◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇
梔子(くちなし)(3) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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「私は襲その国(=南九州。熊襲、隼人と同義)へ行って来なければならない。」
火明(ほあかり)が言い出したのは、邇々芸(ににぎ)が倒れて六年(当時は年に二回年を取る二倍暦。従ってこの場合は、六を二で割って三年となる)後だった。
この頃は、人が死ぬと最低二年(二倍暦に従えば一年)は喪(も)に服す習慣だった。富や権力が不公平にならないよう兄弟統治の形式を取った火明としては、邇々芸の死と同時に何らかの処置を行ないたかったのだろうが、慣(ならわ)しを破る訳にはいかないので、秘かに準備を進めていたらしい。
「海幸うみさち兄様、帰って来て下さるかしら・・?」
父の身支度を手伝いながら、馨(かおる)は心配そうだった。
「火照(ほでり)には、どうあっても帰国して貰わねばならん。隼人を服属させるのも大切だが、現在(いま)は耶馬(やま)の基盤を安定させる方が先決だ。火照は、若い者らしく焦り過ぎているんだよ。」
馨には父の言葉は半分しか理解できなかったが、片腕を失った父の焦燥は察しられた。
だが、馨は、火照との再会は気が重かった。やむを得ない事情だったとはいえ、邇々芸を手にかけたのは自分だ。父はまだ、自分と従兄弟を結ばせて後を継がせる夢を捨てていないのかもしれないが、火照が親殺しとの婚姻を承知するだろうか・・? 襲の国で良き伴侶を得ていたとしたら・・? 又、火遠理(ほおり)が無事、戻って来たら・・?
「案ずるな。」
火明は、一人で小さな胸を痛めている娘を、力づけるように笑った。
「面倒な事は皆、父に任せて、おぬしは母者と香山かやまの守もをしていてくれれば良い。宮の警護は、前船司(まえのふなつかさ)の鳥船爺(とりふねじい)が引き受けてくれる。」
「そのことなのよ。」
馨は、思い余ったように言った。
「昨日から、香山の姿が見えないの。婆やと一緒に心当りは全部捜したんだけど、どこにもいないの。それに、お母様の様子もおかしいのよ。叔父上が亡くなられた際、羽白はじろが尾白おじろの背に相乗りして私を送って来てくれたのは、お父様も覚えていらっしゃるでしょう? お母様、羽白を気に入って下さったのは良いけれど、あれから松峡まつおの宮と頻繁に連絡を取って、山法師を大勢出入りさせていらっしゃるの。侍女たちの噂では、末盧まつら王の許へも度々密使を送っておられるとか・・。」
「証拠でも有るのか?」
火明の顔が心持ち青ざめた。
「香山を捜していた時、婆やが見つけたの。」
馨は、幾つかの花輪を取り出した。長らく袂(たもと)に押し込まれていたので、花はどれもくしゃくしゃに乱れ、黒ずみ、萎(しお)れかかっていたが、何とも甘美な芳香が漂って来て、火明は岩長(いわなが)と結ばれた夜を思い出した程だ。だが、茎の結び文字の内容(なかみ)は、魅惑的どころではなかった。
♪往昔いにしえの八重やえ這はひ求む細螺しただみの我子あこよ?
細螺のい這ひ求めり、撃ちてし止やまむ
(昔、海中をはい回る細螺のような反逆者共がいたけれど、今、又、同類が現れた。さあ、我が兵士らよ、これを撃ちに撃って撃ち負かしてしまおうではないか。)(「秀真伝ほつまつたえ」より松本善之助・訳)
一つは白日別(しらひわけ =北九州)の進軍歌、残りは、
♪今更さらに君が手枕まき寝ねめやわが紐ひもの緒おの解けつつもとな(岩波文庫「万葉集」第十一巻二六一一番)
(改めてあなたに抱かれて眠りたいものよ。私の帯もしどけなく解けかかってしまっているのだもの。)(現代語訳、筆者)
と、恋歌(こいうた)を表わしている。
茎の結び方が樫の葉の形ではなく、松が枝(え)に似ていた。松峡の宮の主(あるじ)は妻子持ちと聞くから、末盧王と岩長が贈り合った物だろうか?末盧には、香り高さで知られた梔子の花が多いともいう。岩長は松峡の宮や志々伎(しじき)と組んで、どこまでも耶馬王家に反抗する積りなのだろうか・・? 何にせよ、歌の意味を馨に悟られなくて良かった。母を救う為、叔父を殺した衝激から、未だ脱け出せずにいる馨だ。そうまでして守ってやった母が感謝どころか、娘も、まだ赤ん坊の息子も、敵と見なして命を奪おうとしていると知ったら、純真な少女(おとめ)心は狂いかねない。
しかし、火明は、襲の国行きを中止しなかった。岩長らの陰謀が事実なら余計、火照は連れ戻さねばならない。邇々芸にも度々面罵(めんば)されたように、大王として自分は技量に欠けている。耶馬の安寧のためには、冷酷非情な程の強力な片腕が嫌でも必要なのだ。
だが、夜陰(やいん)に乗ずれば岩長らの目を眩(くら)ませる、との火明の考えは楽観過ぎた。御笠(みかさ)の流れに沿って筑紫(つくし)野付近へ達した時、一行は鷲の大群の奇襲を受けたのである。
鋭い鳥音(とりね)が虚空(くう)を裂いたかと思うと、夜目にも白い翼を鳴らして猛禽達が舞い降りて来た。
「大王、危ない!」
部下の一人が弓をつがえるのを、
「待て、それより灯ひだ。明るくせんと、同士討ちするぞ。」
火明は制し、回り中に火矢を射かけさせた。
出し抜けの光に鳥達はうろたえ、もつれ合って地上に転落する。が、一際白い大鷲は、火明目がけて真向から突っ込んで来た。
火明のムチが飛ぶ。鳥はかわして、太い鉤爪を火明の頭に打ち込もうとする。
「大王、御加勢!」
部下達が火矢を浴びせたが、鷲は見かけによらず敏捷で、羽先で矢を叩き落し、嘴で受け止めて投げ返すという芸当さえやってのけた。
(こ奴、余程訓練されているな?)
火明は唇をかんだ。
これだけの群鳥(ぐんちょう)だ。操縦者がいなければ、秩序立った動きは取れまい。
(どこにいる・・!?)
火明が物陰に目を走らせると、
「愚か者よ、自分で自分の領土を焼き打ちするとは?。」
樹間から高い哄笑が湧いた。
「鳥寄せの術を使ったのは貴様か!?」 火明のムチが翻る。
赤銅(あかがね)の影は素早くよけ、口笛を吹いた。火明の頭上で、再び白い風が唸る。
とっさに火明は、部下の松明を奪ってなぎ払った。尾羽に火が燃えつき、鳥は悲鳴を上げる。
「男! 尾白を殺したな!」
赤銅の影が躍りかかって来た。
火明が左で刃を抜く。赤銅の影は脇腹を深く抉られて転げ落ち、なびく黒髪に匂う梔子と苦悶に満ちた岩長の横顔が、松明に浮かび上がった。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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