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和田家文書の中の新発見(『新・古代学』第2集 特集和田家文書の検証)


古田史学会報 1996年10月15日No.16

< 提言>三内丸山遺跡六本柱の巨大建物

茅葺き屋根三階高楼で復原を

青森県藤崎町 藤本光幸

 平成八年六月二一日号『週間朝日』に“土壇場の変更、三内丸山遺跡復原図の屋根が消えた理由”との見出のもとに以下の様な記事がある。
 
「(前略)素案では、高さ十六メートルの三層四階建て切り妻造りの板葺き屋根の神殿を思わせる建物だったが、発表された建物は屋根なしの盆踊りの櫓のような建物だった。六つの整然と並んだ柱穴跡が見つかったのは一昨年夏。-------
 県は最終的に、柱の下の土にかかった圧力の測定結果などから建物説を採用し、切り妻造りの板葺き屋根を持つ三層四階建てと決めた。屋根付きの建物の想像図も用意し、四月十七日に計画を発表する予定だった。
 ところが、建物説に反対する県外の有力な考古学者が、「あたかも建物説に確固とした学問的根拠があるかのような復原は納得できない」などと反対し、木村守男県知事に、ある会合で、「(屋根付き建物は)いきすぎでは」と直言した。・・・
 一時は復原の中止も検討されたが、結局、非建物説を配慮した折衷案に落ち着いた。・・・建物説の考古学研究者は
「同じ柱穴が発掘されても、弥生時代なら建物説に反対する人はいなかったでしょう。学者同志の我の張り合いで、中途半端な折衷案が採用されてしまった」
  と話す。・・・(青森支局・竹石涼子)」
 また平成八年八月十四日付の東奥日報明鏡欄に“屋根つき望楼復原を望む”との見出で以下の記事がある。
「(前略)巨大木柱建物であるが、 1. 建造目的が望楼か祭祀(し)場か、あるいは両目的を持つものか 2. 屋根の有無 3. 建物の高低-三点を組み合わせるだけで十二の仮説が生ずる。しかし、いづれも確証はない。出土品または、未発掘の土器の表面 に「巨大木柱建物の線画」などの物証でも発見されない限り、いかに高名な学者といえども推測の域を出ない。・・・故司馬遼太郎氏は一昨年、山内丸山の六つの巨大柱穴をみて「その関係位 置や深さから、楼閣跡であることは容易に推察できる」と述べておられる。--
 学者諸氏による確証が得られるまで、見学者が驚嘆し、感動し、楽しく想像できる「高さ十五メートル以上の屋根つき望楼」として復原されたい。・・・(弘前市・K生)」
 所が、六つの巨大柱穴のもとである巨大木柱建物について記述された資料が現存するのである。それは『和田家文書』の「丑寅日本史絵巻・十三卷」である。それには次のように記述されている。

「 神像之事 
イオマンテに奉斎せる神像とは石神なり。
宇宙より落下さる流星石をイシカ神、山に木の石となるヽをホノリ神、海や川に魚貝の石となれるをガコ神とせるは、古来よりの神像たり。此の神像たるは柱六本の三階高楼を築き、地階に水神、二階に地神、三階に天神を祀りて祭事せり。是の高楼は大王オテナの住むる處に築きたるは、古きハララヤ跡に遺りけり。是の高楼に祀れるは石神にして、人の造れるは祀ることなし。・・・石塔山に降臨せし流星は鉄石にして重し。また地神なる木石塊も亦然なり。水神たる神石は今は世になき古代の生物の神石なり。」

 ここで注意しなければならないことは、石神を祭る高楼が六本の柱による建物であり、これは三内丸山遺跡の六本の柱穴との関係なくしては考えられないことである。更に次の様な絵図もある。
 これによると、屋根つき高楼であり、屋根は板葺きではなくて、茅(かや)葺きである。大小の竪穴住居、大型建物などすべて茅葺きであるので、やはりこの六本柱の巨大木柱建物も、茅葺き屋根つきの三階建祭祀高楼と推定するのが妥当なのではあるまいか。
 NHKの三内丸山遺跡復原のテレビに板葺き屋根つきの三階高楼が出現し、しかも板葺き屋根には漆を塗ってあったが、漆の樹液は一本の漆の木からスプーンの何分の一程度より採集出来ず、一日に牛乳瓶一本分を集めるには三百本以上の木を傷つけなくてはならず、しかも自然の状態で山野に育成している漆の木からの採集であるので、漆は貴重品であり、屋根に塗るということは考えられないのではなかろうか。近世まで日本国中の農家の屋根はほとんど茅葺きであるし、茅葺き屋根つき高楼とするのが一番妥当であると考えるものである。なお帆つき船、及び屋根つき高楼の線刻された岩偶も存在するが、年代的に何時の岩偶かは今後の調査結果 にまたねばならない。
<左図は和田家文書に描かれた三階建高楼>
 下図


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜六集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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