2003年8月8日

古田史学会報

57号

1、九州王朝の絶対年代を探る
 和田高明

2、「邪馬壹国」と「邪馬臺国」
 斎田幸雄

3、わたしひとりの八咫烏
 林俊彦

4、可美葦牙彦舅尊の正体
記紀の神々の出自を探るii
  西井健一郎

5、連載小説「彩神」第十話
 真 珠 (3)
 深津栄美

6、桜谷神社の
古計牟須姫命

 平谷照子

7、「古田史学いろは歌留多」
安徳台遺跡は倭王の居城か
会員総会・事務局だより

 

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桜谷神社の古計牟須姫命

池田市 平谷照子

 会報 No.五四で、かつて“君が代の源流を訪ねる旅”(平成九年四月、国民休暇村志賀島主宰)に参加して、その折おとづれた福岡県糸島郡志摩町船越に鎮座する、桜谷神社で見聞した感想を述べました。当時の“旅の栞”をいまいちど見てみます。

 桜谷神社、桜谷にあり、若宮大明神という。
 祭神木花咲耶姫神、苔牟須売神。(又、ニニギノミコトなるべしとの説あり) 
 祭日 十一月五日。
 寛永元年十一月五日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、初めて勧請せしという。文政六年再建せり。(この記の出典は糸島郡誌であることを後に知る)

 これを読んで「苔牟須」から、君が代をふと思い出しましたが、この「苔牟須売神」という珍しい名をもつ神が、寛永元年に神憑りによって開顕されたということが、私には大層興味深深でした。
 桜谷にきて、先ず目についたのは、粗末な木箱の中で紅白の布を巻き付けた石の御神体が安置され、木札に「苔牟須売命」と書いてあった、それなのです。これが神託によって祭り始めた元の姿であろうと思いました。それに桜谷では「苔牟須売神」という神名は見当たらないことでした。では何故、桜谷神社の「苔牟須売姫命」は糸島郡誌の中で「苔牟須売神」と書きつけられたのか。
 ところで、この糸島郡誌はいつ発行されたのか知りたくて調べました。糸島郡誌は昭和二年(一九二七)十月一日、糸島郡教育会から初版が発行されていました。昭和二年がどのような年であったか振返りますと、天皇家に関する国家事業では、大正天皇の大喪、旧制の四大節の一つであった明治節の制定、昭和天皇即位式の前年、このような時代の中で、糸島郡誌が編纂されています。委員の中で、桜谷神社を「郡誌」に収録するについて、「古計牟須」(こけむす)は、国歌君が代の巌となりて苔のむす、に合わせて「苔牟須売神」とするのがよろしいのではと、そのような意見が出たかもしれません。さらに巌、苔むす、から生じた「苔牟須売神」は磐長姫とみなされたのでしょうか、木花咲耶姫神を合わせて神社の体裁が整えられ記述されています。そのように思えるのです。

 しかし、市平の妻によってあらわれた「古計牟須姫命」という神名には、この姫神の素性が解明できる何かが、かくれているのではと考えました。挙句、左記のような意味をーーー。
 古(こ) 遠く以前の時代、太古
 計(け) 計(けい) 数をかぞえる
 牟(む) 生れる
 須(す) 生れる
             (広辞苑)
 これらを結合しますと、「数えると大変、古い時代に生れた姫」ーーー次に、古計牟須姫命は何故、古計牟須比売としていないのだろう。姫としているのには理由があるのだろうか,そのうちに「姫」(ひめ)は(き)と読むことに気づきました。姫氏が浮かびました。もしかすると、「古計牟須姫命」は東周滅亡と同じ時期にこの世を去ったのではないだろうか。と、自分流の解釈をいたしました。

 次に、「こ」と発音するものの中から私は「己」をえらびました。「け」からは「気」、「む」からは「務」を、「す」からは「栖」を。横に並べますと
 こーー己 おのれ 自己
 けーー気 また卦、また怪(け)
 むーー務 つとめ 仕事
 すーー栖 すみか
             (広辞苑)

 これをまとめますと、「私は目に見えない気配を感じることを務めにしております」。要するに、私は巫女でした。と語っているように思われました。
 「桜谷」の桜は、元は「狭座(さくら)」ではなかったか、「座」は場所、位置という意味です。と、亡くなられた灰塚照明さんから聞いています。「座」から私は「磐座」を連想しました。ここは祈りの場所だったのかもしれません。漁人市平の妻が神憑りして、古計牟須姫命を顕わした江戸時代の初期には、往古の姿は消滅し、言い伝えられた「狭座」(狭は接頭語)の名のみが残されていたのではーーー。

 船越は海に近いところです。北は引津湾、南は船越湾に望んでいます。「古計牟須姫命」は、航海の吉凶を予知できた超能力者であり、命がけで古代の海上交通にたづさわった船乗り達や、漁労民の信望を集めていたのではなかろうかと、あの丸い石神の古計牟須姫命を偲びつつ、このように想像しています。
     平成十五年四月十六日


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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