『古代に真実を求めて』 (明石書店)第十集
古田武彦講演 「万世一系」の史料批判 -- 九州年号の確定と古賀新理論の(出雲)の展望
二〇〇六年二月十八日 場所:大阪市中央区電気倶楽部

一「万世一系」の史料批判 二「国引き神話」と黒曜石 三九州年号 四筑紫の君薩夜馬と九州年号
五「藤原宮」はなかった 六大海長老と「浦島伝説」 七出雲の神話 八「サマン」と「サマ」 質問一~四


八 「サマン」と「サマ」

古田武彦

 最後に、言語の問題を大上段から振りかざして論じると時間が足りないので、最近ぶつかったおもしろい問題を一言だけ言わせていただきます。「大穴持おうなむち」の問題は、ロシア沿海州のオロチ語で解けると以前言いました。(『古代に真実を求めて』(明石書店)第八集 古田武彦講演二〇〇四年一月十七日 講演記録「磐井」の乱はなかった -- ロシア調査報告書と共に)オロチ族の言葉を調べていくうちに間違いないと判断できる言葉に「ナム」という言葉がある。その中で「ナ」というのは水のことだ。「ム」というのは大地のことだ。「ナム」は海のことである。そのようにオロチ族協会の会長さんからお聞きした。そうすると「大穴牟遅オオナムチ」という神名、「チ」のついた神様です。だれでも知っているけれども、われわれの知っている日本語では意味はわからない。ところがオロチ語で解けば、サッと解ける。これは一語の問題だけですから、これで全面的に解けるかという問題があります。おなじく最近気が付いたおもしろい問題を少しだけ言いたいと思います。黒竜江で日本人にそっくりの人がいます。そこで知ったのが「サマン」と言われるかたがたの問題です。このかたがたは巫女の一種で、神懸かりになって神のお告げを語る。シャーマンでしょうね。それを聞きまして、ハッと思いましたのは、青森県を中心とした東北の「(カミ)サマ」の問題です。青森県で言う「カミサマ」というものは、われわれが言っています神様と違います。なぜかと言いますと男の人で身内の人が困ったことに出会ったとします。たとえば息子がグレて困るとします。そうしますと「カミサマ」の元へ行きます。もちろん、いくらかお金を払うでしょうが。そこへ行くと「カミサマ」が憑(よ)ってくれる。祈りを始めて、太鼓にあわせて体を揺すり、われわれには分からない言葉を発して全身で祈るというか憑かれたようになる。それが納まるとお告げがあり、「それは来年の春には納まる。それまで姉さんのところにあずけたらどうか。」などと言葉を発する。お告げの内容そのものは、ひじょうに常識的な内容ですが、とにかくそういうお告げをいただく。それで分かりましたと帰る。そういう「(カミ)サマ」という存在が、たいへん民間では大事な役割を果たしている。文化的な指導者となっている。この黒竜江付近の「サマ(ン)」と、青森の「(カミ)サマ」とは同じ「サマ」ではないか。地理的には近いこともあるし、そして行なっていることも、憑かれるというところも共通しています。これは偶然とは考えにくい、同一の「サマ(ン)」だと思います。とうぜん時間帯から言えば、黒竜江側が古く青森側が新しい。大陸から人が入ってきていることでもあるから。
 そこから先は、素っ頓狂な考えをもった。われわれが日常手紙を書く時に、「○○様(サマ)」と書きます。これはなぜ「様(サマ)」と書くのか。もしかしたらこの「様(サマ)」も同じではないか。
 横道にそれますが比較して考えると、手紙に書く「殿(トノ)」のほうも問題がある。中国語かとも考えたのですが中国語では「殿(デン)」であって「トノ」は日本語です。これもやはり「ト」も神に至る「戸口(とぐち)」の「ト」。「ノ」は「野(広い場所)」という日本語と理解しています。
 それはさておき「様(サマ)」も「サマ(ン)」と同じではないかと直感的に思いました。ですが話が飛びすぎますので「まさか、まさか」と思っていましたが、最近は飛びすぎてはいないと考え直した。
 これも『古田武彦の百問百答』の質問の中で、関東のある人がこのように書かれて質問された。われわれは「オヒサマ」と呼びますが、これはいったいどういうことでしょうか。そう問いかけられて、ギョッとなった。わたしは子供の時から「オヒサマ」という言葉を使ったことがない。みなさんは使われるでしょうか。関東や東北地方のかたで「お日(ひ)さま」と言っているかたがいるので、ここにもおられると思う。ただわたしはおもに西日本で育ったので「オヒサマ」という言葉は使ったことがない。しかし考えてみれば、関係する言い方で「お天道(てんと)さま」という言葉を使ったことがある。「いつもおてんとさまが見ている。」、このような使い方をする。「天道」と書きまして、それが訛(なま)って「てんと」になった。そう言うけれども民間では「天道」と書いた形跡はないので、あれはやはりダメです。わたしは「てのと」と考えます。「て」は広い場所で神様がいるところを意味し、「と」は戸口のことです。神様への入り口を意味する。それが音便で「てんと」になったのではないか。それはともかく、ここで言っている「お天道(てんと)さま」の「サマ」、関東で言っている「お日(ひ)さま」の「サマ」も、同じおなじ「サマ」ではないか。これはとうぜん神秘的な力をもっている。ですが太陽そのものは、ニュートンが言ったように(万有引力の法則で動く)物質かも知れませんが、しかしそうは考えないで、神秘的な力をもっていると考えるから「お日(ひ)さま」や「お天道(てんと)さま」と呼んでいる。神秘的な能力を持っているものを「サマ」と呼んでいる例であることは間違いない。ですから「お日(ひ)さま」や「てんとさま」と呼んでいる「サマ」と、青森の「サマ」と黒竜江の「サマ(ン)」とはおなじ一連の「サマ」ではないか。そうであれば手紙の「様(サマ)」も同じ「サマ」である可能性がひじょうに高い。このように一見相反するものを、「お日(ひ)さま」や「おてんとさま」と呼んでいる「サマ」を入れて考えることにより関係があると考えられてきた。
 このような例は皆さんがたの方が例をたくさん知っておられる。他の例を考えられ古賀さんがおこなわれたような分析を行なえば歴史が組み立てられ研究が進展するのではないか。
 このように言語学の問題はおもしろい問題が続出しているので、改めてご報告することがあれば幸いです。


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