古田史学会報34号
和田家文献は断固として護る」 (『新・古代学』第一集)へ
和田家文書の中の新発見(『新・古代学』第2集 特集和田家文書の検証)


古田史学会報
1999年10
月11日 No.34

和田喜八郎氏に捧ぐ

古田武彦

       --一九九九、九月二十八日、午前四時、永眠---

    一

 和田喜八郎氏の訃報に接した。言葉もない。その日がいつか来ることを、お互いに知っていた。否、お互いに、いつも言い合っていた。「お互い、そんなに永くはないからな。」朝の挨拶、夕の挨拶のように、何かあると書いた。電話で話していた。しかし、今は言葉もない。
 貴方と(もう、こう呼ばせてほしい。)はじめて会ったのは、石塔山だった。貴方はいつものくせで、あぐらを組み、斜めにわたしを見上げるようにしながら、言った。

 「絶対に---裏切るなよ。」

と。あれから十余年、今日まで、わたしは一回も貴方を裏切らなかった。お互いにきびしい言葉は投げたが、背を向けなかった。世間の一人々々が、たとえみんな、貴方を疑ったとしても、わたしは貴方を信じた。信じ通した。貴方が知って、の通りだ。
 無論、貴方には欠点も多かった。貴方御自身、御承知の通り。酒は浴びるわ、突然消えるわ、大言壮語で煙(けむ)に巻くわ、早くから「うその八ちゃん」の異名をもらっていたことを、永年の、貴方の知友から聞いた。
 わたしには、分る。分りすぎるほど分る。その異名のいわれが。いつもながらの、貴方の、あのやり方、あの放言だから、そう言われても、何の不思議もない。わたしはそう思った。疑えない。
 けれども、ちがった。貴方はわたしに対して、ちがった。それも、ギリギリの一つ。和田家文書そのものに関して、一切「うそ」を突いたことがない。決してあの「うその八ちゃん」ではなかった。
お互いに、見、お互いに聞き、お互いに言 ってきた、この十余年の経験から、わたしにはそれが断言できることを誇りに思う。
 お互いに、欠点の多い身だ。他人(ひと)様にも迷惑はかけ通しだった。生きている限り、 これからも、そうだろう。だからこそ、貴方とわたし、二人の中の一本の線、人間の真実のつながりを、わたしはみずからの人生を終えたあとも、「限りなき宝」と言い切ることができるだろう。深い幸せだ。


    二

 貴方は中傷に囲まれていた。誹謗は日常茶飯事だった。貴方の身のまわりから、あることないこと書き集め、「証拠資料」のように各所に送りつける輩(やから)もいた。わたしにも送られてきた。それはとても、口にすることもおぞましいほどの中傷だった。わたしもさすがに、その内容を貴方に告げることができなかった。
 やがて、貴方から、その「証拠書類」のことを聞かれ、それを見せた。貴方は怒り狂った。関係者を召集した。もちろん、それは虚言だった。泣いて、あやまられた、と貴方は言った。もちろん、わたしははじめから、そんなこと信じなかった。貴方と貴方の御家族を見ていれば、それが分った。
 けれども、ある人々には、それで十分だった。その「証拠資料」を各所に発送して、貴方の身の囲りの人々や古代史の会の人々を「分裂」にもちこめれば、それで足りた。「証拠資料」の真否など、はじめから問題ではなかった。そういう人々だった。そのような中傷や誹謗につつまれてすごした、貴方と貴方の家族、そのことを思うと、わたしの心はふるえた。いつもふるえつづけていた。その心がわたしの内奥から、わたしの情熱をかきたててくれた。屈せぬ心を育ててくれた。貴方とわたしの絆(きずな)を深く、深く、さらに深くへと深めてくれた。わたしたちは、あの中傷者たち、誹謗者たちに対して、その点では感謝すべきかもしれぬ。


    三

 しかし、許せないもの。それは、貴方のお子さんやお孫さんたちへの中傷の連鎖、誹謗の包囲網だった。それによって、どれだけ鋭く、どれだけ深く、若い魂が、女性の心が傷つけられたか。働きざかりの男がどれだけ、天を仰いで嘆かねばならなかったか。それを思うと、暗然とする。天地が真っ暗となってしまう。「なぜ。」「なぜ、そんなことができるのか。」人間という動物の中の、どす黒い獣性とみにくさに、暗然とする。
 しかし、負けてはいけない。決してくじけてはならない。そう思って、わたしは書きつづけた。裁判のための文書も、一字一字を紙の底深く、彫りつけた。それはわたし自身にとっても、わたしが人間であることの証(あか)しとなった。

    四

 貴方の深く愛する母上様が亡くなられてから、貴方の環境は、大きく変った。今までは、善きにつけ、悪しきにつけ、明快だった。ことに処して、迷いがなかった。決断しつづけてきた。それが貴方の築き上げた、カリスマだった。
 それが変った。晦渋となった。わたしのストレートな問いに、なかなかストレートに答えなくなった。否、それは、おそらく貴方ひとりのせいではないであろう。和田家一族の長としての苦悩。わたしには、そう思えた。いたましかった。
 だからこそ、この一年。それについてはいまだ語るときではないかもしれないが、或るときは、明快。或るときは晦渋。或る人にはAの答、或る人には、Bの答。人を迷わせはじめた。今までの貴方に、ない姿だった。見る人が見れば、「やはり、うその八ちゃん」と見えたことであろう。昔からの姿の復活、と観じた人もあろう。しかし、わたしはちがった。その貴方の声の中に「深い悲しみ」と「深い迷い」を感じた。「これでは、酒量がふえているだろうな。」そう思った。その危惧は、不幸にも当たっていた。「八ちゃん」なら、こんな悩みはなかった。

    五

 もう、止めよう。貴方にまた「出て行け。」などと怒鳴られるからな。もっとも、今、この世から出て行くとしたら、また貴方とバッタリ会う。それも、いいか。
 もっとも、いそぐことはない。どうせ、二人は会うのだ。会って、深い、深い握手をするのだ。それまで、貴方の「頼み」を片づけなくちゃ、な。もちろん、あれだ。末吉さん、長作さんの苦心の結晶、あの写本群とじっくり取り組もう。何しろ「毎日日曜」の有難い身だからな。後世の研究者のために、少しでも確実な、少しでも役に立つ、道をつけておくのだ。
 「寛政原本」だって。もう、いい。「照顧脚下」、今、わたしにできることを、専心やること、それに尽きている。貴方の御遺族方もみんな「人間の心」を心の奥深くもっておられる、すばらしい方々だ。やがて人類の最高の遺産の一つとして、それは輝く姿を現すことだろう。わたしの人生が、それに間に合うかな。わたしの守護霊よ、喜八郎さん。四六時中、見守っていてくれ。頼む。

               一九九九、九月三〇日、記


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜六集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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