明治体制における信教の自由 古田武彦(『古代に真実を求めて』第1集)へ


古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編1 明石書店 『親鸞』ー人と思想ー

 これは『神の運命』(1996年6月30日発行 明石書店)の目次と宗教の壁と人間の未来ー序説です。 なお、これは英文がございます。

神の運命

歴史の導くところへ

古 田 武 彦 著

明石書店

・目次

宗教の壁と人間の未来 ー序説 370
近代法の論理と宗教の運命 390
     ー“信教の自由”の批判的考察ー
前文 390
I   近代国家の法の中の「信教の自由」 393
II 「信教の自由」の歴史的成立についての若干の考察 407
III 「信教の自由」への戦闘的無神論の批判 431
IV 日本近代社会の精神状況への考察 458
      ーその論理(ロジック)の抽出の試み

古代の論理と神話の未来 480

宗教の壁と人間の未来 ーー序説

   1

 十九世紀後半に行われたシュリーマンのトロヤ遺跡発掘は、ヨーロッパの精神世界に激震を与えました。今は日本でも、周知の通りです。
 何しろヨーロッパの家庭では、親から子供へ寝物語のように語られていた、あのトロヤの落城をめぐる美女ヘレナの「おはなし」が、本当だった、そのお城が見つかった。しかも、さんぜんたるトロヤの財宝まで見つかった、というのですから、目をむいて驚かないほうがどうかしています。西からも、東からも、さんぜんたる賞讃の声が巻きおこったのも不思議ではありません。
 けれども、巻きおこったのは賞讃の声ばかりではありませんでした。そのあとから、というより、それをつんざくように、シュリーマンに対する非難や中傷の嵐もまた、間断なくふりそそいで彼を悩ましつづけていたのです。
 それもなま半かなものではありません。アテネの博物館館長が彼の発掘品と称するものは全くありえないと声明し、ヨーロッパの各界から、彼は一流の詐欺師ではないかと不信の論議の声が出され、あげくはベッティヒャー退役大尉のような、それまでは考古学界に無縁の人物が執拗な“シュリーマン攻撃”と“トロヤ非都城(古代の墓場)”説で名を上げる。有名な学者たちまでこれを支持する、というように、中傷と非難の嵐は、晩年(六十代)のシュリーマンの悩みの種となっていたようです。もちろん彼はこれに対して果敢に反論しました。そのあげくはベッティヒャーをトロヤ遺跡の現場にともない、討論する、といった、彼らしい方法もとりました。
 それはそれで立派なのですが、おかげで、彼の本来の研究課題であった、新たな古代遺跡発掘への挑戦の時間が、大きく“そがれ”ていったのも、当然のことです。
 人類にとっても、それは大きな損失でした。もしそのようなストレスが彼を痛めつけなかったら、七十代になってもなお矍鑠(かくしゃく)と古代遺跡を求めつづける彼の姿を私たちは見ていたかもしれない。そう思うのは、シュリーマンを愛するわたしの思いすごしでしょうか。
 それはともあれ、すでに「評価」の定まった現代、少なくとも彼を詐欺師とは見なさなくなった現代において、なぜ彼があれほどおとしめられ、彼の努力の結晶としての発掘品を「骨董屋から買ってきた品を発掘品といって宣伝したにすぎぬ」もの、つまり希代の大ウソつきとまで攻撃されねばならなかったのか、理解に苦しみましょう。その上、中傷・攻撃者達は、当のトロヤ遺跡を見たこともなかった、というのですから。お粗末至極。またそれを支持した、ヨーロッパの学界のお歴々とは何だったか。そんな疑問が続出します。

 

   2

 これに対する一応の回答は容易です。一言でいえば、「ヨーロッパの古典学の面目(メンツ)」にかかわる問題だったからです。
「古典学の主たる対象は、もちろんホメロスの「イリヤッド・オデッセイ」でした(英語では「ホーマー」「イリアス」)。盲目の吟遊詩人だったというホメロスの語った、ギリシャ・トルコ間の一大戦争叙事詩は、一個の文学作品であり、「史実」とは別。これが権威(オーソリティ)ある、伝統的な見解だったのです。
 古典学は、ヨーロッパの大学の各講座の中心をなしていました。権威中の権威だったわけです。その中心テーマが、一介の、ど素人の「土堀り」で打ちのめされるとは。到底がまんできぬことだった、ということは十分推察できましょう。
 現在でも、ヨーロッパの古典学の世界では、必ずしもシュリーマンの業績に対して“好意的”ではない。そのようなムードを感じることがあります。おそらく、敗戦前後のアメリカの考古学調査団による再発掘と再確認(一部訂正)がなければ、このような雰囲気は、今も一段と強かっただろうと思います。
 このような「シュリーマンをうけつけまい」とする傾向、それには深い理由があります。それはただ「ヨーロッパの古典学の面目といった“狭小”な問題にとどまるものではないのです。そしてその「最後の局面」は、まだ来ていない。人々はそれに気づいてはいないのではないか。わたしには、そう見えているのです。

 

  3

 ことは、シュリーマンの発掘のもつ「論理性」です。
 といいますのは、彼の行ったことは、イリヤッドという「神話・伝説」の伝承が決して荒唐無稽ではなかったこと、少なくともそのストーリーの骨格は「史実」の上に立っていた。この証明でした。
 リンゴの木の話や木馬の話、また美女ヘレナとパリスのギリシャ脱出の話、それらの一つひとつが、「史実」だったかどうか、そんなことはむろんわかりません。今も、不明のままです。
 しかし、それらの“彩られたものがたり”の数々が、「ギリシャによるトロヤ一大包囲戦」という確たる「史実」の上に組み立てられていた、その根本事実を疑うことはもはや不可能となったのです。
 これはちょうど、平家物語や源平盛衰記の語るところが、その挿話一つひとつが「事実」だったかどうか否か、知るべくもありませんが、源氏と平家との一大死闘のくりひろげられた時期の存在したこと、それが平家の滅亡で終結したこと、その根本の史実は疑いえないことと同様でしょう。
 さて、問題は次の局面です。
 同様に、イラク・イランやインド・中国などの「神話・伝承」もまた、その根本では「史実」を中心に構成されているのではないか。この疑いです。
 否、違う。あれは「イリヤッド」だけ。特別なケースだ。他は皆、「架空」の「非史実」だ。そのように断言する権利は誰にもありません。
 逆に、他のケースもまた、イリヤッドと同じ。根本には「史実」の核がある。「史実」を中心に構成されている。そのように考え始めること、それは何等恣意的ではない。むしろ必然です。そのような可能性を否定することは、誰にも不可能でしょう。これがシュリーマンの発掘のもつ「論理的意義」だったのです。

 

  4

 ヨーロッパの精神界の骨格は、次のように形成されてきました。
 
「確実なのはバイブルに着せられた神話・伝承である。他はすべて、本質的に不確実、もしくは架空である。」

 これは必然の論理です。なぜなら、いかなる国の、いかなる「神話・伝承」も、それぞれがそれぞれの方法でそれぞれの宇宙形成や人間の発祥を語っています。
 それらのすべてが、「史実」の核をもち、「史実」をもとに構成されいるとしたら、それはまことに壮観という他はありません。人間の淵源と発展をそれぞれの「目」からうかがい見ることができる。
 それこそ、あのヘロドトスが主張した、ひとつの事件を多くの視点から見る。ギリシャ人から伝えるところ、シリア人の伝えるところ、エジプト人の伝えるところ、それらをいずれも尊重し、記述する立場、多元的な歴史理解、その「神話・伝承」版となりましょう。ヘロドトスの“狂喜”しそうな光景です。
 ですが、そのさい、あのバイブルの伝える「神話・伝承」もまた、それらの他地域・他民族・多文明の「数多くの、史実を核とする神話・伝承の一つ」すなわち“ワン・ノブ・ゼム”となってしまうこと、これは避けられぬ帰結です。
 すなわち「バイブルの伝える神話・伝承の相対化」、これがシュリーマンの発掘のもたらすべき「論理的帰結」です。もう一歩進めれば「バイブル伝承の絶対性の喪失」という一言に尽きましょう。
 そのような「論理的帰結」こそ、ヨーロッパの精神界をして、シュリーマンを「危惧」し、「恐怖」させたもの、その予感の正体です。

 

  5

 けれども、わたしの見るところ、このような「論理的帰結」は、結局避けることはできません。不可避なのです。
 なぜなら、バイブルの創世記の骨格は、次のような形で構成されています。

(α)アダムとエバ(イブ)
(β)ヤーウェ(エホバ)の神

 最初のアダムとエバ、これは古い伝承です。人類と共に古い。そう言っても、決して言いすぎではありません。
 なぜなら、人類はこの地上に生まれてからすぐ「男」と「女」の区別を知っていた。私はそう思います。これはいわば「眼前の事実」なのですから。それなしには、いわゆる「性」という行為は成り立たないからです。このような「性」の営みによって、「男」と「女」から次々と人間は誕生し、成長し、増大していった。言うまでもないほど、当たり前の「認識」です。
 その「最初の二人」に、どんな「名」を付けるか、これはいわば枝葉末節です。というより、地域、民族、言語によって、それぞれ違うのが当然です。
 たとえば、インドでは優娑塞(ウバソク)・優娑夷ウバイ)。経典ではいつも、お釈迦さんの説法を聞く優等生、いわば「信徒代表」といった形で登場していますが、本来はヒンドゥー教の「男女の主神」、つまり輝く神々なのです。
 その、インドの民衆にとって、なじみのある、崇敬心の対象である、二柱の神が、黙ってお釈迦様のすばらしいお説法に耳を傾ける、というのですから、それだけで、お釈迦様のお説法がいかに尊いか、心で切るかは保証されている。経典はそういう構造を持っているのです。インドの民衆へのPR、説得術として、まことに巧みな仕組みです。お説法の「内容」より、そういう「仕組み」にコロリと参る、そういう善男善女は、いつの世にも多いのかもしれません。
 これは日本の「天孫降臨」神話も同様です。戦前の教科書には必ず登場したこの神話も、今は「追放」されて久しいので、「おれは知らんよ」という人も多いと思いますが、天照大神(アマテラスオオミカミ)がその孫のニニギノミコトを、この国(葦原のミズホの国)に遣わした。そのさい、出迎えて案内役をつとめたのが、サルタヒコだと、いうわけです。
 猿田彦(サルタヒコ)というのは、九州の他、日本列島各地に、「信仰の跡かた」いちじるしい「主神」です。「サル」とは、沖縄では“太陽が輝く”という意味だといいます。つまり「太陽神」です。天照大神よりずっと古くから、人々に崇拝された「主神」だったわけです。
 そのサルタヒコガが“率先して出迎えた”というのだから、何しろ今度来た「ニニギノミコト」というのは、えらい方に違いない。そう思わせる仕組みなのです。
 もう「サルタヒコ」信仰などには縁のないような現代の人々にとっては、「まったくピンと来ない」はなしでしょうが、少なくとも、その神話のつくられた時代には、大変「ピンとくる」話だったわけです。
 この「サルタヒコ」の役割と、先の「ウバソク・ウバイ」の役割と、両者全く同じ。「引き立て役」です。そして両者とも実は本来「古来の主人」だったのです。

 

  6

 日本の場合、男女神は、「イザナギ・イザナミ」です。「国生み神話」で有名な、この神々は「ギ」が男。「ミ」が女をしめす言葉。共通部分は「イザナ」。「勇魚(イサナ)」というのは鯨のことだと言いますが、これと関係のある言葉かもしれません。
 ともあれ、この二神が日本における「アダムとエバ」に当たる「男女」であることは疑いえません。だからこそ「国生み」の原点、その発現者とされているのです。
 以上、二例によって分かりますように、「国々にアダムとエバあり」もっと正確にいえば、「文明圏の数だけ、アダムとエバはいる」ということです。その砂漠版、中近東辺の一隅にあったのが、今回問題の「アダムとエバ」、というわけです。

 

  7

 これに対して「新しい」方が、「ヤーウェ(エホバ)神」です。
 バイブルの成立の早い時期はBC三〇〇〇年ごろといわれていますが、その頃はすでにこの「統一神」が成立していたものと思われます。
 しかしこの「BC三〇〇〇年」という年代、人類の歴史の流れからみれば「最近」です。何十万年、何百万年の流れの中では、今から五〇〇〇年前というのは、「最近」です。これがたとえ八〇〇〇年前になろうとも、やはり「最近」という他はありません。
 これも当然のことです。なぜなら人類にとって、「多神教時代」は長大でした。何万年もの長期にわたっていたと考えられます。
 それらの「多神」は徐々に「一神」へと歩みをすすめていったようです。たとえば、オリンポスの「十二神」などは、それら各民族・各宗教の幾多の神々の中から「ベスト十二」の神々が“セレクト”された形をしめしているのではないでしょうか。
 それらのあげくが、煮つめられた姿が「唯一神」なのです。たとえば「ヤーウェ(エホバ)」も、その一例です。多くの神々の多くの「個性的な能力」が、ただ一つの神にまとめられる。というわけですから、たいへんな、しかし「必然」の到達点ともいえましょう。(これを更に“押し進めた”のが、より新しい「統一神」のアラー(回教)です。唯一神としての抽象化は、一層すすめらています。「聖者像」や「神の絵姿」なども一切拒否されているのです。
 このような“新参の概念”であるエホバの神と“古来の概念”であるアダムとエバ、この両者を結びつけたストーリー、それがあのバイブルの「創世記」なのです。
 当然、そのストリーの成立は、「BC三〇〇〇年以後」ですから、人類にとっては「新規のお話」なのです。
 もちろん「新規」ということは、“くだらない”ということを意味しません。むしろ、“新しき、人類の産出物”いわば“傑作の出現”なのです。“傑作”だからこそ、ながくバイブルは人々に愛唱されつづけてきた。そう考えるのが「すじ」ではないでしょうか。

 

   8

 この“傑作”には、当然ながらそれが生み出された「時間帯」と「空間帯」の刻印がしっかりと刻み込まれています。
 たとえば、その創世記の冒頭で、エホバは自然界の「もの」や「植物」や「動物」などを次々と生み出した上で、自分の姿に似せた存在「人間」を作り、その「人間」にそれまでの所産物を“統御”することを命じた、とあります。
 ハッキリ言って、これはわたしたち「人間」にとって“都合のいい”経緯です。こんな“うまい話”はない、とも申せましょう。一口で言えば、神という絶対の権能者が、「わたしはお前たち『人間』に一番“ひいき”にしている」と言ってくれているですから。
 ですから、もしかりに他の動物がこれを“読んだ”なら、「何と手前勝手な神様なんだ」とあきれるでしょう。否、“怒り出す”にきまっています。「人間“ビイキ”の神様を作るな」と。幸いにも、バイブルは彼らの読めない「人間語」の「人間文字」で書かれているから、“助かって”いるのですが。わかったら、大騒動です。
 ですがこれは「BC三〇〇〇年ごろの中近東の砂漠の一隅」という、「時間帯」と「空間帯」の事情から見れば、不思議ではありません。
 人間が「弓矢」を発明して以来、他の動物からの被害時代は過ぎ、やがて「人間独り勝ち」の時代に入っていった。事実上、自然界や他の動物や植物は、「人間様の料理のまま」という“無限のフロンティア”と見えはじめた。そういう「時間帯」にバイブルの創世記は生み出された。そこで「人間」の“自由・無限の大活躍”を保証し、促進する大義名分、そういうイデオロギー提供者としての「神」が産出されたのです。「ヤーウェ(エホバ)神」です。
 なししろ、それまでは、多神教時代。自然にも、植物にも、動物にも、「神々」がついていました。人間の“好き勝手”には、出来なかったのです。ですが、「今後は」人間の自由極まる大発展の正当さを、唯一の神、ヤーウェが「保証」してくれたのです。
 ですから、まかりまちがっても、「人間は大自然の環境を破壊するな」などとは、ヤーウェは言わないのです。もしこの二十世紀以降の「時間帯」にバイブルの創世記が作られたとしたら、その「神」は必ず、そのように語るだろう。わたしはそう思います。
 もちろん、これに対して「否、ヤーウェはすでに人間に対して、環境破壊を禁じ給うている」とか「人間は神から自然界の“統御”を委せれたからこそ、この自然界の環境を、むやみに破壊してはならないのだ。」と説くこともできましょう。結構なことです。
 ですが、それは「バイブル」に対する「訂正」もしくは「拡大解釈」です。「バイブル」の創世記そのものを読めば、その主旨は「人間に任せる」という一点にあり、「やりすぎるな」と強調しているわけではありません。事実、ヨーロッパ近代世界の大進展は、「環境破壊」をいかにやりすぎたか。それを歴々と証明しています。今は少なくとも「訂正解釈」の必要な、そういう、そういう時代なのです。

 

   9

 次は「二十四倍年暦」です。すでにわたしの『古代通史』(原書房)で書いたところですが、要約してみます。

 創世記にはアダムをはじめ、次々と寿命が書かれています。

 アダム  ーー 九百三十年
 セツ   ーー 九百二十年
 エノス  ーー 九百五年
 カイナン ーー 九百十年
      (『創世記』関根正雄訳、岩波文庫)

といった風です。「途方もない」と感ずる人も多いでしょうが、実は大変“リーズナブル”なのです。
 その理由は、寿命計算の「単位」をなす暦の問題です。その規準は、月です。月がだんだんとふくらんでゆき、頂点に達する。半月間です。これで「一歳」。次は段々とやせ初め、最下点に達する。これで「一歳」。つまり一ヶ月で「二歳」になります。とすると、十二カ月の一年間で、「二十四歳」というわけです。
 ですから「千歳の寿命」というのは、実は今の「四十一〜二歳」となります。「九百歳で死んだ」というのは、今でいえば「三十八歳ぐらいで死んだ」ことです。若死にです。
 右の表で「千歳に達して死んだ」例のないことから見ると、寿命が「四十歳」に達した人は、いなかったこととなります。苛烈な砂漠の人生が思いやられます。
 三世紀の倭人伝、弥生時代が「四十五歳前後」(「二倍年暦」で八、九十歳ないし百歳)というのに比べれば、縄文中期あたりの砂漠の時代ですから、ほぼ“リーズナブル”な値なのではないでしょうか。
 「なぜ、月を規準にしたのか」と問われば、これこそ「砂漠という風土」の生んだ暦です。
 なぜなら日本などの場合、「あの山から朝日が見えだしたら、春」こういった季節認識があります。「あの山に小動物の形の残雪が見えだしたら、春」こういった地方(長野県)もあります。山の多い列島ですから、当然です。
 ですが砂漠は違います。山がありません。少なくとも、砂漠のどこからでも見える山、などというものはありません。
 では「砂漠のどこからでも見えるもの」と言えば「月」です。“月の満ち欠け”はどこからでも観察できます。だから「共通の時の物差し」としての暦とされたのです。この、いかにも砂漠らしい「時の規準尺」によって、バイブルの創世記は語られているのです。

 これに対して、右の「千年の寿命」部分がと切れて、若干“寿命なし”部分がつづき、再度「セム」から寿命記載が復活しますが、今度は「五百歳」が一回、それ以外は「五百歳未満」です。

 セム     ーー 五百年
 アルパクシャドーー 四百三年
 シェラ    ーー 四百三年
 エベル    ーー 四百三十年
        (「セムおよびテラの系図」同右)

 絶対値が変わったわけではありません。「二十四倍暦」が「十二倍暦」に変わっただけです。“太ってやせる”一ヶ月で、「一歳」なのです。
 このことは、先の「千年寿命」と今回の「五百歳寿命」と“暦の異同”の存在したことをしめしています。異種の暦にもとづく記事がそのまま“採用”されて、バイブル内に「編入」されているのです。
 「暦は文明の基礎」です。一つの文明とは、すなわち「一つの共通の暦」をもつことです。でなければ「日時を決め」て約束の日時になっても、合うこともできず、又一定の「時」に、お祭りを開くことすらできないでしょうから。
 バイブル全体は、もちろん太陽暦です。今の一年が「一年」です。ですからバイブルそのものは“異種の文明の産物を、そのまま混合させた編集物”としての基本性格をもつことがわかります。人類の産出物として「貴重な史料」と言うに、わたしは何の疑いももちません。

 

  10

 思想史的にも、バイブルは「同時代」の刻印を強く残存させています。「男“ビイキ”の神」なのです。
 有名な「楽園喪失」が“あさはか”なエバの「あやまち」による、とされてことは有名ですが、それ以前に、神が「女」を作り給うとき、「男のわきばら」から作った、というのですから、いかにも「“男の付属品”」扱いです。そんな“ぞんざい”な作り方をしたからこそ、エバは「蛇」に誘惑されたのだ、と言いたくなりますが、ともかく「男女差別」思想は歴然です。「男女差別」排撃論者が、「バイブル廃止」を叫んでいるかどうか、わたしは知りません。
 けれどもこれは、まさに「同時代」の「男女差別」思想に満ちた社会の「写し絵」、わたしにはそうとしか思えません。そういう社会が生んだからこそ、そういう「神」になったのです。そういう創世記になったのです。
 この点、日本の神話と同じです。古事記や日本書紀の大部分(本文と各一書)の「国生み神話」では、女(イザナミ)が先に発声(「あなにやし、えおとこよ」“ああ、何といい男だ”の意)したから、最初は失敗した。次に「男」(イザナギ)が先に発声(「あなにやし、えおとめよ」“ああ、何といい女だ”の意)したら、「国生みに」に成功した。そうなっているのです。明らかに「女性蔑視」の思想です。
 つまり、バイブルの創世記と、古事記や日本書紀の「国生み」神話とは「同時代」の産物なのです。そこに何百年の差があるか、何千年の差があるか知りませんが、長大な人類史の流れの中では、思想至上「同時代」という刻印をになっているのです。

 実はこの点、日本書紀二は、興味深い一節があります。

 陰神(めがみ)先ず唱えていわく、「あなにえや、うましおとこを」と。すなわち陽神(おがみ)の手を握り、遂に夫婦(めおと)になる。淡路島を生む。次に蛭児(ひるこ)
    (神代上、第四代、第十「一書」」日本文学大系、岩波書店、訓は古田)。

 ここでは、「陰神」が先に発声し、そのまま「国生み」(の祖形)に成功しているのです。
 周知のように、縄文時代というのは「女性優先」の時代でした。土偶の大部分が女性である、という一事がこれを証明しています。そのような時代の所産、それが右の「女性主導、成功」方の神話ではないでしょうか。先に挙げた他の型女性主導、失敗)の神話は後代の「訂正版」なのです。
 この「訂正版」と同じ思想史上の位置をしめすもの、それがバイブルの創世記です。おそらく砂漠では「男性優位」の時代の転換が、日本列島より早かった、のかもしれません。「出エジプト記」のリーダー、モーセはまぎれもない「男」だったようですから。
 ともあれ、人類史思想史上の位置では、両者は「同時代」である。その上、日本書紀には、それ以前、つまり「バイブル以 前」の神話。伝承は記録されているけれど、バイブルにはそれはない。 ーーこれが帰結です。

  11

 一定の宗教的聖典には、それが産出された「時代」と「場所」の刻印が鮮明に打たれている。
 わたしが語りたかったのは、この自明の真理にすぎません。この点、他のいかなる聖典にも、例外はない。わたしはそう思います。
 たとえば、回教の場合、先にもふれたように「アラーの神」は、いかなる絵姿、石像・銅像にも“表現”されていません。これはなぜでしょう。
 思うに、バイブルの場合、当初はもっぱら「ユダヤ人のための、ユダヤ人の聖典」でしたから、その「神」がもし描かれるとしたら、「ユダヤ人風の顔や姿」で描かれること、当然だったと思われます。
 「神は自分の姿に似せて人間を作った」という場合、その「人間」とは、他の誰よりも「ユダヤ人」の顔・姿で理解されていたのではないでしょうか。
 ところが、回教の場合、最初からすでに砂漠とその周辺の諸部族を「対象」として、あるいは「意識」していた、と思われます。時は、六世紀、砂漠の商人として人生の前半を送ってきたというマホメットですから、当然のことです。
 とすれば、その中のどれかの部族の顔や姿に似せた「神」を描いたのでは、“さま”にならぬ。マホメットを取り巻いていた「時」と「所」は、そういう位置にあったのではないかと思われます。
 もちろん、マホメットの思想そのものは、そんな周囲の状態に、右顧左眄(うこさべん)した結果ではありません。「統一神」の本質を煮つめ、抽象化を押しすすめた結果とだったと思います。
 しかし、そのような「根本提起」こそ、当時の情勢、「時」と「所」に相応していた。その事実もまた、わたしは疑うことができません。その意味では、コーランもまた、当然ながら「時代の子」なのです。

 

 12

 かって、イエスを「マリアの不義による私生児」とののしり、バイブルの中のイエスの事績を「架空」化して笑いものとする。そのような所業が流行したこともありました。一八〜一九世紀の「啓蒙主義」の時代です。
 否、最近まで、ソ連時代には、その種の「反宗教宣伝」が公の機関で行われていました。
 しかし、こんなものは「児戯」です。幼稚です。だからこそ「ソ連邦の解体」と共に、消滅し去ったのです。
 このような一種幼稚な「宗教批判」とは全く別の場所で、わたしは「宗教が人類に対しもった役割」の分析と批判が重要だと考えています。
 宗教は、人類の生んだ至宝です。魂の痕跡です。限りなく貴重なものです。
 たとえば、あのイエスの一生、バイブルの一節を思い出すごとに、わたしは胸の中を洗われるような“喜び”をおぼえます。そうです。「青年」とはそして「人間」とは、あのように生きて死んでゆく者なのです。
 他のすべての人々に「イエス」を忘れるときが、たとえこの地上に来ようとも、わたしは、彼を忘れることは決してない。そう思います。あらゆる「クリスチャン」がたとえ、この世から「絶滅」する日が来ようとも、わたしは彼を覚えています。愛しつづけます。
 マホメットについても、わたしにはいまだ不十分な理解しかありませんが、おそらくは同様です。人生の半ばにおける、突如の人生転換。あのシュリーマンの場合もそうでしたが、まことに感動的です。人間には、そのような「ちから」が秘められている。彼は徹底して証明したのです。
 けれども反面、宗教は人類に対し、多大の損害をもたらしつつあります。
 最近の、日本における某新興教団のことはいわずもがな、イスラエルでも、ユーゴでも、英国とアイルランドでも、宗教の「恵み」より「害」を痛感する。それは地球上の多くの人々のもつこころではないでしょうか。
 「ベルリンの壁」は崩壊したけれど、このような「宗教の壁」を人類は乗り越えられるか。「克日」ならぬ、このような「克教」に成功するかどうか、これこそ二十一世紀の人類にとって、不可避の課題ではないでしょうか。
 三十代のはじめ、一気に“物した”小編(金沢大学、暁烏あけがらす賞)が上梓(し)されるにさいし、わたしの人生を一貫してきた、この問題意識の一端を、ここに序文代わりに書かせていただきました。
 「古希」を三ヶ月あとにひかえたわたしは、この問題に正面から深く鎮静したい、と思っています。これはその序説です。

  一九九六年五月二〇日
                      古田 武彦


 これは、古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編 I 『親鸞ーー人と思想』と『神の運命』に記載されています。

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