「言語考古学」の成立(序説)(『古田史学会報』二十二号) 古賀達也へ
『古代に真実を求めて』
(明石書店)第十集
古田武彦講演 「万世一系」の史料批判 -- 九州年号の確定と古賀新理論の(出雲)の展望
二〇〇六年二月十八日 場所:大阪市中央区電気倶楽部
一「万世一系」の史料批判 二「国引き神話」と黒曜石 三九州年号 四筑紫の君薩夜馬と九州年号
五「藤原宮」はなかった 六大海長老と「浦島伝説」 七出雲の神話 八「サマン」と「サマ」 質問一~四
古田武彦
同じくあっと思いましたのは、古賀さんの出雲の神話に関する研究です。
旧岩波日本古典文学体系準拠 九一ページ
『古事記』上巻
故(かれ)、此の大國主神の兄弟、八十神坐(ま)しき、然れども、皆國は大國主神を避りき。避りし所以は、其の八十神、各稻羽の八上比賣を婚はむの心有りて、共に稻羽に行きし時、大穴牟遲神に[代巾](ふくろ)を負(おほ)せ、從者(ともびと)と爲(し)て率(ゐ)て往きき。是に氣多(けた)の前に到りし時、裸(あかはだ)の菟伏せり。爾に八十神、其の菟に謂ひしく、「汝なれ爲むは、此の海鹽うしほを浴み、風の吹くに當りて、高山の尾の上へに伏せれ。」といひき。故、其の菟八十神の教えに從ひて伏しき。爾に其の鹽(しほ)乾く隨(まにま)に、其の身の皮悉(ことごと)に風に吹き拆(さ)かえき。故、痛み苦しみて泣き伏せれば、最後(いやはて)に來りし大穴牟遲神、其の菟を見て、「何由も汝なは泣き伏せる。」と言ひしに、菟答へ言(まを)ししく、「僕われ淤岐おき嶋に在りて、此の地に度らむとすれども、度らむ因よし無かりき。故、海の和迩(わに 此の二字は音を以いよ。下は效れに此へ。)欺きて言ひしく、『吾と汝と竸べて、族うがらの多き少きを計かぞへてむ。故、汝は其の族の隨、在悉に率て來て、此の嶋より于氣の前まで、皆列なみ伏し度れ。爾に吾あれ其の上を蹈みて、走りつつ讀み度らむ。是に吾が族と孰いづれか多きを知らむ。』といひき。如此(かく)言ひしかば、欺かえて列(な)み伏せりし時、吾(あれ)其の上を蹈みて、走りつつ讀み來て、今地(つち)に下りむとせし時、先に行き見而列伏之時。吾云ひしく。『我は汝に欺かえつ』と言ひ竟(を)はる即ち、最端(いやはし)に和迩(わに)、我を捕へて悉に我が衣服を剥(は)ぎぎ。此に因りて泣き患(うれ)ひしかば、先に行かば、八十神の命以ちて、『海鹽を浴み、風に當りて伏せれ。』と誨(をし)へ告りき。故、教の如く爲しかば、我が身悉に傷そこなはえつ」とまをしき。是に大穴牟遲神、其の菟に教へ告りたまひしく、「今急すみやかに此の水門みなとに往き、水を以ちて汝が身を洗ひて、即ち其の水門の蒲黄かまのはなを取りて、敷き散して、其の上に[車展]轉べば、汝が身本もとの膚の如ごと、必ず差いえむ。」とのりたまひき。故、教の如(ごと)爲(せ)しに、其の身本の如くになりき。此れ稻羽の素菟(しろうさぎ)なり。今者(いま)に菟神と謂ふ。故、其の菟大穴牟遲神に白ししく、「此の八十神は必ず八上比賣を得じ。[代巾]ふくろを負おほへども、汝いまし命獲えたまはむ。」とまをしき。
是に八上比賣、八十神に答へて言ひしく、「吾は、汝等の言ことは聞かじ。大穴牟遲の神に嫁あはむ。」といひき
わたしは大国主が登場するところは『大国古事記』という名前を付け、そこだけ楽しい話がたくさんあり浮き上がっていて『古事記』とは別物であると分析したことがございます。そこの八十(やそ)神の問題。『古事記』の中の大国主、正確には大穴持の神話です。
兎がだまされて皮をはぎ取られた。痛がっているところに兄さんたちが来て、塩水を使えばよいとウソを教えた。それでさらに痛くなった。ところが後から来た弟の大国主(大穴持)が、蒲(かま)に包まればよいと教えた。その通りにすると痛みがなおった。そういう話です。
これを古賀さんが分析されまして、大穴持(おうなむち)はカミという「ミ」の神様に対して「チ」の神様です。足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)、八岐大蛇(やまたのおろち)のように、神様を「チ」と呼ぶ。これはわたしの先輩の梅沢伊勢三さんが、たいへん確定的に学界に報告された。『古事記』『日本書紀』の大部分の七・八割は神(かみ)である。後の分は全部ではないかも知れませんが、神を「チ」と呼ぶ信仰圏が入っている。そういうことを論証された。その大穴持の「チ」の神は「ミ」の神より古いと言うか、並んでいるかも知れないがいちおう「ミ」の神より古いと言っておきます。これに対して「八十神やそがみ」という神が存在する。これは論じたことがありますが、『東日流外三郡誌』に登場する阿蘇部(あそべ)族。最初日本に入ってきたのは阿蘇部(あそべ)族。次に登場したのが津保化(つぼけ)族。阿蘇部(あそべ)族は、粛慎(しゅくしん)の一派、そして津保化(つぼけ)族は、靺鞨(まっかつ)の一派である。いずれも黒竜江近辺から入ってきた。この阿蘇部(あそべ)族の「ソ」は、神様を意味する言葉です。木曽(きそ)の御嶽山の「ソ」。阿蘇(あそ)山の「ソ」。対馬の浅茅(あそう)湾の「ソ」。「ソ」は神様を意味する最も古い証拠です。熊襲(くまそ)の「ソ」も神様です。そのような分析から見ると、この八十(やそ)神の「ソ」も神様ではないかと古賀さんが指摘された。そうしますと「チ」の神様よりもっと古い神様が「ヤソ」ではないか。
ですから『古事記』に書かれてある有名な因幡の白兎の話は、「ソ」も神様はダメである。失敗した。薬効がないインチキな治しかたしか教えられなかった。それに対して大穴持(おうなむち)は正しいことを教えた。このように『古事記』は主張している。古い神様の敗北。新しい神様の勝利を語った神話です。これは古賀さんが初めて分析された。しかもこれだけではなくて、その「ヤソ」という言葉を住所録データベース(ソフトウエアやインターネット上のデータベースを含む)で検索された。これを見ますと兵庫県姫路市に、「八十」という姓が多い。ですから「八十神やそがみ」は兵庫県姫路を中心に広く分布する神ではないか。そういう分析をされた。これはひじょうに優れた分析だと思います。
これは神々の分布はいろいろ考えることはできますが、『古事記』の説話を材料にして「チ」の神様と「ソ」の神様の前後関係をどのように考えるか。古い神々をバカ扱いにしている。新しい神の勝利を告げる。この形で理解されている。しかも「チ」の神様と「ソ」の神様の前後関係を、この日本の中で打ち立てることが出来る。これは優れた研究の成果だ。
(これはわたしが「井真成」の分析で太田さんの協力を得て「井ゐ」さんの分析を行ないました。それによれば、九州の阿蘇山のふもとに集中しています。しかも元は対馬にあります。そういうことが分かってきました。これと同じ分析の方法です。)
これを古賀新理論と言わせていただくが、この方向で分析が日本各地でぞくぞくと出てきてほしい。日本には神様はたくさんいますから。熊襲(くまそ)も神様ですね。「クマ」という神様と、「ソ」という神様のミックスです。それを『古事記』『日本書紀』ではバカ扱いにしています。このような分析を進めてゆくと思いがけない方向から歴史を分析できる。そのような優れた例をあげさせていただきました。
『播磨國風土記』印南郡
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盆気やけの里、土は中の上なり、宅やけと號なづくる所以は、大帯日子命、 御宅みやけを此の村に造りたまひき。故、宅やけの村といふ。
此の里に山有り。 名を斗形山ますがたやまといふ。石を以もちて、作斗ますと乎気おけを作れり。 故かれ、斗形山ますがたやまといふ。石の橋あり。傳へていへらく、上古の時、此この橋天あめに至り、 八十人やそびと衆、上のりり下くだり往来かよひき。故かれ、八十橋やそはしといふ。
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