2010年12月1日

古田史学会報

101号

1,白鳳年号をめぐって
 古田武彦

2,「漢代の音韻」と
 「日本漢音」
 古賀達也

3,「東国国司詔」
 の真実
 正木裕

4,「磐井の乱」を考える
 野田利郎

5,星の子2
  深津栄美

6,伊倉 十四
天子宮は誰を祀るか
  古川清久

 

古田史学会報一覧

連載小説『 彩神』 第十二話 梔子1    星の子1 


     星 の 子(2)

 −−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
                          深津栄美

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 「バカ野郎!」
 火照(ホリデ)の拳(こぶし)が、火遠理(ホオリ)の頤(あご)に飛ぶ。口の端(は)が切れ、血が吹き出たが、火照は構わず、何度も弟に平手打ちを浴びせた。
 「兄様、やめて?。」
 馨(かおり)がすがりつくのを、
 「離せ!こいつは罰しなければならんのだ。」
 火照は振りほどき、
 「六年(むとせ 当時は年に二回年を取る二倍暦。従ってこの場合は、六を二で割って三年となる)もどこをうろついていた? その間に耶馬(やま)がどうなったと思っているんだ?!」
火遠理の胸倉をつかんでどなった。
 「すまぬ、兄者・・・。」
 火遠理が歯の間から呻く。
 「すまないですむか?馨は二十才(はたち 二倍暦に従えば十才)、香山かやまはまだ赤ん坊だ。我々が間に合わなかったら、二人共鼠と猛禽の餌食えじきにされ、耶馬は火の海になっていたところだぞ。」
言い募るのを、
 「火照様、もうおやめ下さい。小さい方々がびっくりしていらっしゃるじゃありませんか?」
 珠名(たまな)が制し、
 「私の占い通り、お兄様方は戻って来て下さったわ。私はこんなに嬉しいのに、海幸うみさち兄様はなぜお怒りになるの?」
 馨も懇願するように両手を差伸べると、
 「お前らは、全く甘いんだから・・・。」
 火照は肩を竦め、
 「良いんだよ。兄者の言う通り、俺は祖国くにの危機に際して役立たずだった。殴られて当然だ。」
 火遠理は呼吸(いき)を整えながら、
 「それより、伯父上は?」
と、辺りを見回した。
 広場には射落とされた鳥の羽や血に染まった武具(もののぐ)、将兵の屍(かばね)が散乱し、あちこちで黒煙が燻り続けていたが、青銅の甲冑姿はどこにも見当たらなかった。
 「海幸兄様、お父様に会わなかったの?」
 馨はハッとして、香山をあやしてくれている義姉(あね)を見た。
 「お父様は御自分で兄様を迎えに、襲の国(そのくに=南九州)へ旅立たれたのよ。末廬(まつろ)兵達が乗り込んで来たのは、そのすぐ後だったわ。」
 「行き違いになったのかな・・・?」
 火照と珠名も、馨の頭越しに不安な目を交す。
 「安心せい、私は無事だ。」
 温かみのある太い声が、背後に起こった。
 「お父様?。」
 駆け寄ろうとして、馨は立ち竦んだ。父の腕の中には地面に届く程髪を乱し、甲冑に劣らず蒼白な顔をした母が、ぐったりと目を閉じて横たわっていたのだ。おまけに母は、馨も火照らも初めて見る赤銅(あかがね)の鎧を着て、血のこびり付いた片手に若草色の飾り紐を握り締めている。父の肩に紐の端が揺らいでいるところを見ると、母が引きちぎったに相違ない。母は父を殺そうとしたのか?! 子供達は末廬の軍勢が踏みにじるに任せて?
 「お母様、なぜなの?どうしてそんなに私達が憎いの?教えてよ!」
 馨は狂気のように、既に冷たくなり始めている母の体に取りすがった。
 「建タケ・・様・・。」
 萎れた花のような唇から、殆ど聞き取れない位の声が漏れる。
 「え・・・?」
 馨が耳を澄ますと、
 「建タケ、様・・建タケ、御名ミナ、方カタ・・様・・。」
 岩長(イワナガ)は誰かを招くように、震える両手を前へ差出そうとした。が、伸ばし切らない中に両手は力を失って垂れ下がり、若草色の飾り紐もヒラヒラと地に舞い落ちた。
 「建御名方・・・?」

 「誰だろう・・・?」
 訝る子供達に、
 「建御名方は、岩長の許婚者いいなづけだった御仁だ。」
 火明(ホアカリ)が、ようやく重い口を開いた。
 「我々は志々伎シシギを復位させる為、末廬の玉座を奪った彼の妹みちる女王と、その後援者の木の国王を倒した。だが、岩長は木の国の姫として、両親を殺し、許婚者を放逐した我々が許せなかったのだ。」
 火明の口調は沈痛だった。最後まで夫も子供も家族と認めず、隣国の王達と密通し、復讐心を燃やし続けた岩長・・・自分は彼女の一足毎にすら胸をときめかせていたのに、岩長は笑みの一かけらも報いてはくれず、自分のあらゆる心使いを拒否し通した。敵の情けにすがる程落ちぶれてはいないと言いたかったのだろう。では、岩長はどんな思いで志々伎に抱かれたのか? あくまで祖国再興と一族の報復という打算に駆られていたのか? 果たしてそんな気持ちで異性に身を委ねられるのか、と疑問視する自分が甘いのだろうか? 邇々芸(ニニギ)の激怒も一理あるが、惚れた弱みで自分はどうしても岩長に強(きつ)い態度では臨めなかった。夫婦間のひずみが子供達に悪影響を及ぼしては、と恐れたせいもある。理由はどうあれ、馨と香山は自分と岩長の子供なのだ。しかし、とどのつまり、自分は岩長を倒さねばならず、子供達に建御名方との葛藤まで告白する羽目に陥ってしまった。出来れば、子供達は親のような苦労も悲劇も知らず、健やかに成長してほしいと望んでいたのに・・・臨終(いまわ)の際(きわ)に建御名方の名を呼んだ岩長の目には春の野辺を手を携えて駆ける若草の精のような許婚者同士が浮かんでいたのだろう。彼らの間に、永遠に自分の割り込む余地はなかったのか・・・
 (酷むごい運命よ・・・)
 嘆息する火明に、
 「建御名方様は、どうしてお母様を諏訪へお連れしなかったのかしら・・・?」
 馨が聞いた。
 火明は困惑した。まさか娘に、妹共々男装して逃げようとした岩長を力ずくで婚礼の席に引き据えた、と白状する訳にはいかない。
 が、馨は、返事に詰まっている父の様子を何と思ったのか、
 「逃げたのね?」
 不意に目を光らせた。
 「そうよ。本当に好きだったら、お母様も一緒に連れて行った筈だもの。なのに?。」
 馨の目に新たな涙が盛り上がった。いつぞやの邇々芸の雑言(ぞうごん)が蘇ったのだ。
 (奴は、諏訪の八坂姫と一緒になったんだぞ!)
 戦火の中に許嫁(いいなづけ)を置き去りにして、自分は安全圏へ逃れ、別の妻を娶る ーーこんな卑劣な男があるだろうか? 今まで自分は叔父が母を罵る度に反発していたが、真実は叔父の方にあったのだ。それを知らずに、自分は母を守ろうと叔父を手にかけてしまった・・・!
 「お母様・・・!」

 馨は力一杯、母の肩を揺すぶった。
 「大人になったら私と香山で、きっとお母様の仇を討ってみせる!」
              (続く)


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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