連載小説『 彩神』 第十二話 シャクナゲの里1 2 3 4 5 6 7 梔子1 2 3
◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇
梔子(くちなし)(1) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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〔これまでの概略〕
冬の「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した三ツ児の島(現隠岐の島)の王八束の息子昼彦は、異母兄淡島に海へ捨てられるが、天国(現壱岐・対馬)へ漂着、その子孫は韓へ領土を広げ、彼の地の支配者の一人阿達羅は天竺(現インド)の王女を娶るまでになる。対岸に栄える出雲の王八千矛の息子建御名方は、白日別(現北九州)の王女岩長と恋仲だったが、舟遊びの最中、敵に急襲され、岩長とその妹木の花は強引に敵将の妻にされてしまう。
「馨かおる様ーーア!」
侍女達が、庭や廊下で声を枯らしていた。日が沈んで大分たつのに、まだ馨が帰って来ないのだ。
「どこへ行っておしまいになったんでしょう・・・・?」
侍女達が疲れ果てた顔を見合わせると、
「だから、お一人で遊びにはいらっしゃらないようにと申し上げたのに・・・・。」
乳母は、泣きそうな表情で足摺をした。
シャクナゲの花は今日も舞い落ちてい
たが、拾われた様子もなく、砂に埋もれている。火照(ひでり)と火遠理(ほおり)に続き、馨までが行方不明になったら、橿日の宮(かしいのみや 現福岡県香椎宮)の血筋は断ち切られたも同然だ。香山はまだ赤ん坊だし、当時の乳幼児の死亡率は恐ろしく高い。どの家でも、ある程度子供の年がいくまで気を抜く事は許されないのだ。
「大王にお知らせした方が・・・・。」
侍女達が途方に暮れて目を上げると、
「その中うち、ひょっこり戻って来るかもしれませんよ。」
岩長はあっさり言い捨てて、奥殿へ入ってしまった。
(何て冷酷なーー )
(仮にも自分の血を分けた子供なのに、憐憫の情のかけらも起きないのか・・・・?)
乳母や侍女達の視線がたちまち非難の色を帯びるのが、見ないでも判る。
人でなし、鬼、毒婦 ーー何とでも言うが良い。実際、私は馨も香山も、我が子と思った事は一度もない。あの二人は天火明の子、そして彼と邇々芸は両親と妹を殺め、故国を滅ぼした極悪人だ。誰が反逆者を夫と認めるものか。私の夫は建御名方唯一人しかいないのだから。
建御名方は生涯、諏訪を離れないと誓って天国軍と和睦し、土地の豪族の娘八坂と結ばれた、との報告がもたらされたが、無理にでも私を屈服させんが為の偽りだ。建(たけ)様は、一度立てた誓約(ちかい)を破るような方ではない。追っ手を逃れ、諏訪のどこかで今尚、私が後を追って来るのを待っていらっしゃるのだ。早く自分もここを脱出せねば・・・・!
「馨がまだ帰館していないそうだな。」
突然、乱暴な声がかかった。
邇々芸が戸口に立っている。まるで相手の心を見透かしたかのように、こちらが秘かに逃げ出す準備をしている時に限って邇々芸は姿を現し、狼藉を働くのだ。かといって、さもオ情けを乞うような火明の態度も、卑屈でやり切れないが・・・・
「何の御用ですか?」
岩長は胸の波立ちを抑え、努めて平静に聞き返した。
「馨が夜になっても戻らんと聞いてやって来たのだ。」
短気な邇々芸は、もう眉を震わせている。
「ここは奥殿です。」
岩長の声が軽蔑を帯びる。
「どんな場合であれ、用があるのなら、まず女中頭にこちらの意向を尋ねなければなりません。」
「そんな悠長な真似はしてられん!」
邇々芸は片足で床を蹴った。
「馨は今頃、隣国の人質にされているかもしれんのだぞ。」
邇々芸の手が不意に翻り、岩長は床に突き倒された。
「そういう女なんだよな、貴様は。兄者や子供達が山で狼の餌食になろうが、海にはまろうが、平然と笑って見ているんだろう? 馨も香山も自分の子じゃあない、兄者は天下の謀反人、自分の夫は建御名方一人きりで、建雷と天鳥船の報告は頭からでたらめだと決め込んでいるんだろうが? おまけに、海幸と山幸まで放逐しやがって ーー貴様の本心が俺に判らないとでも思っているのか?」
邇々芸は、岩長の髪をつかんで外へ引摺り出した。柱や勾欄(こうらん)に体の節々がぶつかり、板切れの角に袖や裾が裂けて血が滲む。しかし、岩長は歯を食い縛り、呻き声すら洩らさない。
業を煮やして、邇々芸はやにわに岩長を階段(きざはし)の下へ突き落とした。
「あれ、ご無体なーー !」
「何をなさいます?」
まだ庭にいた侍女達が、驚いて駆け寄って来たが、
「ええい、うるさい、邪魔するな!」
邇々芸は押しのけ、
「しぶとい女あまだ。岩長とはよく付けたものだ。」
砂まみれになった岩長の体を、爪先で蹴り転がした。
「おやめ下さい。岩永様は后きさいの宮でいらっしゃるのですよ!」
乳母が声を振り絞り、
「早く大王おおきみをお呼びしてーー 」
何人からの侍女が駆け出していく。
だが、邇々芸は太刀を抜き、片手で岩長の胸倉を引き起こした。岩長は眼差が、死魚のように邇々芸を仰ぐ。蔑み、怒り、そして絶望に満ちた深淵だ。
「そんな顔をしていられるのも今の中うちだぞ。」
邇々芸の口元が、醜い微笑(わらい)に歪んだ。
「見ろ。」
邇々芸は、岩長を打ち据えようと振り上げた刃先で、向こうを指した。
途端に、赫々(あかあか)と光が射し込み、
「木の花ーー !」
岩長は、両手で口を覆った。
池辺の桃の木が燃えているのだ。それは、妹の墓標代りに岩長が植えた物だった。邇々芸に貞操を疑われ、自分の目の前で庭の噴水(ふきあげ)に身を投げた木の花・・・・邇々芸を呪いつつ、跳ね返る飛沫(しぶき)の中へ二つの血の巨魁を産み落とした壮絶な光景は、岩長の目に灼きついている。その二つの血の結晶が、火照(ほでり)と火遠理(ほおり)だった。火明が慌てて掬(すく)い上げた為、赤ん坊達は命を取り留めたが、木の花は池の底に沈み、二度と蘇らなかった。
(逆なら良かったのに・・・・)
在りし日の妹を忍び、岩長は何度花盛りの桃の木の根に涙を注いだ事か。
なのに、邇々芸は、妹の依代(よりしろ)さえも自分から奪おうとしている。木の花の死因は邇々芸なのにーー
「その手をお離し、汚らわしい!」
岩長は身を振りほどいた。
「木の国の廟を荒らす事は、私が許しません。」
「ここは木の国ではない、耶馬やまーー 」
遮った邇々芸が、急にのけぞった。太刀が滑り落ち、巨体が砂煙を上げて横倒しになる。
呆気に取られた侍女達の前へ、
「お母様、大丈夫?」
澄んだ声が響き、白く輝く大鷲の背に股がり、弩*(いしゆみ)を携えた子供二人が飛び込んで来た。(続く)
弩*は、弩(いしゆみ)の別字。奴の下に石。
〔後記〕麻生首相が、「未曾有みぞう」という言葉を「みぞゆう」と発音した、と物議を醸しましたが、あれは読み間違いではなく北九州の方言であり、おまけに呉音との事。白村江の後、大和朝廷の役人達が、太宰府では公文書が呉音で読み書きされていた為、漢音だか唐音だかに改めさせるのに一苦労した、と『続日本紀』にも出て参りますが、北九州の方言には今も呉音が多数残っているのかもしれません。
(深津)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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