連載小説『 彩神』 第十二話 シャクナゲの里1 2 3 4 5 6 7
◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇
シャクナゲの里 (6) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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甲高い鳥音(とりね)が、上空を渡って行った。
「あら、又よ。」
馨(かおる)は身を屈(かが)め、砂地に転がった赤い花を拾い上げた。艶(つや)やかな細長い葉群れの頂きに、縮緬皺(ちりめんじわ)に似た花びらが何枚もふっくらと盛り上がり、清々(すがすが)しい匂いが仄かに漂って来る。
「何をしているのです?」
階段(きざはし)の上から見咎(とが)められ、
「ほら、これ。」
馨が駆け寄って花を示すと、
「まあ、見事なシャクナゲ・・・・!」
さしもの岩長(いわなが)も目を瞠(みは)った。
「どこでつんで来たの?」
「咲いていたんじゃないわ。鳥が運んで来たのよ。」
馨は雲を巡る鳥影(とりかげ)を指し、
「この頃、鳥の声がする度に、シャクナゲの花が落ちて来るの。まるで鳥があたしの為に、わざわざつんで来てくれるみたい。」
「まさか、偶然でしょう。」
苦笑する岩長に、
「いいえ、本当でございますよ。」
香山(かやま)を抱いて来た乳母が言った。弟は老婆の腕の中で、露しとどな赤い花冠(かんむり)を楽し気に弄(もてあそ)んでいる。
「婆やも拾ったの?」
馨が目を丸くすると、
「はい、今し方、裏門の前で。」
乳母は頷き、
「何だか気味が悪うございますね・・・・。」
眉を寄せて空を仰いだ。
大きく輪を描いて舞っているのは、鷲か鷹に違いない。先の「日の出祭り」で母の代役(かわり)を演じた馨が猛禽に襲われ、不思議な少年山法師に救われた話は、宮中に知れ渡っていた。あれ以来、馨が外へ出ると決まって鋭い鳥音が宙を裂き、赤い花が二、三輪降って来る。長老達は、姫に花の神が憑(つ)いたらしいと寿(ことほ)いでいたが、乳母は馨が猛禽に魅入られてようで嫌な気持ちだった。天火明(ほのあかり)の娘は「若葉香る」姫だ。血の滴るようなシャクナゲの花などとは無関係だ。山の鳥が、横奪(と)りされた獲物を奪い返そうと狙っているのか? 或いは、羽白熊鷲(はじろくまわし)とやらいうその蛮族の少年が、厚かましくも救済の褒賞に姫を望んで使いを寄こしているのか・・・・?
「お后様も姫君も、お一人歩きをなさいませんよう。末盧(まつろ)王は大王(おおきみ)のお力添えで復位出来たのに、耶馬を乗っ取ろうと、大陸から流れて来た妖術使いを大勢抱え込んでいるとの専らの噂でございますからね。」
乳母は母娘を屋内(なか)へ追いやり、香山は大事な玩具(おもちゃ)をむしり取られて泣き声を立てた。
しかし、馨は幾ら止められても、やめようとはしなかった。育ち盛りの体は、新鮮な空気を必要とする。庭にいるだけでも縁の下のネズミやモグラを追い回したり、茂みに潜り込んで蜥蜴や蝶をつかまえられる。雨天ですら、カエルの歌に耳を傾けたり池の波紋を勘定したり、楽しみには事欠かない。増して浜辺へ出れば貝拾い、水切り、舟漕ぎ競争、釣り・・・・と、子供の遊びの宝庫だ。これで若君が大きくなって乗馬を覚えたら、姉弟(きょうだい)揃(そろ)って楠林を駆け巡りかねない、と、まだよちよち歩きの弟を遠慮なく引き回す馨を追いかけながら、乳母は肝の冷し通しだった。
ところが、馨は弟の成長を待たずに単身、山へ乗り込んでしまった。
耶馬国の南には朝毎に「日の出祭り」の行なわれる立花の他、鴻(こう)の巣、片縄(かたなわ)、油山など青い山並みがうねっている。なかでも金隈(かなくま)は、大屋彦の統治時代から銅や青玉(サファイア)を豊富に産出してこの地方の財源となっていた。天国(あまくに)の皇子(みこ)兄弟も金隈を厚く保護し、古来の伝統を崩さぬよう努めた為、新政権樹立後も橿日の宮(かしひのみや 現福岡県香椎かしい宮)への道には切り出したばかりの銅塊や眩まばゆい延べ板、透明な紫の棍棒を運搬する牛馬の列が絶えなかった。
裏口で絢爛(けんらん)たる荷物が解かれるのを見る度に馨は、泥まみれの岩々が鍛冶の手を経て壮麗な瓶や壷、皿小鉢、鏡、装身具に変わる工程を想像せずにはいられなかった。鍛冶達は、金属を溶かしたり混ぜ合わせたりするのに大量の火を使わねばならない為、褌一丁で仕事に当たる。その分、火傷を負ったり、毒煙に巻かれて窒息する危険性も高い。現に、戦(いくさ)でもないのに顔中醜く焼けただれたり、片手足や口が不自由だったり、失明した鍛冶職人は何人もいた。が、そうした犠牲を払えばこそ、王者の威厳を高める品々も生まれるのだ。陽光のかけらのような金や宝石は無論、鍛冶に欠かせぬ「燃える石」さえ秘めた金隈とは、どんな所なのだろう・・・・? もしかしたら、最近鳥達が自分の許へ啄(ついば)んで来るシャクナゲの花も、そこに咲いているのかもしれない。
好奇心の赴くまま、馨は隙を見て、金隈へ戻る荷の中へ潜り込んだ。畚(もっこ)に詰めた藁屑の中に埋もれ、筵(むしろ)を被れば馨の姿は見えなくなってしまう。
「バカに重いな。石は全部取り出したのに・・・・?」
誰かが手をかけ、訝(いぶかむ)む声が聞こえたが、
「とにかく急ごう。今から飛ばせば、夕方までにもう一往復出来るからな。」
別の声が応じ、畚は威勢良く担ぎ上げられた。
「エイ、ホ、エイ、ホ、エイ、ホ。」
かけ声と共にゆらゆらと走り出す。橿日の宮から金隈までは、御笠川に沿って大分遡(さかろぼ)らねばならないのだが、人足達は健脚揃(そろ)いで畚に山盛りの粗金(あらがね)を担(にな)い、一日に二、三往復は平気でこなした。特に今、運んでいるのは藁屑と馨だけである。金属に比べれば幼女の重さなど、高が知れている。人足達は川岸を飛ぶようによぎって、山麓の休憩所へ辿(たど)り着いた。
畚が投げ下ろされ、振動が馨の全身に伝わる。馨は筵を押え、振り落とされまいと懸命になった。
が、激震はほんの一刻(いっとき)で、人足達のざわめきはすぐに遠のいて行った。新たな荷を持って来るか、汗を流しに行ったのだろう。
(今の中うちに脱け出さなきゃーー)
馨は筵をはねのけ、外へ滑り出た。
こびり付いた藁屑を払い落とすと、辺りを見回す。水に似た芳香が漂って来て、
(シャクナゲの匂いだわーー)
馨は目を輝かせた。花を拾う度、紅いの縮緬皺から、清水のほとりに立つといつも感じられる爽快な香りが立ち昇って来た。同じ匂いが風に乗り、休憩小屋の裏から流れて来る。
馨はそちらへ駆け出した。昼尚暗い山中の無気味さや寂膜をしっていたら、シャクナゲの香りがどんなに魅惑的でも馨は後を追っては行かなかっただろう。だが、馨は橿日の宮と周辺の浜辺、両親と赤子の弟、乳母達を全世界だと思っている子供だった。将来夫にと定められていた従兄弟の失踪や旅立ちの意味も、母の冷淡さも、魂を貫徹してはいなかった。
黄昏(たそがれ)が忍び寄り、冷えて来た風にシャクナゲの群れがざわめく。仄暗い紅いの帳(とばり)の陰に馨の姿は紛れて行った。(続く)
[後記]
私は「東京・古田会」にも参加させて頂いておりますが、そちらの会報第一一五号に、会員の高柴昭氏が、「弥生中期は歴史時代の始まりだった」という論文を発表され、その中で「記・紀」における伊奘諾(いざなぎ)が禊(みそぎ)を行なった、「筑紫の日向の小戸の橘の檍原あわきはら」に触れておられます。ところが、「古事記」ではこの部分の筑紫、「竺紫」と表記されているのです。「古事記」では他に天孫降臨、神武東征の二ヶ所にのみ出て来る「筑紫」。更に、禊に先立って伊奘諾の体の汚れから、八十禍津日(やそまがつひ)と大(おお)禍津日の二柱の邪神が生まれたとありますが、これは本当は「真加津日」で、ヒルコと同じく太陽神。しかも、九州王朝の特徴の一つ、兄弟統治を表しているのではないでしょうか。禊の前段階に当る「黄泉比良坂よもつひらさか」は完全に戦争の描写ですし、伊奘諾が三貴神の父となる件り以降は九州王朝樹立後の創作神話とするなら、「東日流誌」における安日彦長髄彦の史実反映・・・・?(深津)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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