが、その著作物の著作権者の許諾なくして利用することが許されるのは、その他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しえないような態様において利用する場合に限られるものであり、テレビドラマあるいはその脚本の著作者が主観的に素材として他人の著作物を利用する意図であったとしても、制作されたテレビドラマあるいは脚本から、当該他人の著作物における表現形式の本質的特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていないときは、右他人の著作物の翻案にあたるものである。」
 (2) 東京高裁平成八年四月一六日判決時報一五七一号三九頁以下
 (1) 「著作権侵害の責任を問うためには対象となる作品が原著作物に依拠して作成されたことを要する。」
 (2) 「原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、本件テレビドラマにおいては、原告著作物における前記の特徴的・個性的な内容表現が失われることなく再現されているものと認められるから、本件テレビドラマは原告著作物の翻案であると認めるのが相当である。」
 (3) 東京地裁平成八年九月三〇日判決例時報一五八四号九八頁以下
 「翻案権を侵害したものであると認めるためには、被告らが本件プロローグに依拠して本件番組中の本件ナレーションを制作し、かつ、本件プロローグにおける表現形式上の本質的な特徴を本件ナレーションから直接感得することができることが必要である(前掲最三小昭和五五年三月二八日参照)」
 (二) 翻案権侵害が否定された事例
 東京地裁平成六年三月二三日判決例時報一五一七号一三六頁以下
 「翻案とは、いずれか一方の作品に接したときに、接した当該作品のス卜一リーやメロディ等の基本的な内容と、他方の作品のそれとの同一性に思い至る程度に当該著作物の基本的な内容が同一であることを要するというべきである。」
 3 翻案と対比される複製との違いは、複製は、外面的表現形式の同一性がある場合であるのに対し、翻案は、外面的表現形式の同一性はないが、内面的表現形式の同一性がある場合をいうとされている。
 従って翻案権侵害の有無を判断する場合は、外面的表現形式の違いを当然の前提として、内面的表現形式の同一性の有無を判断しなければならない。
 4 最高裁判例 ーー 最高裁昭和五五年三月二八日第一小法廷判決民集三四巻三号二四四頁以下
 (一) 他人の著作した写真を改変して利用することによりモンタージュ写真を作成した事案について、最高裁は、「他人の著作した写真を改変して利用することによりモンタージュ写真を作成して発行した場合において、右モンタージュ写真が他人の写真における本質的な特徴自体を直接感得刷ることができるときは、右モンターンジュ写真を1個の著作物とみることができるとしても、その作成発行は、右他人の同意がない限り、その著作者人格権を侵害するものである。」(最高裁判所判例解説民事編昭和五五年度一四九頁)とする。
 (二) 右の最高裁判例の要旨は、翻案権の解釈においても参考になるものである。
 即ち、本件で言えば、外面的表現形式にとらわれずに、上告人の日本経済新聞の記事(以下本件論文という)の本質的な特徴自体が、東日外三郡誌等において直接感得できるかが、正に問題になるのである。
 三 本件が少なくとも翻案権侵害に該当すること
 1 前記のとおり翻案権侵害の有無を判断する場合には、外面的表現形式の違いを当然の前提とし、従って、外面的表現形式の違いを、少なくとも翻案権侵害を否定する方向において判断基準とすることは、翻案権の法解釈からして誤りである。
 2 なお、翻案権の侵害を認定する場合に、外面的表現形式の類似性を補完的な論拠とすることは、差し支えない。
 けだし、外面的表現形式まで一致する場合は、複製権侵害になるのであり、外面的表現形式の類似性は認められるものの、その一致までには至らず、従って、複製権侵害に該当しない場合でも、内面的表現形式の同一性が認められるならば、翻案権侵害になることは当然だからである。
 3 後記第3のとおり、本件は翻案権侵害の判断基準に、外面的表現形式の類似性を盛り込まず、内面的表現形式の同一性だけを二つの文書から読み取ることとすれば少なくとも翻案権侵害に該当する事案である。
 従って、原判決には、判決に影響を及ぼすべき翻案権の法解釈を誤った違法がある。

  第2 本件論文の著作権のうち、同一性保持権を侵害していることを看過した法令違背について
 一 上告人は、これまで再三指摘(特に原審平成八年一〇月三日付準備書面五項参照)してきたように、被上告人が自ら東日流外三郡誌を偽作したことを主張・立証し、その中の一環として本件論文を剽窃したものであることを指摘した。
 その骨子は、上告人が昭和五〇年五月一四日発表した本件論文にそった熊野猪垣の発見等を江戸時代である寛政六年五月七日(耶馬台城址之伝」、甲第九号証の二、一二八頁)、寛政五年五月(「耶馬台国之崇神」、甲第一〇号証の二、四〇頁)の秋田孝季等の著作であるとか、あるいは「紀州熊野宮之由来」では、寛政七年八月作成文書である等(甲第一二号証の一)の時代を遡った江戸時代の著作と偽装していることにある。
 これは、幾多の労力を重ね、費用を要した末の発見であった熊野猪垣に関する研究成果である上告人の著作先行権とも称すべき権利 ーー現行著作権法上の解釈としては、著作権人格権の同一性保持権に含まれると解するーー を侵害するものである。
 また、昭和五〇年の時点における熊野地方の猪垣の状況を記述した著作者である上告人の意に反して、被上告人は、その論文を利用して地域・時代等を勝手に改変し、成立年代を江戸時代と詐称して利用したことは、後記第4からも明らかである。
 二 著作権法第一一三条は、人格権侵害ではない行為でも、完全に著作者の人格的利益を保護するために、(1) 人格権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為(同法一項二号)、(2) 著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為(同法二項)を、人格権の侵害とみなしている。
被上告人は、本件論文を不当に改変し、上告人の人格権を侵害する行為によって作成された物を情を知りながら頒布したのは人格権侵害である。
また、我国で最初に熊野猪垣に関する論文を書いているのにも拘らず、江戸時代の文書として偽作文書に利用されたため、その創造性に疑問を持たれ、上告人の名誉及び声望を害されたことになっている。
 これを放置しておくことは上告人の声望が将来的に害され続けることになる。

  第3 理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)
原判決には、理由不備が左のとおり存在する。
 一 上告理由の骨子
 1  原判決には、翻案権侵害を認定すべき諸事情があるにもかかわらず、第一の翻案権の法解釈においてこれを誤って、翻案権の侵害を否定的に判断する場合においても、外面的表現形式の違いを判断基準に加えた結果、判断を誤った理由不備が存在する。
 2 また、翻案権及び著作者人格権の侵害については、第1の二の2の(一)の(2)の東京高裁平成八年四月一六日判決にいう「著作権侵害の責任を問うためには、対象となる作品が原著作物に依拠して作成されたことを要する。」ことから、本件においては、東日流外三郡誌等が被上告人作成の偽書であることを判断した上で、本件論文に依拠していたか否かを判断する必要があるのに、原判決は、右判断を遺漏した理由不備もある。

  第4 外面的表現形式も判断基準に加えた原判決の理由不備
 一 原判決の事実認定
 原判決は、左のとおり本件論文と東日流外三郡誌等との間に類似性を認定する。
 1 東日流耶馬台城跡
 (一) 「控訴人が指摘する石垣に関する記述については、山中の石垣という点において確かに本件論文の記述に類似しているといえる」とする。
 (二) そして、「前述の記述が本件論文にヒントを得たという余地はあるにしても」としながら、翻案を否定する。
 2 耶馬台城之大秘道しるべ
 (一) 「右記述が控訴人の指摘する論文中の控訴人が本件石垣の存在を聞き及んだ経緯の記述との部分的な類似性は否定できない」とする。
 (二) しかし、翻案を否定する。
 3 耶馬台国之崇神
 (一) 「『東日流外三郡誌』の前記記述は信仰と石垣との関連を多少なりとも具体的に述べたものであることなどからすると、右記述は本件論文にヒントを得たと見る余地はあるにしても」とする。
 (二)しかし、翻案を否定する。
 4 総輯東日流六郡誌・紀州熊野宮之由来
  (一) 「控訴人の指摘する本件論文にある本件石垣に関する神域説と右記述の類似は否定できないにしても、右は前記のとおり控訴人の本件石垣に関する推理の一つとして想定し得る結論のものを抽象的に述べたに止まるのであるから、これが熊野宮に関する前記記述のヒントとなっていることは考えられるとしても」とする。
 (二) しかし、翻案を否定する。
 二 原判決認定以外の類似点
 1 「東日流耶馬台城跡」にいう「梵珠連峰北に走る山に飛鳥山ありて、その林中に石垣延々たる耶馬台城ありき」と、本件論文にいう「熊野の山岳部を縫うような形でつづく長い石の列である」の同一性と依拠性
 (一) 山岳部(山中)に石垣の長い列が存在しているという骨子の点で、同一である。
「延々たる石垣」あるいは、「林」の中の延々たる石垣」というのは、「本件論文」の本質的な特徴を示す表現である。また、「走る」と「縫う」は、翻案の範疇の中では同意義である。「石垣延々たる・・・」は外面的表現の一致に相当、「走る」「縫う」は内面的表現の一致である。
 (二) 東日流耶馬台城は実際には存在しないものであり、その林中に石垣延々たるという表現は経験として起こりえないことである、それにも関わらず類似するのは、おかしいことである。しかも、これは他にも多くある一致ないし類似の一つである。被上告人の偽作文書作成の目的は、熊野猪垣をモデルに、津軽にそれと瓜ふたつの東日流耶馬台域を虚構することにあり、本件論文に依拠したものと考えられる。
 (三) 梵珠連峰と熊野の山岳部の地名(山名)の違いは、熊野猪垣をモデルに東日流耶馬台城を虚構したことにより、特に決定的な違いではない。
 (四) 東日流外三郡誌にいう飛鳥山は、実際に存在しない架空の山である。因みに、本当に存在する飛鳥山は、山岳部の末端に位置するあまり高くない山であり、東日流外三郡誌に虚構する耶馬台城に相応しいものでなく、また、登り易く、嘘が露見することを嫌って虚偽の飛鳥山を仕立てたと思われる。被上告人が実在とは違う場所に架空の「飛鳥山」という名称を使ったのは、本件論文に「私は曾根の飛鳥神社をたずねて、当屋からいろいろの伝承をうかがった。・・・後の山中奥深く道でないとこに石だたみの道のようなものがある。・・・山へはいった。・・・奇妙な長い石垣を見つけた」の記述があったため、本件論文に依拠した過程で、飛鳥の地名を使い山の名称にしてしまったのであろう。
「飛鳥山」と「飛鳥神社の後の山中」は、外面的表現形式としては異なるが、同じものを言っているのであって、内面的表現としては一致しているのである。
そうでなければ、東日流邪馬台城を虚構するに当って、その所在する場所として、実際に存在する山名を使えばよかったのである。
 (五)上告人は、本件論文中に、熊野猪垣を表現する一つの方法として「延々」という言葉を使った。本来、熊野猪垣を表現するには、本当は「蜿蜒」という文字が相応しいのだが、昭和五〇年当時「蜿蜒」という文字は新聞に使うには一般的でないと考え使いにくかったため、「えんえん」か「延々」の選択を迷った末、結局延々」にした経緯がある。
現時点で本件論文を見るとき、あれは誤りでなかったかと思い出す。本当に、江戸時代の人物が書けば、「蜿蜒」と言う文字を使ったであろう。
ところで、東日流耶馬台城の文章にも「延々」という用語が使われているのは、本件論文に依拠した端的な証拠である、(なお「仮名遣い等からも、現代人の書いたものであることが指摘されているし、別紙筆跡鑑定の経緯記載のとおり、筆跡鑑定の結果でも、東日流耶馬台城、紀州熊野宮之由来は被上告人によって書かれたものであることが明らかになっている」。
 〈広辞苑〉「延々」・・・いつ終わるかも知れず長く続くさま「 ーーと続く話」
      「蜿蜒」・・・うねうねとして長くつづくさま「 ーー長蛇の列」
 2 「東日流耶馬台城跡」にいう「千古の歴史を偲ぶ太古に耶馬台国五畿七道の王たる安日産、長髄彦命」と、本件論文にいう「大和へはいりナガスネヒコを倒したことになっている。そういう神話に相当する古代」の同一性と依拠性
 (一)「熊野猪垣」や「東日流耶馬台城跡」を、古代(千古の歴史を偲ぶ太古)の歴史に結び付けたことや、その時代を「ナガスネヒコ(神武)」の時代とした趣旨は、全く同じである。
 (二) 東日流外三郡誌という文書の性格上、主役の立場は逆で、言葉は必然的に代るのであるが述べていることは結果的に同じことである。
 すなわち、東日流外三郡誌は、主として、昭和四〇年代後半から五〇年代に偽作され、今日なお偽作され続けているものである。その当時の時代的な風潮を反映して、ある種の反権力反中央的な色合いの濃い偽作文書である。
 例えば、古代の中央政権にゆかりの深い神武天皇を侵略者とみなし、それに敗れた長髄彦(安日産は記紀にはない伝説上のその兄)側を話の中心にして、その側から書いているのである。神武側を日向の賊とするのはそのような意味合いである。そのような文書である性格上、主役の立場やその舞台、特に地名など固有名詞が変わるのであるが、「本件論文」の本質的な特徴を示す表現は結果的に同じことである。
 東日流外三郡誌等では東日流(津軽)に安日彦、長髄彦の王国が建設され、その時代としては考えにくいほどの高い水準の政治も行われるという設定になっているのであるが、本件論文に描かれた古代に相応しい、いかにも城の原形とも思われる石垣の城を、その王国の城として欲しかったのであろう。
 3 「東日流耶馬台城跡」にいう「長髄彦命等を追いませし、日向の賊に備へし城垣にして、是を今に知る人ぞなし」と、本件論文にいう「この遺構は、神武軍に相当する勢力と戦って敗れた先住民のものかも知れない」の同一性と依拠性
 (一) 神武天皇と長髄彦の時代の石垣という意味では、全く同一である。
 (二) 「神武軍に相当する勢力と戦って敗れた先住民」と「長髄彦命等」は、同意義である。
 (三) 「この遺構は、神武軍と戦って敗れた先住民のもの」と「長髄彦命等を追いませし、日向の賊に備へし城垣」は、同じ趣旨の城をいっているのである。
 (四) 神武軍を、長髄彦命等を追いませし日向の賊、先住民を長髄彦命等に書換えているだけで、本件論文と同一趣旨である。
 (五) 東日流耶馬台城は、架空の話で、「長髄彦命等を追いませし、日向の賊に備へし城垣にして」も架空である。
 被上告人の偽作文書作成の目的は、熊野猪垣をモデルに津軽にそれと瓜ふたつの東日流耶馬台城を虚構することにあり、本件論文を参考にし、その話の内容を面白くするとともに、実際に存在する社会的に知名度のある熊野猪垣を利用することで、偽作文書自体の信憑性を高めることを目論んで作成したものと推認される。全く架空のものを、「日向の賊に備へし城垣にして」と決めつけているのも、その証左である。
 なお、この古文書、特に「東日流耶馬台城跡」「耶馬台城之大秘道しるべ」などの文章は、江戸時代の実地調査的な紀行文のような形をとっており、いわば、フィクションをノンフィクションとして書いたもので人を敷くためのものである。このまま放置すると、その内容が江戸時代の事実として受け止められかねない性格のもので、そうなれば、歴史を改竄する資料となりうる悪質なものである。
 (六) 熊野猪垣に神武時代(安日産、長髄彦の時代でもある)を想定し、それを公に発表したのは上告人が最初である。それまで誰もそのように書いた人はいない。また、本件論文に「ナガスネヒコ」のことも歌っている、神武東征伝承の話は多くの人が知っていることであるが、熊野に長髄彦の城があったという主張は見たことがない。それは、従来の熊野猪垣に対する見方を打ち破った画期的な意見であり、創作活動であった。
 その点も、被上告人が、偽書作成時に、本件論文に依拠した証左である。
 (七) 本件論文の「かも知れない」を、東日流耶馬台城跡の「今に知る人ぞなし」としたのは、江戸時代の偽作文書を仕立て上げ、実在しない「東日流耶馬台城」の存在を示そうとするための被上告人にとって必要な改変である。被上告人は「無いものを有るようにしようとしている」のである。
 (八) なお、原判決は、控訴人が指摘する石垣に関する記述については、山中の石垣という点において確かに本件論文の記述に類似しているといえるが、東日流外三郡誌の記述は城跡に存する石垣であるのに対して、本件論文のそれは構築された理由や過程の不明な謎の石垣であるというのであるから、前記の記述が本件論文にヒントを得たという余地はあるにしても、これを翻案したものであるとまで直ちに認めることはできない」という。
 しかし、著作権侵害の存否の判断は、著作物の創作的な表現に同一性をもって依拠しているか否かということであって、文章形式が違ったとか、文章の現在形や過去形の違いではない。
 また、原判決は、「神武東征伝承にかかわる類似点についても、右伝承は日本書紀の記述にあるもので、本件論文における控訴人の創作にかかるものではないから、これが著作権を侵害するようなものであると解することはできない」という。
 しかし、本件論文は、「熊野猪垣」に関連させて、「神武東征伝承」とのつながりを述べたものである。単に「神武東征伝承」自体を扱ったものではない。また、「熊野猪垣」の重要性を読者に知らせるため、その表現に相当な工夫や選択をしており、例えば、「昼なお暗い山中の列石」「砦としての門の存在、要衝(佐野町は神武天皇上陸の伝説地)を見渡すのに絶好な位置」「特異(不可思議)な石の構築物の存在」「川の奥の洞窟と岩山と古代の祭り」「記録のない、秘そかな山城、神域」「だれも知らない、時代はわからない、長さ(規模)もわからない、記録も、言い伝えもない」等々の謎めいた列石に、多くの人が関心を寄せてくれたのである。
 ところで、「東日流耶馬台城」、特に、「東日流耶馬台城跡」には、言葉自体は改変されているが、本件論文の右箇所と同一ないし類似の趣旨を持って、文章が書かれているのである。
 (九) 本件論文の今一つの目的は、本件調査の難しさ、到底一個人ではなしえないこと、社会的に研究を進めて欲しいこと、そのためには人々の関心をどう呼び起せば良いのかという想いと願いを込めて書いているのである。そのことは、本件論文の希望を読んでいただければ判るであろう。「ともあれ、この謎の列石は一アマチュアの手にあまる。多くの専門家の手によって一日も早くその謎が解明されることを期待している。」と書いている。
 しかし、偽作文書に利用されるとは考えもしなかったのである。
 4 「東日流耶馬台城跡」にいう「飛鳥山の四方、東に卒止浜、北に大蔵山、南に魔神岳を位なし」と、本件論文の「列石は那智山、妙法山、烏帽子山、大雲取山の四つの山を囲むような形で築かれている」の同一性と依拠性
 (一) 四方の地域との関係を述べ、城跡を述べた趣旨は、同じである。
 (二) 「東日流耶馬台城跡」には「四方」とあるが、実態のない模倣であったため、その後が続かず、説明は三方で終わっている。本件論文を参考にして書かれた明白な証左である。
 5 「東日流耶馬台城跡」にいう「ひる尚暗く、太古を偲ぶ城跡なり」と本件論文にいう「昼なお暗い山中で列石」の同一性と依拠性
 (一) 「昼なお暗い」が「ひる尚暗く」に、「山中で列石」が「城跡なり」になっただけである。本件論文や雑誌新評の説明文に記載されている、山中の木立との関係で、日光がさえぎられる中に、石垣の城跡が存在しているのと、同じ情景を描写しているのである。
 また、広い意味では「ひる尚暗く」の前の“木茂る処”次の“不気味なして”もそのことに関係しているのである。
 不気味を、正体が知れないという意味に取れば、本件論文の「切れ目なく築こうとする意志がみられ・・・そういう執念を感じ荘重で神秘的な感動をおぼえ・・・草、かん木に隠れ・・・行方がわからなくなる・・・昼なお暗い山中」や、新評の「・・・ほの暗い林の中を黒々と石の列が・・・荘重な感じ・・・石の連がりに切れ目を拒む意志」の影響と見ることができる。
 (二) 右の二つの文章が同一性を持つことは、容易に認定できる筈である。
 原判決は、「山中の情景描写として特異なものとは認め難いものであって」という。
 しかし、右の短い文章中に、同一性、類似性のある箇所が多く認められるのであり、それは偶然に一致したのではなく、本件論文の記述に依拠したものと考えるのが相当であろう。
 6 「東日流耶馬台城跡」にいう「望みては・・・東日流平野・・・十三湊・・・見ゆるなり・・・望みて易く」と、本件論文にいう「佐野の町を見渡すのに絶好の位置である」の同一性と依拠性地名は変わっているが、両者の趣旨は同じである。
 因みに、東日流外三郡誌に虚構された飛鳥山は、地図も作られている。その場所からは、実際には、遠々たる大いなる東日流平野や、十三湊は見えない。
 7 「東日流耶馬台城跡」にいう「此の城垣をして濠道あり」と本件論文にいう「自然石を巧みに積み上げた壁のようになっており、・・・山側が道になっている」の同一性と依拠性いずれも石垣と堀のようになった道のことを書いており、同一の存在を述べている。
 8 「東日流耶馬台城跡」にいう「望みては・・・見ゆるなり・・・土門ありて・・・卒止浜・・・望みて易く、要害建固なり」と、本件論文にいう「石積みの門の遺構がある・・・佐野町・・・見渡すのに絶好の位置である。砦の跡という感じが強い」の同一性と依拠性
 (一) 門がある、見晴らしが良い、要衝(佐野と卒止浜)が見える、砦であるという骨子となる趣旨は、同一である。しかも、その4点セットで共通していることが指摘できる。東日流耶馬台城跡の文章が、本件論文とは全く関係なく作文されたとするならば四つの項目の全てが一致するとは考えられない。従って、東日流耶馬台城跡は、本件論文を参考にして書かれたものなのである。
 (二) 東日流耶馬台城は、実際に存在しないものであり、被上告人の偽作文書作成の目的は、熊野猪垣をモデルに津軽にそれと瓜ふたつの東日流耶馬台城を虚構することにあり、この表現で重要なことは、東日流耶馬台城跡の文章の、門も、見晴らしも、要衝が見えることも、砦も全て架空のものであるということである。その虚構の話を含む同じ文章の中に、他にも本件論文に依拠したと思われる個所が多いのは、本件論文を参考に、東日流耶馬台城跡の文章が書かれたことを裏付けるものである。本件論文に依拠したことが窺われる。
 (三) さらに先の6の文章との同一性を併せ考えると本件論文を参考にして書かれたことは、さらに明らかである。
 原判決は、「山中の情景描写として特異なものとは認め難いものであって」というが、右の短い文章の中に同一性を認められるものが多数あれば、偶然の一致ではなく、本件論文の記述に依拠したと考えるのが相当である。
 9 「東日流耶馬台城跡」にいう「一族の秘とせしむ、何れか仔細あり」と、本件論文にいう「それにもかかわらず記録がないのはなぜか、秘密裏に構築されたものか、あるいは記録伝承があまりに行われていないほど古い時代のものか」の同一性と依拠性いずれも「秘密とされてきた(のか〉、仔細がある(のか)」ということであり、同一趣旨である。
 10 「東日流耶馬台城跡」にいう「此の秘城遺りしか、たれぞとて知るものなかりき」と本件論文にいう「だれかれの別なく猪垣について聞いてみた」「築いた時代はわからない」「どのくらいの長さなのか測った人はいない」「記録がないのはなぜか」「伝承があまり行われていないほど古い時代のものか」の同一性と依拠性
 いずれも、「この秘城(猪垣〉について、だれも知るものがいない」ということであり、同一趣旨である。
 11 「東日流耶馬台城跡」にいう「四辺に歴史あり・・・不可思議なる石塔の築けるありぬ」と本件論文の「奥へ奥へ・・・延々と続く・・・特異な石の構築物にも出会う」の同一性と依拠性
 (一) 「四辺に歴史あり」と「奥へ奥へ」と探求を進めていくことは、結果をいうのか過程をいうのかの違いはあるが、翻案という範疇の中では同じ意義である、
 (二) 「不可思議なる石塔の築けるありぬ」と「特異な石の構築物にも出会う」は、同一趣旨である。
 (三) 東日流耶馬台城は、実際に存在せず、被上告人は、熊野猪垣をモデルに津軽にそれと瓜ふたつの東日流耶馬台城を虚構したのである。
 (四) 右の二つの文章が同一性を持つことは、明らかである。原判決は、「山中の情景描写として特異なものとは認め難いものであって」とするが、短い文章の中に同一性を認められるものが多数あれば、偶然の一致ではなく、本件論文の記述に依拠したと考えるのが相当である。
 12 「東日流耶馬台城跡」にいう「山鳩の声聞く」と、本件論文の「鳥の羽音や」の同一性と依拠性
右の「山鳩の声聞く」文章も、右に縷述した本件論文との間に依拠性、同一性、類似性があることを併せ考えれば、本件論文に依拠したことを意味すると理解できる。
 13 「東日流耶馬台城」にいう「隠れ泉なる処・・・洞穴なり」と、本件論文の「木の川の奥・・・洞窟のある」の同一性と依拠性
 (一) 川の奥には、あまり知られない源泉があり、そこに洞窟があるという情景は、全く同じである。
 (二) 東日流耶馬台城は架空話であり、本件論文を参考にして、作文する経緯の中で、「東日流耶馬台城跡」の文章に取り込まれたものと推認される。
 この場合、川の奥の泉と洞窟がセットになっており、本件論文との同一性は明らかである。
 14 「東日流耶馬台城跡」の「遺物の土器物のありて」と、本件論文にいう「土器など考古学的出土品が多い」の同一性と依拠性
遺物(考古学的出土品)の土器が出土するという話は、全く同じである。
 因みに、江戸時代にいう土器物は、土器そのものをいうのではなく、土器に盛る食物の方を差しているのであって、この古文書を本当に江戸時代の人物が書いたのであれば、このような間違いはしないであろう。(広辞苑 土器物 大きな土器に盛った酒の肴)
 15 耶馬台城之大秘道しるべ( 第1審判決別紙(九)の2 )について
 原判決は、「本件論文中の控訴人が本件石垣の存在を聞き及んだ経緯の記述との部分的な類似性は否定できないにしても」とする。即ち、「石垣の存在を知る経緯」という点だけが類似性を認定されている。
 しかし、土地の伝承を聞いたことから遺跡を発見するに至るとの筋立てや、山中で日が暮れるといった描写などの部分について、原判決では同一性、依拠性が認められてないが、その点においても、同一性、依拠性が認められて然るべきである、
 16 写真の著作権侵害と翻案権侵害にいう同一性・依拠性
 (一) 「知られざる東日流日下王国」の当該文章を書いたのは、東日流外三郡誌にある東日流耶馬台城の実在を事実と思わせるためである。そのためには、読者に対し、本件論文にある熊野猪垣と同じものであると説明することが、最も手っ取り早く都合のよい方法だったのである。
 (二) 「知られざる東日流日下王国」に掲載された盗用写真の説明文を、判決にあるが如く写真が熊野のものであることを知った上で書いたということ自体、虚構の東日流耶馬台城を、熊野猪垣と重ね合わせようとした被上告人の意図=同一性・依拠性を端的に示すものである。
 (三) 写真(1) から読み取れる情景の一部を、耶馬台城址之伝に記述された「東日流及び紀州のみに実在なして他類なき城址なり・・・瓜ふたつにも似て」の文章において、虚構の東日流耶馬台城を熊野猪垣と重ね合わせることにより説明しようとするものである。
  特に、上告人は、被上告人に「写真(1) 」を送った際の手紙に、熊野と同様に、神武天皇(対立者としての長髄彦)の伝説のある奈良県(大和〉生駒山に猪垣はあるが、それは土塁部分が多いと書いたが、そのことが、この「大和に求めて」という記述につながっていると考えられる。
 (四) 盗用写真(3) の画面と、東日流耶馬台城跡の文章とを対比すると、まず写真の右に写っているのが城垣(本件論文の熊野猪垣)であり、中央の道か濠道(本件論文の猪垣の山側の道)である。中央上部に白く見えているのは峰であり、白いのは、木立の影響があまりないので明るいのである。被上告人は、写真説明で、それを山頂と見て、(濠道・・・山道が)山頂までも続くと書いているのである。東日流耶馬台城跡の文章の「濠道に続く果なる至処を究む」の至処である。写真の中央の濠道(山道)に「歩をなして・・・峰道に達す」のである。このように、江戸時代の古文書に、盗用写真の描写が入っているのである。
 (五)(1) 「知られざる東日流日下王国」での、盗用写真(6) の説明文は次のとおりである。
 「耶馬台城本墟にはその城囲石塔と秘洞入口が、中央に見える、丘は城跡であるが秘洞は日本海中部地震で跡型もなくなった」(甲第五号証の八)
 また、「知られざる東日流日下王国」の「第一五章、特報!世襲に消えたまぼろしの耶馬台城」での、盗用写真(6) )に関する文章は次のとおりである。
 「その日は寒く、吹雪となったので、途中で引返したが、原生林の幹間を、はるかに耶馬台城の台地が眼に見えた。蟻も這上れぬ絶壁が数十尺の断崖や懸崖をなして、古き廃墟と言えども、人々を寄せ付けない孤城の障害が、自然に備わっている。この城跡に入るには、秘洞からでないと入ることができないという。この城跡を囲むように石塔が遺され、その城邸には、堅固な石垣が築かれているのを、望遠鏡に望むことができた」(甲第五号証の二、二四九頁)
(2) これら盗用写真(6) に関する、被上告人の文書は、まさに妄想と言うべきもので、次のような特色がある。
 (1) 写真の中央の顔のように見える岩山を耶馬台城本墟跡としている。
 (2) 城囲石塔は、本件論文の「ときには石垣に付属した特異な石の構築物にも出会う」と写真の画面手前の三角形の先の尖った石と結び付けたものであろう。実際には、この付近に特異な石の構築物はないし、三角形に見える石は、上告人から見れば、それほど変哲もない先の尖った石が、石垣の上にひょこんと載っているだけのことである。・・・・・おそらく、今もそのままであろう。
 (3) 秘洞入口とあるが、洞窟そのものがそれほど奥行きのあるものではない。秘洞からでないと入ることができないという話は、夢があって面白いが嘘である。
 (4) 丘を城跡として、盗用写真(6) から種々と書いているが、実態からは、ほど遠いものである。
 (5) 耶馬台城の台地・・・古き廃墟・・・この城跡・・・城邸には、堅固な石垣が築かれたとして、城邸という言葉が使われているのである。
 (6) 「秘洞は日本海中部地震で跡型もなくなった」というのは嘘である。営林署では、日本海中部地震で崩れた所はないといっている。被上告人は、「無いものを有る」といって、後は、逃げの準備をしているだけである。
17 「耶馬台城之大秘道しるべ」にいう「飯積山庄屋中村殿より・・・聞き及びて得たり」と、本件論文にいう「当屋から、いろいろの伝承をうかがった」同一性と依拠性
 (一) 「飯積山庄屋中村殿より・・・聞き及びて得たり」と、「当屋から、いろいろの伝承をうかがった」は、庄屋と当屋の違いはあるが、地元の有力者から地元に伝わる話を聞いたということで、同一性がある。
 (二) 東日流耶馬台城は、実際には存在しないものであり、存在しない東日流耶馬台城の所在を教える庄屋も、その発見談も嘘である。虚構が、本件論文と一致するのは、それを参考にして書いたからである。
 18 耶馬台国の崇神
 原判決は、「紀伊半島に石垣の存在すること自体は本件論文において報告されている事実にすぎないし、また、本件論文の触れる神域説も、控訴人の本件石垣に関する推理の一つとして想定し得る結論のみを抽象的に述べたに止まり、他方『東日流外三郡誌』の前記記述は信仰と石垣との関連を多少なりとも具体的に述べたものであることなどからすると、右記述は本件論文にヒントを得たと見る余地はあるにしても」と認定する。
 そこで、「耶馬台国の崇神」にいう「神に奉納せるものに久遠の供とて神石を築きて国譲るものとせるは・・・耶馬台国神石大長里石垣 紀州」と、本件論文にいう「長い石垣を見つけた・・・山城説か、神域説ないしはその両方をかねたもの・・・紀伊半島の」をみれば、前者の後者に対する依拠性は明白と思われる。
 19 「東日流往古之謎史跡尋抄」について
 原判決は、「山中の情景描写は何ら特徴のあるものでないし、飛鳥山についても本件論文にある飛鳥神社に名を借りたと解するのは根拠が十分でなく、仮にそうであるとしても、それは控訴人の思想、感情の表現とは無関係の事柄である神社の名称にヒントを得たに止まるというべきである。・・・遺物の出土に関する点は遺跡の発見に関する記述である以上当然予想されるものであるから、これが本件論文に依拠したと推認することは困難である」という。
 しかし、例えば、「東日流往古之謎史跡尋抄」に言う「手入れ久しくして無路支に迷うこと誓々なりて、史跡を探るも易得ならず・・・草木に分入りては方所を失覚し」と、本件論文に言う「草、かん木に隠れ、あるところは崩壊し、時には行方がわからなくなるところもあった。昼なお暗い山中で列石の続きを捜して迷ったこともある」をみれば、両者は、(山中で長く放置されたため)草木が茂り、列石を見失い道に迷うことがあったという点で、全く同じ趣旨である。
 20 盗用写真(2) の描写が、「東日流往古之謎史跡尋抄」に「延々たり石垣の苔草」として記述されている。
 実際には石垣はない訳で、当然のことながら、存在していない石垣の苔草が見えるはずはないのである。それにもかかわらず、東日流耶馬台城の文章に、記述されている。
 さらに、この説明文には、“あすなろの原生密林を縫うように石垣が築かれていた”とあるが、この写真の木は“あすなろ”ではなく、桧である。熊野猪垣の写真で東日流耶馬台城を虚構するため、樹木の名までも偽っているのである。“あすなろ”は青森に多い木である。何としても、東日流に結びつけようとしていることが分かる。
 古代の津軽にあったとされる東日流耶馬台城の発見談が書かれているはずの江戸時代の古文書の記述の中に、現代の熊野猪垣の写真の描写が描かれているのである。これは、正に被上告人が、熊野猪垣を使って、虚構の東日流耶馬台城をでっち上げたことを示す明白な証左である。
 21 総輯東日流六郡誌・紀州熊野宮之由来について
原判決は、「本件論文にある本件石垣に関する神域説と右記述の類似は否定できないにしても、右は前記のとおり控訴人の本件石垣に関する推理の一つとして想定し得る結論のみとなっていることは考えられるとしても、いまだ翻案として著作権を侵害するようなものとまではいえない」「熊野山中の長大な石垣の長さを江戸時代に書れたとされる文献において表現するとすれば、自ずと限られた範囲内での一定の数値を採用するほかないのであるから、その中で15里という数値が採られたからといって、これが控訴人の本件論文の記述に依拠しているものと直ちに推認することは困難である」とする。
 しかし、原判決は、左の点から誤りである。
 (一) 依拠性の確認に関すること
 (1) 「熊野山中一五里之石垣」の筆跡は、被上告人のものである。
 被上告人は、熊野の石垣(猪垣)の長さが六〇キロであることを本件論文以外から知る筈がなく、その人物が書いた数字が一五里の場合、それは、本件論文にある六〇キロの数値を、一般的な社会慣習である四キロの一里の計算方式で、一五里に換算しただけのものであると考えるのが相当である。
 (2) 著作権侵害において考慮されるのは厳密な数字の一致ではなく、社会通念上の同一性を感得できる表現形式の一致である。従って、本件論文の六〇キロと「熊野山中一五里之石垣」の一五里は表現形式上同一の表現であり、本質的にも同一表現と判断するのが妥当である。
 (3) この六〇キロという表現は、上告人の調査研究過程における過渡的な研究結果を表現したものであり、客観的には存在しえないものである(その後の研究により一〇〇キロを越える長さが確認されている)。従って、この六〇キロという表現は本件論文を公表した時点にだけ妥当した数字であり、誰もが普通に創作したり使ったりすることのないものである。即ち、上告人が、思い出とか苦労話に使うか、他人が上告人の名を付して、当初そのような公表がなされたという趣旨でしか使うことのない表現であって、客観的なものではない。
 (4) 架空の東日流耶馬台城を、熊野猪垣(本件論文)を使ってリアルに表現しようとする被上告人の動機から考え、熊野山中の石垣の長さは、六〇キロかそれに近い数字でなければ困る訳で、それを原判決のように、東日流耶馬台城を書いた人物にはどのような数字でも選択できるのであるから、それが偶然六〇キロに一致したとしてもおかしくないと言ってしまえるのであれぱ、翻案権侵害はほとんど成立しなくなるのではないだろうか。実際間題として、里という単位はキロに比べてその幅が広く、一里は三六町である。従って一般的には町も使うのが普通である。
 原判決では、“自ずと限られた範囲内での一定の数値を採用するほかない”とするが、「なぜ、里よりも細かい数値で、その長さを表現しようとしなかったのか、現在、実態として、その長さが一〇〇キロを越えて存在することが判っているがその数値との差をどのように考えるのか。町単位での表示とか、総延長一〇〇キロの長さを併せ考え、偶然、六〇キロに合う確率をどのように考えたのであろうか。通常、熊野の現地に行かず、測量することもせず、従って、何の根拠もなく、しかも客観性の全くない六〇キロ(一五里)の数字と偶然に一致するなどということはあり得ないのである。熊野猪垣を参考にそれと瓜ふたつの東日流耶馬台城を虚構しようとした被上告人の動機も明らかになっているが、それとの関係をどう考えるのか」などに対する説明も何もない。勿論、この疑問点は解明されていない。しかるに、全て偶然として処理するのであれば、それは理由不備、理由判断の脱漏があると同視せざるを得ない。
 (5) (1)から(4)により、「熊野山中一五里」という表現は本件論文に依拠した表現であると判断される。
 (二) 本質的表現に関すること
 (1) 本件論文の副題が「山城?神域?総延長六〇キロ、列石をたどり奥へ奥へ」となっていることからも明らかなとおり、熊野の猪垣が六〇キロに及んでいることは本件論文の「本質的な特徴自体を直接感得することができる」表現、即ち、本件論文における本質的内容が表現されているものであり、この表現の利用のみをもってしても翻案権侵害を構成すると判断すべきである。
 (2) 六〇キロは数字であるが、同時に、思想や感情を表現したものである。
 (1) 六〇キロという数字で、驚きや感動を伝えることが可能である。
 (2) 数字だから客観的であるとは言えないのである。特にそれが確定していない数字である場合はなおさらのことである。この六〇キロは調査過程の数字であるが、熊野の山中に六〇キロもの石垣が存在するという表現の意外性は全文を通じて最も本質的重要性をもったものであり、それを表現するかしないかで、読者への響きに、雲泥の差を生じることが予測できるのである。
 (三) 半田鑑定書(甲第二二一号証の二)は、この点に関し、「X文書(日本経済新聞の論文)中の『私が五万分の一の地図に記した石垣の総延長は、現在までの段階でおよそ六〇キロメートルに及んでいる。撤底的に調べれば、まだ伸びるかもしれない』という記述は、控訴人が1年間にわたり熊野の山中を渉猟して得られた汗と苦労の調査の結晶を書き表した部分であり、短いがこの部分だけを取りだしても著者の思想と感情が表現され立派な著作物ということができる。そしてこの部分がY文書(総輯東日流六郡誌)では『熊野山中一五里之石垣』として表現されている。六〇キロメートル=一五里であり、前述のように被控訴人がX文書(日本経済新聞の論文)の存在を知っていた(青森地方裁判所判決、仙台高等裁判所藤本光幸陳述書、乙第八九号証)との前提をとるかぎり、この一致は経験則上、偶然の範囲を超えるものであって、明らかに無断引用であると解せられる」と鑑定書に述べている。従って、「熊野山中一五里の石垣」の一五里の数値は、日本経済新聞の論文の数値がそのまま剽窃されたと考えられ、かつ、控訴人の著作権を侵害しているのであると的確に指摘している。
 22 さて、東日流耶馬台城跡全文(甲第九号証の二)の文章は、次のとおりである。
 これまで指摘した本件論文との同一性及び依拠性を示す箇所は、———の罫線で示すとおり、その箇所の多さと内容の近親性からいって本件論文との同一性、依拠性は優に認められる。(インターネットでは赤色表示)
 梵珠連峰北に走る山に飛鳥山ありて、その林中に石垣延々たる邪馬台城ありき
 千古の歴史を偲ぶ太古に邪馬台国五畿七道の王たる安日彦、長髄彦命等を追ませし日向の賊に備へし城垣にして、是を今に知る人ぞなし
 飛鳥山の四方、東に卒止浜、北に大蔵山、南に魔神岳を位なし桧山にしてその木立樹令幾千年の大老木茂る処、ひる尚暗く、太古を偲ぶ城跡なり。
 林中無気味なして西に望むれば樹海開く処に望みては、東西に遠々たる大いなる東日流平野、雲海の如くして十三奏はるかに見ゆるなり
 此の城垣をして濠道あり、土門ありて建物ありなん処に卒止浜の磯山河望みて易く、要害建固なり。而るに想ふ処、この城跡にて戦事なく、国安らぎて廃虚となりたるや。または一族の秘とせしむ、何れか仔細あり
 此の秘城遺りしか、たれぞとて知るものなかりき。四辺に歴史あり
 石塔山近く、是れ山伏の秘密権頂とや道場跡ありて、不可思議なる石搭の築けるありぬ。梵珠の山は梵場寺跡ありて、往古のしるべあり。降る卒止浜辺に安東重季が居城あり。攻防の戦場跡なり。
 而るに、耶馬台城跡のみ寂として、時折、山鳩の声聞く耳なり、渓水は清くして山菜豊庫の如し。
 石垣を廻らし、是敵防なれば高からず、沢に投石のたくわいならば敵誅によろしき哉。
 而して能く見巡せば、秘を蔵す処にしては、是永世に護らえる地位にありて、是を探るも難にして、先づは濠道に続く果なる至処を究む。その濠道に歩をなしては、人視に難く東西南北の峰道に達す城邸に水乏しきに、隠れ泉なる処あるを覚ゆ洞窟なり
 城邸と覚つは石垣濠のたぐいならず、土堤をも連らねたる処多し。館建てりと覚つ処に礎石なく、是、掘建の館とぞ覚つ、吾れ独りの愚考なりき。
 土を堀りては、遺物の土器物ありて古時を語るが如し、是ぞ、東日流最古の城邸なりと思ふらん。
 他言に伏せて、末代までも是の城柵護らむるも亦、吾が意に通ずる魂の御告なるかと筆に図取りて、五日がかりの調踏了り、茲に語部録の真伝は尚更に感無量也。

 三 本件論文のストーリー等と東日流外三郡誌等のストーリー等の同一性
 1 本件論文のストーリー等と東日流外三郡誌のストーリー等の同一性について
 両者を比較すると、共通のストーリーは次のとおりである。
 (1) 山中(山岳部)に、長い石垣(城)が存在している。(その具体的内容は前記第4、二1項参照)
 (2) その城(長い石垣)は、古代の神武天皇と長髄彦命の時代のものである。(同2、3項参照)
 (3) そのことを今は誰も知らない。(同3項参照)
 (4) 四方の地域との関係を述べる。(同4項参照)
 (5) 昼なお暗い山中の城跡(長い石垣)(同5項参照)
 (6) 精神的影響その受け止め方(荘重、不気味)(同5項参照)・・
 (7) その地方の要衝が見通せる。(同6項参照)
 (8) 石垣とその山側の道(同7項参照)
 (9) 門があり、要衝が見え、眺望が良く、城である。(同8項参照)
 (10) 城跡、廃墟(同16項、前記第4、三5項参照)
 (11) 何か仔細があるのだろうか。(前記第4、二9項参照)
 (12) 誰も知る人がない。(同10項参照)
 (13) その周囲に歴史のしるべがある。(同11項参照)
 (14) 特異(不可思議)な石の構築物(石塔)がある。(同11項参照)
 (15) 鳥(同12項参照)
 (16) 川(泉)、洞窟(洞穴)(同13項参照)
 (17) 土器が出土する。(同14項参照)
 2 元々、東日流耶馬台城は実在せず、東日流耶馬台城跡の文章は虚構である。
 本件論文のキーワード(基本的な内容)は、“長い石垣とともなう謎”“その囲いの内外への思い”“古代(神武天皇、長髄彦時代)へのロマン”であるが、東日流耶馬
台城跡の文章は、その全てが含まれている。
 その虚構の文章を偽作するとき、まったく想像によって書くか何かを参考にして書くかの何れかであるが、これだけのストーリーおよび、意味、趣旨、内容が
一致する以上、本件論文を参考にして翻案したと推認せざるを得ないであろう。
 3 「本件論文」と「耶馬台城之大秘道しるべ」(甲第九号証の二、一二五頁及び一二六頁)のストーリーの一致性
 短い文章であるが、次のように、ストーリー等が一致している。
 | 耶馬台城之大秘道しるべ   | 本件論文
 | 庄屋より          | 当屋に
 | 是の石垣をなせる城跡    | 石だたみの道のようなもの
 | 聞き及びて         | 伝承をうかがった
 | 山谷を越え、登り      | 山にはいった
 | (飛鳥山)         | (後の山中奥深く)
 | 城跡なる処に当らず     | 石の道は見つからなかった
 | 石垣延々と続くを覚ゆ    | 長い石垣を見つけた
 | 時速く日暮れて       | 日の短い秋、暗い山中

 以上並行して並べた文章は、「本件論文」と「耶馬台城之大秘道しるべ」の内容が一致し、かつ、その順序までが一致しているものである。
 これを見れば、これだけの一致性が偶然に生じるものでないことが判る。翻案と推認して何ら問題がないのである。
4 右について二、三補充説明すると、まず、
(一)(後の山中奥深く)のみは(飛鳥山)の位置に変更している。
(二) 「後の山中奥深く」と「飛鳥山」の関係
 「後の山中奥深く」の「後」は飛鳥神社の「後」のことであり、「飛鳥神社の後の山中奥深く」という意味で、「飛鳥山」と同意義である。
(三) 「石だたみの道のようなもの」と「是の石垣をなせる城跡」の関係」どういう訳か、被上告人は、石塁、石垣、土塁、土堤(土手)の、塁、垣、堤のようなものを、しばしば、畳(たたみ)と書くのである。
 一例を上げると、「知られざる東日流日下王国」の
 盗用写真(1) の説明・・・写真の土塁(土堤)を土畳
 盗用写真(2) の説明・・・写真の石塁(石垣)の門を城畳門
 同書「第15章、世襲に消えたまぼろしの耶馬台城」の盗用写真の描写に、「石垣や土畳を築いた城邸」「石垣や土畳跡」「延々とした土畳」「土畳や石垣が遣る」と記述されている(甲第五号証の一ないし九)。
5 以下は文章の位置が前後しているが、「本件論文」と「意味」「趣旨」「内容」が、一致ないし類似するものである。このことも、「耶馬台城之大秘道しるべ」の文章(甲第九号証の二、一二五頁及び一二六頁)が、「本件論文」の翻案であることを裏付けるものである。
(一) 同一行目中の「耶馬台城」は、前記2項の「東日流耶馬台城跡」で明らかにしている。
(二) 同一行目中の「大和に求めて探せど」は、前記第四、二16(三)(三八頁及び三九頁)前項の「東日流耶馬台城跡」で明らかにしている。上告人が被上告人に対し、写真(1) を送る際、奈良県(大和)の生駒猪垣で、その写真のように土塁の部分が多いと書いて送ったことによる記述である。
(三) 同三行目中に「飯積山庄屋中村殿」とあるが、江戸時代の津軽に「飯積山庄屋」が存在したという記録はない。
(四) 同三行目中の「石垣をなせる城跡」は、「本件論文」を参考に虚構した実在しないものである。
(五) 同五行目中の「飛鳥山」も、前項の「東日流耶馬台城跡」で述べている。
 「東日流外三郡誌」に書かれた地図の場所には実在しないものである。
(六) 同六行目中の「林中に入りては尚城跡なる」は、「本件論文」をほうふつとさせる。
(七) 同七行目中の「石垣延々と続く」は、「本件論文」をほうふつとさせる。
(八) 同一〇行目中の「謎なる城跡」は、「本件論文」をほうふつとさせる。
(九) 同一一行目中の「耶馬台城とは」は、「本件論文」を参考に虚構した実在しないものである。
 四 原判決の理由不備=判断
 矛盾前記三1ないし5のとおり東日流外三郡誌等は、上告人作成の本件論文と、そのストーリー等を同一とするものである。
 その結果、前記の裁判例にいう「当該他人の著作物における表現形式の本質的特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていない」ものなのであり、正に上告人の翻案権を侵害するものである。

  第5 東日流外三郡誌等の本件論文に対する依拠性についての判断の脱漏      
 一 著作権侵害と原著作物に対する依拠性
 前記判例にもあるとおり、著作権侵害の責任を問うためには、対象となる作品が原著作物に依拠して作成されたことを要する(東京高裁平成八年四月一六日判決)。
 二 原判決の判断
 しかるに、原判決は、「本件各証拠上の裏付の有無を検討すると、右偽書説にはそれなりの根拠のあることが窺われるものの」としながら、「このような一面で学問的な背景をもって見解の対立する論点に関して、訴訟手続において提出された限られた資料から裁判所が判断するのは、それが総称の裁判を判断する上で必要な場合には当然行うべき筋合いではあるが、結論を導くのに不可欠といえない場合には、これを差し控えるのが相当であると考えられる。」とし、結論としては、「『東日流外三郡誌』等の著作者が誰であるかの判断に立ち入るまでもない」として、右論点の判断を回避した。
 三 原判決の判断の脱漏
 1 しかし、前記のとおり著作権侵害を判断するうえには、当該文書が原著作物に依拠したものか否かの判断は必須であり、原判決は、この点の判断を脱漏している。
 2 さらに、客観的に二つの文書について、前記裁判例にいう「当該他人の著作物における表現形式の本質的特徴をそれ自体として直接感得しうることができる」か否かを、判断するに当たっては、当該文書が、本件の場合のように、被上告人主張のように抑々古文書であって、右判例にいう「当該他人の著作物における表現形式の本質的特徴をそれ自体として直接感得しうる」余地が否定されるか、上告人主張のように被上告人作成の現代における偽書であって、当然に「当該他人の著作物における表現形式の本質的特徴をそれ自体として直接感得しうる」余地が十二分にあると判断されるか、本件論文への依拠性の有無は、前記第三の判断を左右する極めて重要な事項であり、裁判所が、右事項に対する判断を回避することは許されないと言うべきである。
 3 従って、この点でも、原判決には、理由不備の違法がある。

  第6 原判決が結果的に被上告人の信義則違反行為を放置することについて
 上告人がこれまで一、二審を通じ主張、立証してきた「東日流外三郡誌」が偽書であることは、原判決も一部認めているところであるが、偽書はそもそも著作権法が目的とする「文化的所産の公正な利用」「文化の発展への寄与」を阻害する行為であることは明らかであり、民法の大原則である民法九〇条の公序良俗に違反するものであることも明白であろう。
 被上告人は自ら潔白を主張しているのに、その原本一つ提出できず、自らの尋問さえ法廷に申請しない態度は、まさに本件訴えから如何にして逃れるかだけが目的と見受けられる。
 日本の歴史事実を歪め、日本文化を冒涜する被上告人の行為を野放しにすることは、正義の観念、信義則の理念からも絶対に許してはならない。
 本件は、本件論文への依拠性と偽作文書であることだけでも、十分に著作権侵害と判断できるものと確信している。

以上

筆跡鑑定の経緯

1 甲第一七、一八、一九号証(和田家文書(東日流外三郡誌を含む)の筆跡鑑定)
 青森古文書解読研究会鈴木政四郎会長、佐々木隆次副会長による筆跡鑑定
 (対象文書・「和田喜八郎氏自筆文」「安東船商道之事」「高楯城関係文書」「大泉寺所蔵文書」「東日流六郡誌絵巻」「東日流外三郡誌」)

2 甲第八七号証(「偽書」の証明」「特殊な用語など」祖先の字を習ったか))
 産能大学教授安本美典による筆跡鑑定とその関連事項
 (「東日流外三郡誌「偽書」の証明」の九ないし一六頁)

3 甲第一三〇、一三一号証(東日流六郡誌第九巻の筆跡鑑定)
 青森古文書解読研究会佐々木隆次副会長による筆跡鑑定
 (明治三八年和田長三郎再書の署名のある文書の筆跡鑑定・この巻に「熊野山中十五里之石垣」の文字が含まれており(〇九五〇頁)、裁判の重要な焦点である「熊野山中十五里之石垣」を含む文書が、被控訴人和田の筆跡で書かれていることが証明されたのである)

4 甲第一四七号証(皇学館大学教授恵良宏の陳述書)
 皇学館大学教授恵良宏による筆跡鑑定と、甲第一七、一八、一三〇、一三一号証の判断の妥当性を確認していただいた。
 (八幡書店版の「東日流外三郡誌」では、著作権侵害で訴訟している当該文書の説明図の文字が、原本そのままの筆跡で印刷されているため、筆跡鑑定が可能で、その文字を見ていただいたところ、第一巻四八一、四八二、四八四、四八五、五三八、五三九頁に掲載されている絵図の文字の筆跡は、被控訴人和田のものと思われると判断されている。これは訴訟当該文書も、被控訴人和田の筆跡であると考えてよいことを意味している)

5 甲第一六二号証(東日流外三郡誌八幡書店版、第一巻、第六巻に、古文書をマイクロフィルムで撮影し、それをそのまま印刷している頁があり、その中に、著作権侵害で訴訟している当該文書の記述内容の説明のための絵図とその説明文が、古文書の文字そのままの姿で残っており、筆跡の鑑定が可能であった。その有様から、著作権侵害の当該文書そのものの筆跡と考えてよいものであり、その筆跡鑑定である)
 青森古文書解読研究会佐々木隆次副会長による筆跡鑑定
 (著作権侵害当該文書が、被控訴人和田の筆跡であることが推認できるものである)

6 甲第一六七号証(季刊邪馬台国五一号に掲載された筆跡鑑定とその関連事項)
 季刊邪馬台国編集部による筆跡とそれに係わる事項の徹底追求と分析の結果
 (被控訴人和田が係わった偽造文書とその筆跡について幅広く取り上げている)

7 甲第一六九号証(立教大学名誉教授林英夫の陳述書)
 立教大学名誉教授林英夫による筆跡鑑定と、甲第一七、一八、一三〇、一三一、一六二号証の判断の妥当性を確認していただいた。
 (「角田家秘帳」の実物を見て、被控訴人和田の筆跡であると確認されている)

8 甲第一七〇号証(陸奥新報、平成五年一〇月一七日、二四日掲載記事)
  産能大学教授安本美典による筆跡鑑定
 (新聞読者向け説明)

9 甲第二一二、二一三号証(東日流六郡誌第九巻の内、「熊野山中十五里之石垣」と、
それに係わる文章、「熊野宮由来」に絞って筆跡を鑑定したものである)
 青森古文書解読研究会副会長佐々木隆次による筆跡鑑定
 (「熊野山中十五里之石垣」そのものも、被控訴人和田の筆跡であることを確認したものである)

10 甲第二三四号証(「ゼンボウ」八ないし一三頁に掲載された、筆跡鑑定と特徴ある用語)
 産能大学教授安本美典による筆跡鑑定とその関連事項
 (読者に分かり易く書かれていると思われる)

11 甲第二四九号証の一ないし三(和田家文書の筆跡と被控訴人和田自筆原稿の筆跡比較表)齋藤隆一による作成
 (見ただけで同一人が書いたとしか言いようがないものである)


報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決

報告 平成九年一月三〇日 仙台高等裁判所判決


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