古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編1『親鸞 ーー人と思想』(明石書店)にも収録
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『神の運命』目次 1(宗教の壁と人間の未来 -- 序説) 2-I 2-II 2-III 2-IV 3 へ
『神の運命』(1996年6月30日発行 明石書店)
前文 I 近代国家の法の中の「信教の自由」
古 田 武 彦
この論文は、近代国家内の精神状況をその一つの側面から原理的に明らかにしようとする目的をもっています。
その「一つの側面」とは、ここでは近代的"自由"の諸原理の原型というべき"信教の自由"を指しています。
この有名な宗教上の自由概念の政治的形成過程を歴史的に回顧し、それがどのような論理(ロジック)を以て近代国家の法の中に位置するかを検証しようとしています。
そしてヨーロッパの近代諸国家の中で形成されたその原理が、非ヨーロッパ社会の国家に移植された場合、どのような新しい意義を帯びるかという問題をあつかっています。
そういう非ヨーロッパ社会の近代国家として、明治以後の日本が好箇の事例を提供しているということ、そしてそのため近代の日本国家内部の精神状況が当面せざるを得なかった課題に論及します。
そしてこの課題に、必要にして十分な照明を与えることによって、ことに敗戦後あらわにされた日本社会内の精神状況の本質が一面から明るみに出されることになるでしょう。
なお、その論述過程において、当面の問題性を明らかにするため、無神論と“信教の自由”との関連にふれることになりました。
▽
以上のように、この論文は「論、東西にわたり、古今に及ぶ」ものであり、その一点だけでも最近の学問研究の論文たる資格を欠くようにも見られます。
明治時代(それも初期)に見られた、「粗大な」啓蒙的文明論の時期を遠ざかるに比例して、この種の「壮大な」論述は学界を離れて「趣味」と「軽侮すべき空論」の領域に属すると見なされているからです。
しかし、「とみに精緻を加えた」最近の微視的実証主義的研究に対して、巨視的(「粗大の」)理論的考察は自ら別箇の位置と必要をもつとするのが筆者の信条をなしています。
より微視的な、日本思想史内部の「学問的」実証を本論とし、これを今後の各論文にあて(ここでは紙数があまりに膨大にわたるため、一応この部分は別に割かざるを得ませんでした)、今は、その序説としての理論的、批判的考察を以てこの論文のテーマとしました。
また、この序説のもつ文明批判的性格への考慮からこの論文の文体が決定せられました。
また、論証が帰納的方法による以上に演繹的論理的性格の強いのも、この序説自身の性格の要請から来るものです。
おそらく文体・論証とも「学問的」「考証的」「精緻の」研究者・識者の嘲弄を浴びることと思いますが、完全な無視の運命にあわねば、この論文にとって望外の幸とするところです。
神の子の自由を破壊するところの不幸な良心の自由を廃棄されんことを(フランスのカトリック教職会から、ルイ十四世に提出された請願より)。
1
日本国新憲法にいささか奇妙な問題を含む箇条があります。"奇妙な"というのは、第一に当の主権者日本国民にはその意味が必ずしも自明でないこと、第二に憲法学者達も日本国民に対する説明に苦しんで種々の興味深い学説をこしらえているからです。無論、あの名高き第九条のことではありません。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
Article 19 Freedom of thought and conscience shall not be violated
第二十条 信教の自由は、何人に對してもこれを保障する。(下略)
Article 20 Freedom of religion is guaranteed to all
「良心の自由」という言葉は一般の日本国民にとって決して熟した表現ではありませんし、むしろ、よく考えてみればますますはっきりしなくなるような、単語のつらなり方です。「リョウシン」と発音する時、大部分の日本国民の頭に浮かぶ漢字が「両親」であることは無論ですが、「良心」という漢字として日常語に用い馴れているインテレクチュアルな階層にとっても、「心情の中の善なる部分」といった意味で、多くは「良心的」といった風に、「心中の善なる部分に従わんとする傾向」を漠然と軽く(情緒的に)使う場合が多く、「ーーの自由」という風に結びつく用法はきわめて見馴れぬ、シックリしない用例なのです。
だから、厳密な定義が必要とされる判例や憲法学説の中でも、さまざまの苦心・工夫が行われることになります。
その第一の道は、第十九条に「思想及び良心の自由」とあるのを普通の日本文章法にのっとって「思想の自由」と「良心の自由」を圧縮簡略化したものと理解(「及び」の正常の用法ではそうなります)せず、あくまで「思想及び良心」を一団の語とし、しかも「良心」は「思想」の一部分で、思想と良心は程度の差異に過ぎず、右の一団の語は「思想の自由」と同じ意味になると結論するのです。
この考え方は、現今の最も一般的な判例上の解釈で、東京高等裁判所判決昭和二四・一二・五第四特別部(『高裁民集』第二巻三号、二二五頁、『民集』六巻二号、一七七頁)に「良心の自由とは思想の自由のうちその道徳的判断に属する部分を指していうのであって広い意味での思想の自由の中に含まれる」とあるのがそれです。 (1)
この考え方の利点 はもっぱら「わかりよさ」「明瞭さ」「すっきりしていること」の中にあります。何故なら、日本国民にとって、熟していない、わかりにくい、明瞭でない「良心の自由」という言葉を「思想の自由」の中に解消させて「すっきり」してしまったからです。
実際的な適用の場としての判例の上でこの簡便さは貴重なものですが、その場合、「ならば第十九条は『思想の自由は・・・・』と書かれてあった場合と、同一になってしまうではないか」という疑問が当然湧いて来るはずです。憲法の一字一句を厳密に解釈し規定しようとする憲法学者の中に、「思想」に対置される「良心」に特別の意義を認めようとする見解が生まれるのはむしろ当然と言えましょう(それが「及び」の正当な用法に従う道です)。
しかしこの第二の道は、はなはだ奇妙な定義に入りこんでゆく運命をもっています。たとえば佐々木惣一氏の『日本国憲法論』(有斐閣、三九八頁)には「思想とは人があることを思うこと」「良心とは人が是非辮別をなす本性により特定の事実について右の判断をなすこと」をいうと言っています。(2) 「思うこと」が思想で「判断する」ことが良心、そういった良心の意味は少なくとも現在までの日本国民の辞書にはない語意ですが、その上、そういう「良心」の「自由」となると、世界法制史上に類を見ない珍奇な立法となることは、すでに伊藤正己氏が「憲法における Freedom of Conscience について」(『法曹時報』四巻三号)に述べた通りです。
そこで世界の立法史上の沿革にそった古典的な解釈が第三の道として出て来るのですが、この道も日本国憲法内の整合から見るとかなり困難なルートです。この解釈では「良心」の語は英文の方の"conscience"の意味にひきもどされ、逆にもっぱらその語の日本語訳としてのみ「良心」の語を解そうとするものです。
ロックは一六九〇年に書いた、“lLetters concerning toleration”の中で'liberty of conscience and worship'という表現を用いています。この古典的文献の中で、良心〈conscience〉というのは外形的な宗教行為たる「礼拝」〈worship〉に対立する「内心の信仰」という意味に他なりません。また、その後のヨーロッパ・アメリカの近代立法に数々見える'conscience'の用例はみな、このロックの使用例の伝統の上に立っていると言ってよいのです。
そこで田中耕太郎氏(憲法普及会編『新憲法と文化、新憲法と労働』国立書院)のように、この意義で「良心の自由」を解釈しようとする学者が現われるのですが、この立場からはむしろこの項は「信仰の自由」と言った方がいいと言われるに至るのです。こうなると「良心の自由」も、はなはだ明瞭な、独自の、世界的用例に従った意味をになうことになるのですが、この前最高裁長官の考え方も、日本国憲法内の整合上から言うと、はなはだ奇妙なことになります。何故なら、第二十条に「信教の自由」の項が出て来て、ここは英文では'Freedom of religion'となっていて、当然「信仰の自由」はその中に含まれるのみか、その中核となるはずだからです。
しかも、第二十条にはそれにひきつづいて「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」があつかわれ、これはまさにロックが'liberty of conscience and worship'と言った時の'worship'にあたるものです。
だから、第十九条のみの内部では疑惑のない明瞭さをもった田中説も、この第二十条と対比すると、両項目に同一内容が重複することになります。
この点から、かえって美濃部達吉氏のように第十九条の「良心の自由」を特に「宗教に関係なき理論的な思考と信念」を指すと限定するのも(『日本国憲法原論』有斐閣、一九二頁)、'conscience'の世界的用例から見ていかに珍奇であっても、日本国憲法内の整合からはやむを得ぬ次第かもしれません。
以上のように一長一短「あちら立てればこちら立たず」といった迷路にさまよう感のある各種の学説の分布状況も、それはあくまで現行憲法内の理解・註釈の立場に立つからであって、いったん巨視的見地に立てば一目瞭然の理解を一挙に獲得することが出来るのです。それは言いなおせば日本国憲法作製の思想の分析的理解の立場です。それは端的に言えば(よく知られていることですが)次の二項です。
◎第一に、日本国憲法は英文の方が原文的意義をもった点が少なくないこと。
◎第二に、この第十九条、第二十条は当時の占領軍政部G・H・Qにとって特に力点の置かれた部分の一つであると思われること。
第一の項からの帰結は「良心」はやはり'conscience'の原語から世界史的に理解すべきだということになります。
第二の項から、右の意味の「良心の自由」は当然第二十条に含まれるにかかわらず、特に第十九条にも書かれた情勢が理解できます。
しかも、第二十条の「信教の自由」についての述語は「何人に対してもこれを保障する」であるのに対し、第十九条の「思想及び良心の自由」に対する述語は「これを侵してはならない」とある点が重大です。
旧明治憲法で「不可侵」とされたのは旧憲法の根本をなした第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」です。
これに対し、新憲法では、第二条に「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として」とあるように、基本的人権の各項目の述語として「侵してはならない」があらわれています。第二条、第十九条以外では次の三箇所です。
第 十五条 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
第二十一条 通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。 (3)
ここで注意すべきは、世界立法史上、基本的人権、つまり自然法としての人間の自由権は、その立法史上の淵源の位置に「良心の自由」を見出すということです。だから、第十九条の「良心の自由・・・・侵してはならない」は「思想の自由・・・・侵してはならない」の一部として独自の意義を解消してしまうべきものでなく(昭和二四・一二・五第四特別部の東京高裁判例のように単なる「道徳的判断」を指すような位置に矯小化することは、とりもなおさず独自の意義を解消することです)、むしろ新憲法中の「不可侵」性をになう基本的人権中の淵源的中核として、旧憲法の天皇の不可侵性、言いかえれば、天皇信仰(天皇統治の神聖国家帰依)の不可侵性に対決する重大な意義をになっているもので、新憲法の中核的生命と言わねばなりません。
このことは、新憲法成立の実際上の政治的歴史的背景がポツダム宣言にあることに関連します。
第十条 言論・宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。
ここには法的には米英的近代法体系の基本概念よりする、天皇神権的明治憲法体系への批判が横たわっています。とすれば、この新憲法の第十九条の「不可侵」性は決して偶然でなく、むしろこれなくしては新憲法の意義の中心的部分が失われるものと、米英的近代法体系の上に立つ者(占領軍側)からは見えたに相違ありません。
この点、明治憲法に一応「信教の自由」が認められつつも、“安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル”限りであったこと、そしてその「臣民タルノ義務」の核心が天皇の神聖「不可侵」信仰にあったことを想起し、そのため、旧憲法条文上の「信教の自由承認」が本質的に潰滅に帰した歴史的事実に思い至れば、新憲法が第二十条での「信教の自由の保障」のみに安心できず、第十九条に「良心の自由」の「不可侵」を置いたことの歴史的、心理的理由とその意義はあまりに明瞭であると言わねばなりません。
明治期になってはじめて本格的な交渉を日本ともったアメリカにとって、この明治憲法的「天皇信仰」が絶えず思想的敵対者として意識にあったことはわたし達の想像にあまるものがあります。
アメリカにおける「信教の自由」の研究書中で、くりかえし日本の天皇「不可侵」信仰による「信教の自由」空文化が問題にせられ、指摘せられているのを見ることができます。その例を左にあげますと、
「日本に於ては ーーここには日本の領土及び最近占據した地域については考慮せずにーー 宗教とそれに関聯したる自由の制限された保障は、官僚と警察の手で侵害せられている。そして国民の信仰として神道を取立てようとする国家の積極的努力は、信教の自由に対する滲透せる侵害である。憲法其ものがその帝国と皇帝と皇室の祖先と、萬世一系の子孫の宗教的性格を暗示して居り、それが細密に教育制度と公けの神社制度とに展開されている。第一条には『大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す』とあり、第三条には『天皇は神聖にして侵すべからず』とある」
「宗教行事に於ける直接の強要も無い事ではない。著るしい例はスペインの軍隊及び刑務所に於て、要すれば鞭や棍棒を用いてミサを強要する事、又はペルーの公立学校に於て日々、ミサを執行する事等である。更に一層広く透徹したものは神道の強制儀式であって、それには日本の学童のみならず、成人の多数や、台湾・朝鮮の学童に至るまで、参与せしめられた事である。同様に神棚を朝鮮及び他の地区の家々に設けさせ、時にはそれらの家々に前からあったものを入れ替へさせたような日本警察の強要があった」(エム・ソール・べーツ、海老沢亮訳『信教の自由に関する研究』教文館)この書物はポツダム宣言と同じ年一九四五年の一月四日に完成され、その著者は東京裁判の証人台に立つために日本に来ています。また、アメリカのチャールス・アイグルハート博士が終戦直後の日本に来て、この本の翻訳出版を推進しています(著者の翻訳出版の同意書は、一九四六年七月十九日、つまり新憲法実施の前年に東京でしたためられています)。
こうしてみると、前に述べた、明治憲法の天皇「不可侵」に対する、新憲法の"良心の自由"「不可侵」というコントラストの偶然でないことがわかるわけですし、第二十条の前に置かれた第十九条の「良心の自由」の項の独自の意義がくっきりと浮かび上がるのを感じます。
しかし、問題はその次の点にあるのです。
このように、新憲法制定の成立史的構成の中ではまことにくっきりと透明に見すかせた姿が、新憲法内部で、内部から見られる時、最初に述べた判例、憲法学説の奇妙な分布状況からわかるように、依然一種わかりにくい不透明さをもつことです。
この、外から見ると透明だが、中から見ると不透明だという、魔術鏡的性格は、一体何にもとづくものでしょうか。「良心の自由」という言葉がまだ熟していないような ーーそういう近代化の伝統をもたない、現代日本の基底的非近代性がその原因だ、と言うのが一番通りのいい説明かもしれませんが、それならば日本が基底的に近代化すれはするほど、この言葉ーー 「良心の自由」は日本国民にとってわかりよくなってゆくでしょうか 。
そういう見地を保証するような論証を求めても、残念ながらそれが未来への楽天的予想にもとづく他、何の論証ももたぬことは到底おおいかくすことはできません。
しかし、わたし達はこの魔術鏡の表裏の姿を注意深く観察し、分析することによって、事柄の思いもかけぬ真相に気づくようになるでしょう。その手がかりはアメリカとヨーロッパにおける'liberty of conscience'の素性を刻明に客観的に批判的に洗い上げてみることです。
2
一九四七年に制定されたイタリア共和国憲法の「基本原理」として、次のような項目があります。
第七条 国家とカトリック教会とは、各々その固有の領域において、独立であり最高である。
(以下略)
第八条 すべての宗教各派は、法律の前に等しく自由である。カトリック以外の宗教各派は、イタリアの法秩序に反しない限り、固有の規約にしたがい、団体を組織する権利を有する。
それらと国家との関係は、それらの代表者との諒解にもとづき、法律により、規律される。
いかに「すべての」宗教各派が「等しく」自由であると表明されても、「カトリック教会」と「カトリック以外の宗教各派」とが国家との関係・権限において決して平等でないことは歴然としています。
私たちは明治憲法下において「信教の自由」の明文を有していましたが、同時に天皇の神聖不可侵に連なる国家神道が「国家神道以外の宗教各派」と異なる、国家との関係、権限をもったことが、明文化された「信教の自由」の実質を内側から掘りくずした経験をもっているのです。
だから、イタリア憲法と同じ一九四七年発効の新憲法下では、この「信教の自由」が、国家に対する、各宗教各派の例外なき、平等な関係を含むことは自明の近代国家の通念と理解せられたのです。
しかし、イタリアの国家とローマ・カトリック教会との固有の関係は歴史上あまりにも著名なことですから、わたし達はここに近代国家の例外的な姿を見るべきかもしれません。そこでわたし達は一九四九年に制定せられたドイツ連邦共和国基本法に検査の対象をうつすことにします。ここはルッターによる宗教改革の故郷、カトリック教会の影響力の(イタリアに比べて)ずっと少ない国ですから。
第四条 (一) 信仰、良心の自由、および宗教および世界観の告白の自由は、不可侵である。
第七条 (三) 宗教教育は、公立学校においては、宗教に関係のない学校をのぞいて、正規の教科目である。
宗教教育は、国の監督をさまたげることなく、宗教団体の教義にしたがって行われる。いかなる教師も、その意思に反して宗教教育を行う義務を負わせられてはならない。
第百四十条 一九一九年八月十一日のドイツ国憲法第百三十六条、第百三十七条、第百三十八条、第百三十九条および第百四十一条の規定は、この基本法の構成部分である。
ワイマール憲法第百三十七条
(六) 公法上の団体たる宗教団体は、市民租税台帳にもとづき、ラントの法の規定にしたがって租税を徴収する権利を有する。
第四条(一)は日本の新憲法の第十九、二十条との酷似によって興味を引きます。日本の場合も、「思想、良心、(信仰)」の「不可侵」が宣言されてあります。このことは一九四九年五月十二日付憲法制定会議議長アデナウアー宛の「基本法にたいする三国軍政長官の認可の書翰」に示されているように、(アメリカを中心とする)占領下に誕生した憲法という性格をドイツと日本が共有していることと無関係ではないと思われます。
しかし、わたし達日本人にとって奇異にうつるのは、第七条や第百四十条の表明です。日本において明治憲法下の公立学校での国家神道にもとづく宗教教育、各神社・寺院の氏子・信徒への割当徴収が「信教の自由」に反する具体例として、敗戦後厳しく糾弾されたことに対比して、そのあまりの相違には目をみはらせるものがあります。実に、宗教と直結した、租税台帳による租税徴収などは日本でも江戸封建時代にその完壁な実施を経験し、それは非近代的なものとして悪名高いものです。
もし、それがたとえいかに「近代化」されたとしても、日本の新憲法内部にこの第百四十条類似の項目の挿入されることは、到底わたし達、国家の近代化を支持する日本人の想像し得るところではありません。
けれども、注目すべき事実は(イタリアの場合もドイツの場合も、ここにあげた日本の側から見た(外部から見た)疑問点 ーー「信教の自由」と反するのではないかとの疑いは、それぞれイタリア、ドイツの内部から見た場合、何等の疑問も(公式上)生んではいないだろうと思われることです。
いやむしろわれわれ日本の目から見て「信教の自由」への侵害ではないかと見える、それらの条項こそ、実はヨーロッパの、中世以来の長い歴史の「信教の自由」のための闘いの中で闘いとられた成果の中身をなすものの一つであろうと思われるのです。このことは第百四十条が決して占領下一九四九年の創作でなく、ドイツの法的近代化の道標としての名を負う、ワイマール憲法の継承として明記されている点からも保証されることでしょう。
つまり、イタリア、ドイツ内部の宗教各派にとって、上記の諸項目は決して「信教の自由」の侵害と見えているのではなく、かえってこれらの条項こそ具体的に「信教の自由」を保証しているものと見えていること、もしこれらの条項を国家が抹殺しようとするならば、それらこそ獲得せられきった「信教の自由」への許しがたい「侵害」と見えるだろうと思われるのです。
たとえば悪名高い、ビスマルクの文化闘争とそれに対するねばり強い教会側の反撃と成果の記憶は、前記ワイマール憲法の中に深く沈着していることと思われます。
日本の場合「良心 ー 信教の自由」の条項が外から見れは明瞭なのに、内から見れば不明瞭になるという事態は前に考察しましたが、このイタリア、ドイツの場合、外から(日本から)見れば不明瞭なものが、内から(それぞれの国の内部から)見れば疑いなく透明に見えるという点に問題が存します。
わたし達がこの問題を十分に理解するためには、中世以来のヨーロッパ世界内部の「信教の自由」成立史の条件及びその基本原理を検討することが避けることのできない課題となってきます。
註___________________
(1)この判例と同一陣営の考えをとる憲法学者はたとえば宮沢俊義『憲法』(有斐閣全書)一三六頁、宮沢俊義「国民の権利義務」(蟻山政道編『新憲法講座』上巻、国土社)二三二頁、俵静夫『憲法』(有信堂)六〇頁などです。
(2)他にこの説をとるものに渡辺宗太郎『日本国憲法要論』(有斐閣)一一一頁、柳沢義男『日本国憲法逐條講義』(福地書店)七五頁、鈴木安藏『日本の憲法』(政治教育協会)七七頁などがあります。
(3)「侵されない」の例は次の二箇所です。
第二十二条 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
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