年頭のご挨拶 代表 水野孝夫 割付担当の穴埋めヨタ話2 綱敷天神の謎 西村
年頭のご挨拶
代表 水野孝夫
明けましておめでとうございます。会員の皆様も気持ちを新たにされたことと存じます。
古田武彦先生もお元気で、研究と著作にお忙しく、わたしは文献(古書)を買い入れるお手伝いに忙しい状態です。
古田史学の会として、仮題『九州年号の研究』という本を発行する計画を二〇〇八年の会員総会で発表しておりますが、諸種の事情で遅れており、まだ着手段階ですが、わたしは序文を書くことになっています。それで考えるのですが、年号「大化」と、いわゆる「大化の改新」の理解が「九州王朝の終焉」の理解に不可欠だと考えるようになりました。昨年の、この「年頭のご挨拶」でもふれたように、古田先生も「大化の改新の研究」は進めておられるのだが、テーマが目白押しで、「大化の改新を研究する時間がない」。それでは困るのですが、新年賀詞交換会のときに質問する予定ですので、賀詞交換会にご出席の方々は、この会報の文章を読む前に、結果をご存じということになるかと思います。
昨年十一月には、わたしにひとつの転機がありました。奈良県立図書情報館の図書検索端末にキーワードとして「大化の改新」と入れたら、候補図書リストのトップに、長谷川修・著『近江志賀京』(六興出版、一九七四)という本が現れたのです。もしキーワードに「の」を入れずに「大化改新」としていたら、この本に出会っていません。著者・長谷川氏は古田先生と同年の生まれ、工学者から作家に転身、下関市に住まれ、一九七九年には亡くなっています。氏の古代史推理に関する本は数冊ありますが、図書館なら書庫に入っているし、古書市場にしかありませんが、ある意味で「九州王朝説」なのです。記紀のもとになった『日本書』を想定し、「その書は古代史を虚構の形にすり変えて書くという、全く独特の編纂法を取っていた。その巧妙な方法とは、全国の国名をあらかじめ九州の地名に準じて命名しておき、その上で九州の古代史をすべて、あたかも全国の古代史のように見せかけて述べるという方法であった。なぜといって、天皇家に関する古代史はすべて九州を舞台にしたものばかりだったから」(同氏の著書より)。氏の著書にはヒントが一杯と感じますが、一九七四年あたりで、その説を読んだら、わたしは「トンデモ本」だと感じたに違いありません。
会員の皆様にも、古田先生の方法論は大切にするが、根拠があるときは結論には従わないこともあるという反骨精神も大切に。それと疑問は忘れずに持ち続け、自分のテーマ研究と会活動への参加も続ける「継続は力なり」を大切にしていただきたいと思います。
割付担当の穴埋めヨタ話2
綱敷天神の謎
西村秀己
近畿から瀬戸内を抜けて博多まで、所謂「綱敷天神」なるものが点在する。由緒は何れも、「天神すなわち菅原道真が都から大宰府に赴く途上、巻いた綱の上で休憩した」というものだ。何故、道真は休憩をいつもいつも綱の上で行わなければならないのか?これが今回のテーマである。休憩するなら石の上でも切株でも良いようなものだか、各天神社に伝わるのは全て綱の上なのである。人一人がゆったりと休憩しようとする時の、巻いた綱の重量たるや、数十キロにも及ぶのではあるまいか。これを道真一行が持ち歩いた、或いは道真が休憩を思い付いた所に常に偶然巻いた綱が在った。これは何れも信じ難い。では、「巻いた綱」とは何なのか。我々はこれが恒常的に存在する場所を知っている。それは走行中の船舶の甲板上だ。そこには巻き上げられた錨綱や帆綱が常に存在する。その上に座す「偉いさん」、これすなわち船長若しくは船団長の姿ではないだろうか。つまり「綱敷天神」とは、海(天)族の指導者の謂いではあるまいか。 (西村)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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