星 の 子(1)
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
深津栄美
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[概略]
冬の「北の大門」(現ウラジオストック)攻めを敢行した三ッ児の島(現隠岐の島)の王八束(やつか)の息子昼彦は、異母兄淡島の為に海に捨てられるが、天国(あまくに 現壱岐・対馬)に漂着、その子孫は韓国(からくに)にまで領土を広げ、中の一人阿達羅(あとら)は天竺(てんじく 現インド)の王女を娶るまでになる。対岸の出雲の王子建御名方(たけみなかた)は、白日別(しらひわけ 現北九州)に栄える木の国の王女岩長と恋仲だったが、白日別の富を狙う天国軍の侵攻により諏訪へ逃亡、岩長は敵将天火明(あめのほあかあり)との間に馨(かおる)・香山(かやま)の子供二人を設ける羽目になる。
「ほほう、こいつが耶馬やまの皇子みこか。」
「まだ赤ん坊じゃねエか。」
末廬(まつろ)兵達は丸一昼夜も石牢に閉じ込められていて泣き疲れ、声も出なくなっている香山の足をつかんでブラ下げ、今にも松明(たいまつ)の中へ落下しそうに近づけたり、無理にも口を割らせて舌を引っ張り出してみたり、四肢や股間の蕾(つぼみ)をまさぐったりして弄(もてあそ)んだ。
(やめて、弟を返してー!)
馨は叫びたかったが、猿轡(さるぐつわ)を噛(か)まされた上両手足を括(くく)られ、兵士の一人に首筋を踏みつけられている為、切れ切れな呻(いめ)き声を洩(も)らすのが精一杯だった。
末廬兵が雪崩(なだ)れ込んで来たのは、父の天火明の出発直後だった。黒光りする甲冑に身を固めた敵兵は武器を振りかざし、鬨(とき)の声を上げながら人も家畜も手当たり次第に切り伏せ、物をこわし、火を放って回った。
「何をする、無礼な?!」
鳥船(とりふね)老人は抗議しようとしたが、
「今日からここは、志々伎しじき様の支配地だ。」
「元々お前らは大国おおくにの臣下の分際で、主人あるじを倒したんだからな。」
「岩長様の恨みを思い知れ!」
末廬の兵士らに一太刀浴びせられ、血まみれになってその場に昏倒してしまった。馨も逃げる暇もなく衿首をつかまえられて縛り上げられ、石牢へ引摺って行かれたのである。
「向こうで狼煙が上がったぞ。」
「岩長様の合図だ?。」
新たな声に兵士らは香山を藁屑の上へ放り出し、表へ駆け去った。
馨を抑え込んでいた兵士も、
「お前らは、ここでおとなしくしていろ。じきに鼠共が、お前らを骨と皮にしてくれるだろう。」
憎憎し気な捨てゼリフを吐いて、石牢の閂を下ろす。
金属の余韻に混り、細く甲高いざわめきが隅から湧き起こった。暗がりを、光る目玉が幾つも右往左往する。長い尻尾、黒い耳、丸く柔かな背が馨の衣を飛び越え、頬を掠め、頭に突き当って来た。自分は衣服を着ているが、香山は丸裸だ。飢えたら死骸でも生き血でも貪るという野鼠の群れの前では、一溜(ひとたま)りもあるまい。馨は懸命に、弟の方へにじり寄ろうとした。爪先や指に、小さな鋸の歯が触る。
不意に、四肢が自由になった。鼠達の牙にひっかかり、縛(いまし)めが解けたのだ。
馨は素早く弟を抱き上げて自分の領巾(ひれ)にくるんでやり、たった一本燃えている松明を片手で脱(はず)すと、野鼠の群れに叩きつけた。藁屑にも火を点じ、蹴り上げる。
突如降りかかった火の粉に鼠共はうろたえ、一目散に隅の穴へ逃げ込んだ。
だが、ホッとしたのも束の間、遠方で銅鑼が轟き、敵の放火(つけひ)が勢いを増したのか、木々や板塀のはぜる軽快な音が辺りに充満して来た。キナ臭い黒煙が流れ込んで来る。馨は松明を元通り壁の凹みに据え付け、その傍(そば)で弟を撫でさすってやりながら逃げ道を捜して回りを見たが、四方には子供など幾度体当りしたとてはね返されるだけの巨岩がそそり立っている。松明の隣りにのみ、馨も外を眺められる位置に窓が穿(うが)たれていたが、頑丈な柵がはめられ、子供に取り脱しは無理だった。
火炎を煽るように、鋭い鳥音(とりね)が宙を渡って行く。
(あの声は??!)
馨はハッと窓越しの空を見上げた。
夜目にも白い尾や翼が耶馬の兵士をなぎ払い、嘴や鉤爪で目や喉を食い破る光景が、篝火に浮かび出る。松峡(まつお)の宮(現福岡県朝倉郡三輪町付近)の飼い鳥達に相違ない。馨はシャクナゲの園に迷い込み、そこで出会った志々伎の姿を思い出した。大鷲の背に相乗りして自分を送って来てくれた羽白(はじろ)を、殊の外歓待した母、乳母が拾った志々伎と母の飾り紐を・・・あの時から、母は松峡の宮を介して志々伎の後援(あとおし)を得、耶馬王家を滅ぼそうと企てていたのか・・・?でも、なぜ?父も自分達も、そこまで母に恨まれる事をした覚えはないのに・・・
(羽白、結局、志々伎様の味方についてしまったの?だったら、私達は敵同士になるのよ。もう会えないの?山へシャクナゲをつみに行く事も、一緒に尾白の背に乗って空を飛ぶ事も・・・)
途方に暮れる馨の耳に、鏑矢の音が聞こえた。
馨は目を瞠った。火照(ほでり)の矢の唸りによく似ていたからだ。父は出発に先立ち、襲(そ)の国へ急使を送ったが、もしや従兄が戻って来てくれたのでは・・・?!
馨が、外の様子を確かめようと背伸びすると、
「馨?ッ、香山?ッ、どこにいる?ッ?! 聞こえたら返事をしろ?ッ!」
懐かしい大音声が響き渡った。金の輪で髪を巻き、白地に青い波模様の風変わりな布鎧(ぬのよろい)の美女を従え、馬上から槍を振るって敵を追い散らしている逞しい若者が、灯影に浮かび上がる。
「助けて、海幸うみさち兄様、助けて!」
馨は手を振って叫んだ。
石牢に馬を横付ける火照の脇を、急に新たな影が飛び、岩が大きく口をあく。
「山幸やまさち兄様?!」
馨は満面を輝かせた。
(続く)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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