割付担当の穴埋めヨタ話4
少童考
西村秀己
「少童」と書いて「ワタツミ」と読む。海神の謂いだ。日本書紀には「又生海神等。號少童命」とあり、その訓注には「和多都美」とあるし、古事記では「綿津見」であるから、これはまず間違いの無いもののように思える。
ところが、一カ所だけこれと矛盾する記述が日本書紀にはあるのだ。
神代第八段本文「毎年為八岐大蛇所呑。今此少童且臨被呑」すなわち奇稲田姫が「少童」とされている。所は「出雲國簸之川上」なのだから、海とは何の関わりも無い山中の事件。奇稲田姫が海神の筈がない。
この矛盾には、二つの理由が考えられる。ひとつは、この奇稲田姫の段が例えば「少女」の誤記であった場合。もう一つは、「ワタツミ」が阿礼若しくは安麻呂(書紀編纂者を含む)の誤読であった場合だ。そもそも、「少」に「ワタ」などという読みはないし「海」という意味はない。日本書紀における「少」の用法は「若い」か「小さい」の二つである。そして「多」と「哥」は混同されやすい。「和多都美」が「和哥都美」であった場合、「ワカツミ」は「幼い女神」の謂いである。「日向の橘の小戸」で生まれた筒男たちは「ワカツミ」すなわち「幼い女神」とセットで生まれることになる。
さて、この判断どちらが論理的か?或いは意味がないのか?(西村)
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