高田かつ子さんとのえにし 古田史学の会第十一回会員総会の報告 「新東方史学会」発足の報告 「古賀事務局長の洛中洛外日記」の連載を開始
高田かつ子さんを悼む( 水野孝夫 会報68号)
高田かつ子さんとのえにし
奈良市 飯田満麿
「袖触れあうも他生の縁」という箴言は日本社会に広く知られている。是は多分日本民族の心にあまねく存在する寛容の気持ちと、仏教の理念が習合して我々の中に定着した意識なのだろう。しかし私と高田さんは袖すら触れあっていない。それでも高田さんは私に不滅の強烈な感動を残して逝ってしまわれた。
始まりは一本の電話だった、確か去年の春先だったと記憶している。電話をとった家内が「お父さん、高田さんとおっしゃる女性から電話ですよ」と私を呼んだ。はて誰だろう?怪訝な面持ちで受話器を取った私の耳に「『多元関東』の高田です」という歯切れの良い言葉が飛び込んできた。それは『多元的古代』研究会.関東の発会十周年を記念する、「法隆寺移築問題」シンポジウムへのパネラーとしての出席要請であった。その時伺ったメンバーの重厚さに驚いて尻込みする私に、「建築技術者の立場から迫って下さい」と力強く語りかけられた。その迫力に思わず受託を返事した私であったが、気持ちが次第に冷静に立ち返るにつけて、「えらい事を引き受けた」と悔悟と不安の念に駆られて心細い限りであった。多分私の論文「法隆寺移築元の追求」を読まれた上での判断と推測したが、この論文、法隆寺=法興寺=太宰府の仮説の論証が不十分との批判を受け、有効な反論根拠を見いだせぬままの弱点を残していた。
以後半年間、私は必死になってその証拠を探索し、遂に大阪府立中央図書館に於いて、「法隆寺国宝保存工事報告書」中の五重塔芯柱実測図中にその証拠を発見した。其れは法隆寺五重塔芯柱は従来云われていた差し渡し八二センチではなく、最大径八八・五センチの八角形で、観世音寺の五重塔遺構礎石彫り込み、径八九センチと一致するという事実であった。この事実は今現在公に承認されてはいないが、私の中では不動の真理である。
この間シンポジウム当日も含めて、高田さんとは二回お目にかかる機会があった。其れも挨拶だけ。その他電話、FAXでのやりとり十回弱。唯それだけでも高田さんとのえにしは絶大で私の脳裏を離れない。私に機会と意欲を与えて下さった高田さんの恩義は絶大である。感謝の念は如何にしても著し尽くせない。人間関係の奥深さは時間や回数の大きさではないと改めて深く感じ入った。
高田さんの訃報に接して私はためらわず葬儀に参列した。斎場でご遺族にお悔やみを申し上げた際、義理の姪御さんから、「寡婦の上子供のない叔母の最後は、どんなに侘びしいものかと予想していましたが、古代史関係のお仲間があまりにも多数で、吃驚したり喜んだりでお礼の申し上げようもない」と話されていたのが印象的だった。
改めて故高田かつ子さんのご冥福を心からお祈り致します。合掌
古田史学の会
第十一回会員総会の報告
六月十二日に古田史学の会第十一回会員総会が開催された。二〇〇四年度事業報告・同決算報告・会計監査報告・二〇〇五年度予算・二〇〇五〜二〇〇六年度人事などが報告・提案され、いずれも承認された。なお決算報告の項目などに対して質問・疑義が出されたが、来年度決算報告にて改善することで、承認された。
二〇〇四年度事業報告2004/04-2005/03
1.「古田史学会報」6回発行(担当古賀)
2.会員論集『古代に真実を求めて』
8集発行(担当 水野、関西の会)
3.創立十周年記念講演会・古田武彦氏講演会等
本部行事として会員総会当日(大阪、6/6)創立十周年記念講演会を開催。この
他、関西の会(大阪、1/15)で開催。
4.古田氏の調査活動などへの協力
5/30万葉集・淡海の海・鳴門海峡案内(木村)
7/13大倭神宮案内(水野・飯田)
12/21法隆寺、千早赤阪村の寄手塚・身方塚案内(伊東・水野)
2/**『宋書』「父兄」の検索協力(水野)
3/12明日香の遺跡・現地説明会(伊東・水野・太田・飯田)
3/28藤原京遺跡(伊東)
3/28パソコン検索講座(関西の会、竹村)
鎌田元一氏著書検索(水野)
Philippe de Suarez著、トマス福音書・仏語版入手協力(水野)
5.インターネットホームページ『新・古代学の扉』(担当 横田)
※アクセス件数十八万件(日本語、昨年時点十三万件)、七万件(英語)を突破(05/5/1)。
6.図書寄贈
国会図書館、松本市の公民館、友好団体等に『古代に真実を求めて』を寄贈。
7.遺跡めぐり
毎月遺跡めぐりハイキング(関西の会、木村・小林)
4/18仙南地方「蔵王町・村田町・柴田町」遺跡巡り(仙台の会)
8/28津軽平野の旅(仙台の会)
11/7宮城県北遺跡巡り(仙台の会)
8.地域の会(北海道・仙台・東海・関西・四国)の例会活動
9.その他
9/5文化創造倶楽部三周年記念会で「古田史学の会」をパンフPR(木村)
11/15新雑誌創刊の打ち合わせ(水野・横田、東京)
1/25-27青森・市民古代史の会+古田氏奈良県めぐり案内(水野・伊東・飯田)
大学セミナーハウス古田講演(11/13-14)テープ起こし(水野)
会資料検索CDR作成頒布(横田・林伸禧・水野)
2005-2006年度人事 敬称略
1.全国世話人
鶴丈治(札幌市)、佐々木広堂(仙台市)、青田勝彦(原町市)、林俊彦(名古屋市)、古賀達也(京都市)、西村秀己(向日市・新任)、横田幸男(東大阪市)、小林嘉朗(神戸市・新任)、水野孝夫(奈良市)、太田斉二郎(奈良市)、合田洋一(松山市)、竹田覚(松山市・新任)、上条誠(福岡市)、力石巌(福岡市)。以上十四名。
※退任 宮林勇一(相模原市)、木村賢司(豊中市)、前田博司(下関市)。
2.役員
代表 水野孝夫 副代表 太田斉二郎 事務局長 古賀達也
会計 飯田満麿(奈良市)
会計監査 伊東義彰(生駒市)
3.その他
書籍部 大下隆司(新任) 会報担当 古賀達也 会誌担当 水野孝夫
インターネット担当 横田幸男
「新東方史学会」発足の報告
古田武彦
〔編集部〕古田武彦氏より新事業開始に伴う新組織「新東方史学会」立ち上げなどに関する報告が届きました。詳細は今後更に具体化されることになります。以下転載し、お知らせします。
ーー二〇〇五・五・二二(日)ーー
七・八(金)追記
〔 I 〕新組織「立ち上げ」の会(東西、各1回)
ーー今年九月(十七,二四日)ーーこの時「発足」確定
(A)(東京) 南大塚ホール(大塚)
九月十七日(土)午後一時(午前も)
〈世話役〉東京古田会
(B)(京都) アバンティ・ホール(京都駅の南側)
九月二四日(土)午後一時三〇分
〈世話役〉古田史学の会
講演 古田武彦
(本題)
「本気で問う《歴史を打ち破る》」
(副題)
(1) 「真実無罪」ーー日・中・朝・韓の青年に問う
(2) 「女王新発見」ーー日本列島側の倭人伝
(3) 「中国亡命」ーー井真成墓誌《その後》
(4) 「靖国を問う」─火中の栗を拾う─
(参加費)二千円《学生無料》
〔 II 〕新雑誌(仮題「古田学」ーー『なかった!』に改題)発刊
(1) 来年(2006)より春と秋(年2回)
(2) 古田武彦直接編集
(3) ミネルヴァ書房刊行
〔?〕国際的な学術新雑誌の創刊
(1) 来年(2006)より、年1回。「国際人間観察学会」
(2) 「人間観察」目標?年1回。
(3) 小人数・純粋・高度の小学術誌と小学会
(4) 毎回1?4編の英文論文
(5) 各論文とも、すべて(全文)英文論文に限る(翻訳、可)。
(6) 小事務局、特別設置(未定)。
(7) 入会金、一年に三千円。(寄付、広告可。)
〔III 〕インターネットへの取組み。
(1) 上記の英文論文の全世界への発信。
(2) 古田から全国へのメッセージ発信(各月、または随時)。
〔 IV 〕基金公募
(1) 上記の各目的達成のための基金を「寄付」として募集。
(2) その「寄付」は思想・宗派・イデオロギー等とは無関係。
(3) 新雑誌(仮称「古田学」についてーー『なかった!』に改題)
(A)各回、(約二千円前後)、現物と交換支払い(配達会社と契約)。
(B)上記とは別に、一口五万円(定期購読5年分、十回)。公募。これを基金とする。《ただし、古田死亡のさいは、乞う御容赦。》
〔 V 〕役員等、九月十七日、および二四日に発表。
(それまでの問い合わせは、左記へ、電話番号は略)
○古田武彦と古代史を研究する会
○多元的古代研究会
○古田史学の会
※新東方史学会 郵便振込先
<略>
本会ホームページ『新・古代学の扉』に
「古賀事務局長の洛中洛外日記」の連載を開始
2009年6月に「古賀達也の洛中洛外日記」に改題
本会ホームページ『新・古代学の扉』で、新企画「古賀事務局長の洛中洛外日記」の連載を開始した。連載開始後、ホームページへのアクセス件数が増加し、検索による本会ホームページの上位ヒット率が向上した。第一話を転載する。
第一話「井真成(いのまなり)異見」
事務局便り
▼この度、全国世話人を退かれた宮林さん木村さん前田さん、長い間有り難うございました。新任の皆様、よろしく。
▼今年も猛暑が続きそうです。会員の皆様、暑中お見舞い申し上げます。ご寄稿もよろしく
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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