◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇
梔子(くちなし)(2) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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「又、おぬしに助けられたな。」
天火明(アメノホアカリ)に礼を言われ、羽白(ハジロ)はさすがに羞(はにか)んだ。
馨(かおる)を送る為、大鷲(おおわし)の背に相乗りして宗像(むなかた)の森を目指したところ、地上の闇が一ヶ所、出し抜けに火を吹いた。うろたえて急降下してみると、橿日(かしひ)の宮の裏木立ちが燃えており、池辺の白砂の広場では一組の男女が格闘している。
叔父が母を殺そうとしていると知って、馨は夢中で羽白の弩(いしゆみ)を射かけた。狙い誤たず矢は邇々芸(ににぎ)の背を貫き、火も従者達が池水を浴びせて消し止めた。
だが、初めて肉親間の葛藤を目の当りにして、馨は衝激を受けた。叔父はなぜ、母を殺(あや)めようとしたのだろう・・・?母が子供達を可愛がらない上、父や叔父とも仲が悪いらしいのは察しられていた。叔父は、せめて子供達にだけでももう少し優しくしてやるよう母を説得しようとして、諍(いさか)いに発展してしまったのだろうか・・・?
「おぬしらも、今日はいろいろあって疲れたろう? 熊鷲(くまわし)も、今夜はここに泊って行くが良い。尾白(おじろ)は充分世話してやるから。」
火明は、馨の室に羽白の寝床も用意させた。
馨はすぐに蒲団の中へ潜り込んだが、羽白は綾絹(あやぎぬ)や綿入れの柔かい手触り、樫の若葉の芳香、祭礼でもないのに戸外を幾つもの松明(たいまつ)が囲んでいる物々しさに落ち着けないらしく、
「あの音は何?」
小声で訊ねた。
「海鳴りよ。」
答える馨は早や、夢現(ゆめうつつ)である。
近づいては遠のき、高まっては退(ひ)いて行く不思議な調べは、波の轟きだという。これが毛人(えみし)やモヨロの話していた海か・・・海とは、こんなにも巨大な物なのか・・・ある時は笛の音のように細く、ある時は太鼓のように底力が籠り、又、ある時は、異国の使者団が奏でた銀の鈴の燦めきさえ帯びる広く豊かなうねりは、緑の渓谷とせせらぎしか知らない羽白に新鮮な感動を与えた。馨は猛禽を手懐けた自分を賛美してくれたが、海を占有する方が自分には素晴しく思える。橿日の宮の人々は、海を領して他国(とつくに)との交流を深めているのだろう。多分、馨はどんなに恵まれた立ち場にいるかを、自覚していないに違いない。
明くる朝、二人が乳母に広間へ導かれて行くと、
「よく眠れましたか?」
白衣に青いたすきをかけた、ほっそりした美女が出迎えた。
「お母様ーー 。」
馨が目を瞠(みは)る。岩長(イワナガ)が子供達と朝食を共にするのは、滅多にない事だった。おまけに、母が身に着けているのは巫女(かんなぎ)の正装だ。母は、今朝は「日の出祭り」に参加したのだろうか・・・?
馨の驚愕に気づかないのか、羽白は、「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。」
と、丁寧に頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ娘がお手を煩わせてしまったのですもの。これ位はして差上げないと。」
岩長は微笑を絶やさない。
「お后様、そろそろ社やしろへお出ましになりませんと・・・。」
乳母が酒瓶を携(たづさ)えて来た。朝毎に社の神酒(みき)を取り替えるのは、后の義務(つとめ)である。
「では、羽白殿に歌って頂いて、お開きとしましょう。」
岩長はどこからつんで来たのか、シャクナゲを一輪、器に落とした。
「私は、歌舞音曲はまだ半人前で・・。」
困惑する羽白を、
「松峡まつおの童唄わらべうたで結構よ。私は、他処よその音楽を聞くのが大好きなの。」
岩長は、重ねて促した。
羽白はやむなく、
「では、父の故郷さとに伝わる鳥追い歌を・・・。」
と、立ち上がった。
♪うぐひすの生卵かいこの中に
ほととぎすひとり生まれて
己なが父に似ては鳴かず
己が母に似ては鳴かず・・(略)
(岩波文庫版「万葉集」第九巻一七五五番)
歌や踊りは半人前だと羽白は謙遜したが、両袖を開いて鳥が飛翔する様を真似る手つき、足拍子、皆、決まっている。
だが、ホトトギスは、「死出の旅路の道案内」といわれ、凶兆の印とされている。或いは、母は叔父を葬(とむら)う意味で、羽白に歌えと命じたのか? しかし、叔父は母を殺そうとしたのだ。それに、各地の歌舞を披露するのは、使者の役目だ。母は羽白を、松峡の宮の正使と見成す積りなのか? すると、橿日の宮の荷持田村(のとりたのふれ)との間には、「国交」が結ばれた事になる。大王(おおきみ)である父をさしおいて、こんな重大事を母の一存で・・・それとも母は、羽白に「熊鷲」という新たな称号を与えたのは夫であり、下級層に名前を授けるのは支配者の特権の一つなのだから、夫の承諾は既に得られたも同然と解しているのだろうか・・・?
(お母様、一体どうなさったの・・・!?)
馨は途方に暮れて、さも満足気に羽白の舞いを眺めている母を見つめた。
(続く)
(後記)
今、国立博物館では、「伊勢神宮展」が開かれておりますが、あの展示物や各呼称、独特の儀式も皆、九州王朝の伊勢神宮から移し替えられたのでしょうか?
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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