連載小説『 彩神』 第十二話 シャクナゲの里1 2 3 4 5 6
古田史学会報82号 2007年10月10日
◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇
シャクナゲの里(4) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
立花(たちばな)山は、玄海灘を一望する場所にあった。麓の三方は森に覆われ、海に面した一方は切り立った絶壁が真白な飛沫(しぶき)の中へ落ち込み、正に、「立花」(「花」〈=鼻〉は海へ突き出た岸辺の事。この場合は「そそり立つ岬」の意味になる)の名に適(ふさわ)しい。朝毎(ごと)に太陽は、この山越しに付近を照らす。だから、日の出をい拝むには、頂きへ登らねばならない。)
今、銅鑼や太鼓を先触れに、二丁の輿が威勢の良いかけ声と共に山道を運ばれて行く。前の輿には綾絹(あやぎぬ)に包まれた巨大な鏡、後ろには巫女(かんなぎ)の乗座(じょうざ)を表わす白と青の帳(とばり)がかかっている。
馨は胸を弾ませて、人々の上に揺られていた。巫女は常に威厳を保つべきと教えられてはいたが、無意識に視線を彷徨(さまよ)わせずにはいられない。立花山へ登るのは初めてなのだ。
ふと、馨は銅鑼や太鼓に混り、何かが飛びはねたような音を聞いて振り返った。帳がなびき、竹色の麻服と勾玉(たま)を巻いたみずら髪、茂みに倒れた灰色の袖の上に振りかざされた刃(は)の燦(きら)めきが一瞬、目を射る。
(叔父上・・・・・・?)
馨(かおる)は息を飲んだ。勾玉を髪に飾るのは、邇々芸の趣味だった。叔父は誰を刺したのか?相手の装(な)りがみすぼらしかったところから推(お)すと、奴婢が無礼でも働いたのだろうか・・・?しかし、馨の心に奴婢への憐みは起こらなかった。巫女が人に畏怖される存在であるように、奴婢は主(あるじ)が思い通りに扱って構わない「所有物もの」との考え方が、幼女の内にも浸透していたのだ。
眼前での人死にも、大した衝撃ではなかった。戦(いくさ)でなくても当時、栄養失調その他で赤紫や灰色の肉塊と化した赤ん坊を抱き締めて咽(むせ)び泣く平民や、ちょっとした失敗にもムチや棍棒を浴びせられて血を吐き、息絶える奴婢を見かけるのは日常茶飯事だったし、付近の川にはよく、子供の屍(しかばね)を載せた揺籠(ゆりかご)風の藁舟(わらぶね)が流れていた。慈悲深い通行人が藁舟を岸へ引き寄せ、野花を一杯飾ってやったり、大陸の風習を真似(まね)て燈明(とうみょう)を捧げたりしている事もある。死んだ子供を川に流すのは、せせらぎの果ての海はすなわち常世(=冥府)だとの考えから出た慣(ならわ)しだが、隣りの伊都(現福岡県糸島郡)、末盧(まつら 現佐賀県唐津市付近)では、その思想を体系化した「仏教」なる新宗教が大陸より導入されて信徒が急増しているという。
(でも、ここは耶馬よ。私たちにとっては輝ける天照大神か、もしくは偉大なる宇宙神(アメノミナカヌシ)が中心となるべきだわ。)
馨は、幼いながらも父祖伝来の信仰への誇りに満ちた目で、正面から射し込む太陽を眺めた。
立花山頂は暫く前まで火を吹いていたというが、いつの頃からか薄青い煙は棚引かなくなり、地底の低い唸りも途絶えていた。橿日の宮(現福岡県香椎宮)の人々は神が他処(よそ)へ移住したと考え、いつ戻って来ても良いように石を積んで神殿(やしろ)を築き、そこで「日の出祭り」を行なっていた。輿が下ろされると、馨はまず下僕達に携えて来た酒(みき)を据えさせ、次いで教えられた作法通りに楽の音(ね)に合わせて幣(ぬき)を振り始めた。
・・・・瓶(みか)の上(へ)高知(たかし)り
瓶の腹満て雙(なら)べて
汁にも頴(かひ)にも称辞竟(たたへごとを)へまつらむ・・・ ・・・
(瓶(かめ)に溢れる程お酒を注(つ)ぎ、汁物(つゆ)や米飯(ごはん)も取り揃えて神前に捧げよう。)
(岩波古典体系版「祝詞のりと」より。現代語訳、筆者)
伶人(れいじん =樂士)達の歌声は低まるかと思うと緩かに舞い上がり、虫の羽音にも似ていた。経験を積んだ巫女(みこ)なら聞いているだけで憑依(ひょうい)状態になったが、まだ幼い馨には無理だった。
それでも馨は、金襴(きんらん)を解いた鏡を朝日に向かって頭上高く掲げた際、不思議な力が全身に満ちて来るのを感じた。銅を磨いた鏡は陽光を一杯に反射し、兵士や下僕達、父や叔父や従兄(いとこ)の顔も、神殿や二丁の輿も眩(まばゆ)さの中に包み込んでいる。熊襲(=南九州)の使者達も、目を瞠(みは)って光の中に佇んでいる。
そうだ、輝ける天照大神あればこそ、耶馬は不滅だ。その天照の曾孫(ひまご)に当るのだもの、火遠理(ほおり)も海の藻屑(もずく)と化してはいない。兄に劣らぬ「海の幸」を得て六年(むとせ 当時は年に二回年を取る二倍暦。従ってこの場合、六を二で割って三年となる)の後、必ず耶馬へ帰り来るだろうーーー
「見て、叔父様、海幸兄様、そして父様も! 私には見えるわ。山幸兄様は御無事よ。青く輝く海の宮殿で真珠の精に救われ、魚類饗応(うろくずもてなし)を受けていらっしゃるわ。鯛や平目まで踊りに加わって、とても楽しそう——。」
鏡を仰いで、馨は叫んだ。
「神が憑いたのか、馨?」
「天のお告げかーーー!?」
色めき立つ人々を、鋭い鳥音(とりね)が遮る。
鏡は地に叩き落されて真っ二つに砕け、馨は太い鈎爪(かぎつめ)に吊し上げられていた。
「馨!」
とっさに火照(ほでり)と兵士らは弓をつがえたが、
「やめろ、撃つなーー。」
「馨に当るぞ!」
火明と邇々芸がが慌てて制した。
「しかし、このままでは姫が大鷲の餌食に・・・・・・。」
「姫を見殺しになさるのですか!?」
熊襲の使者にまで詰め寄られ、火明は唇をかんだ。しかし、彼らの位置では朝日が視界を妨げて、動きが取れない。
「助けて、父様、海幸兄様・・・・・・!」
馨の悲鳴が徐々に遠のいて行く。
その時、反対側から火矢が唸りを立てて飛んで来た。黒と茶の大鷲の羽を引き裂き、馨は赤い花のようにヒラヒラと舞い落ちる。
「馨ーー!」
火明は思わずそちらへ駆け出したが、激突寸前、幼女は二本の白い腕に抱き止められていた。
「おぬしは・・・・・・?」
火明は目を丸くして、正面に立ち塞(ふさ)がった人物を見つめた。火照と同じ銀色で、幅広い袴(ばち)も袈裟(けさ)も素足に引っかけた鼻緒も白一色だ。おまけに、足駄(あしだ)の歯がやたらに高い。
この辺では見慣れぬ風態だな。」
「伊都や末盧で最近、根を張り出した仏教徒か?」
「名乗れ。耶馬の大王(おおきみ)の御前だぞ。」
邇々芸や火照にも促され、不意に少年は口元を綻ばせた。
「羽白はじろ。」
「それがおぬしの名か?」
火明に聞かれ、少年は頷いた。
「家はどこだ?」
「荷持田村(のとりたふれ 現福岡県甘木市付近)。」
少年の返事は、いつも簡潔だった。よく見れば袖や裾、足駄の歯には泥や草木がこびり付いている。山奥の住人は他処(よそ)との交流が少ない為、大王に対する礼儀も躾けられていないのかもしれない。
火明はまだ脅(おび)えて泣きじゃくっている娘を抱き取るついでに少年の手を握り、厳(おごそ)かに言った。
「では、猛禽(もうきん)を退治した功により、以後、おぬしを羽白熊鷲(はじろくまわし)と呼ぼう。」
(続く)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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