2005年8月8日

古田史学会報

69号

阿漕的仮説
 さまよえる倭姫
 水野孝夫

九州古墳文化の独自性
横穴式石室の始まり
 伊東義彰

『古事記』序文の壬申大乱
 古賀達也

遺跡めぐり -- 宮城県北
宮城県からも出ていた
遮光器土偶

 勝本信雄

イエスの美術
 阿部誠一

高田かつ子さんとのえにし
 飯田満麿
古田史学の会
第十一回会員総会の報告
「新東方史学会」
 発足の報告
 古田武彦
 「洛中洛外日記」
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マリアの史料批判 西村秀己(会報62号)へ

イエスの美術 阿部誠一(会報69号)../kaihou69/kai06905.html


イエスの美術

今治市 阿部誠一

 私は一九九九年、はじめて海外旅行をしました。まずパリ、セーヌを下ってルーアン、オンフルール。北駅からブリュッセル、ブリュージュ、アントワープをまわりました。二回目は中欧。プラハ、ザルツブルグ、ウィーン、ブタベストなどの諸都市です。三回目はアテネ、ローマ、北イタリヤの諸都市でした。いずれの所も古い街並み建物、町を囲む運河など、歴史的遺産を大切に保存しているのには感心させられました。
 中でも目を引きつけられたのは、町の中心にある天に聳えるゴシックの天聖堂の威容でした。パリのノートルダム寺院、モネが描いたルーアンの大聖堂、ヴェネツイアのサンマルコ寺院等の正面壁の大変な数の聖者達の彫刻群でした。特にミラノのドウオーモは正面側面、下から上へびっしり彫像で埋めつくされていました。数百年の時間をかけ巨額の金を注ぎ込んだ大事業だ。相当数の石工職人(彫刻家)が養われたであろう事をしのび、注文仕事の無い彫刻家は誠にうらやましい限りでした。
 絵画においても同様で、堂内一面に聖者人間たちが壮大なドラマを展開しています。人体比例、骨格筋肉、動作、衣服など迫真的です。モデルを写生したのでしょう。うまい!
 これら名作たちはキリスト教に関係しており、その一大美術運動の展開の偉大さにただただ敬服の至りでしたが、見慣れてくるとこれら巨匠たちの名作にけちをつけたくなりました。ジェラシーによる憂さ晴らしと思って下さい。

受胎告知

 ブルージュのノートルダム寺院のミケランジェロ作「聖母子」像。見事な母と子の慈愛に満ちた大理石像ですが、どうしても十四才くらいのマリアさんが処女でお子様をお産みになったとは思えないのです。マリアさんに尋ねても無理な話だろう。聖書は「神の子をお孕みになられました」と天使に告げられた時、「私はまだ男を知りません。どうしてそのようなことがあり得ましょうか?」と反問しているのです。まあ聖母信仰による教会の注文ですからなんとも?。ある研究書では十三才までエルサレムの神殿に奉仕に出されていたとあり、あとは勘ぐりになるので止めておきます。婚約中の大工ヨセフはマリアの貞操を疑い破約を考えた?ともあります。聖書は「馬小屋での出産、ユダヤのヘロデ王による幼児虐殺を逃れるためのエジプトへの逃避、十二才のイエスのエルサレム神殿での論議、カナの結婚での水を葡萄酒に変えた話」以外はマリアについて語っておりません。冷たい扱いを感じます。
 フィレンツェのウフィッツイ美術館にレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」の名作があります。聖書は天使を男とも女ともそして背中に大きな羽根があるとも書いてないないのです。女の天使の方が田舎少女に受胎について告げ易いとレオナルドは判断したのでしょう。空飛ぶ鳥を見て、天に在します方は羽根がなければ自由に行動できないと誰が想像したのか、レオナルドは実際に作って試していますが、失敗しています。又、彼は性交の解剖図を描いていますが、いろいろ疑問は持っていたのでしょう。

男・女

 レオナルド・ダ・ビンチは可笑しい癖のある絵を描いています。ルーヴルの「洗礼者ヨハネ」。豊満なはだかで右人差し指・拇指が天を指してにやりとしています。男のようで女のよう。にやりと見つめられると気持ちが悪くなります。それより世界一の名画と言われ防弾ガラスで防禦されてえいる「モナ・リザ」。実際に見た時は少しく遠くであり、「謎の微笑」に敬意を捧げたのですが、或る研究書は、晩年のひげを生やした自画像を裏返し、大きさを「モナ・リザ」と同じくして重ねると、ぴたりと一致すると主張しています。自分の顔を土台にして美女を作り上げた実験でしょうか。女に生れ変りたいこの気持ち、わかるかな?と、にやりとしています。美女は黒のベールをかぶり喪服を着ています。誰の喪に服しているのでしょうか。女の体を愛することの無かったレオナルドを変身したレオナルドが弔っているのでしょうか。未完成と言って死ぬまで手放さなかったわけがわかりました。
 ミラノのサンタ・マリヤ・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に彼の「最後の晩餐」があります。最近修復されました。中央にイエスが座し、十二人の弟子といわれる者が三人づっ四つのグループで食卓についている透視図法の名作ですね。気になるのは中央イエスの左横の人物、ヨハネと言われているのですが、修復されてはっきりしました。女です。女が弟子集団の筆頭の座にいるのです。
 女なればマグダラ村のマリアさん、マグダラのマリアです。イエスに病いを癒されてよりイエスの教宣活動にずっと従ってきた女性で、イエスと弟子たち一行の生活上の世話をしています。彼女は弟子中一番イエスに愛され、唇を合わせてさえいます。主任格のペテロは嫉妬して彼女を遠ざけるようイエスに進言している程です。絶世の美女であったらしい。外典では夫婦であったと書いています。世紀はじめころは女性が貶められた階級社会であり、その反映で聖書は女性を良くは書かないのですが。イエスはペテロをたしなめています。
 マグダラのマリアと言えば、ミケランジェロの先輩になるドナテルロの彫刻が有名です。老いやつれぼろの布をまとった罪深い女が手をあわせ回心している像です。聖書は、マグダラのマリアがこんなであるとは書いていません。他の女のよくないことをくっつけて解釈した産物です。彫刻としては名作ですが、題名はとり変えるべきです。
 美しくすぐれた女がイエスのすぐ横にいるのは当然の解釈。男のヨハネではありません。

洗礼者ヨハネ(略模写) イエスの美術 阿部誠一古田史学会報69号

キリスト降架

 アントワープはかってヨーロッパ随一の貿易港で栄え、バロックの巨匠ルーベンスの故郷です。市庁舎のあるグロートマルクト近くに百二十三メートルの大ゴシック、ノートルダム大聖堂があり、此処に彼の名作高さ四・五メートルの大祭壇画が飾られています。人物は彼独特の筋肉のたくましさ見せ動的ポーズです。右上方より左下方にイエスが十字架より降ろされている斜横図で劇的なすごさがあります。この劇的すごさは本当なのか、疑問ありーー でした。
 十字架の横材には両手の平を、縦材には両足首の甲に大きな釘を打ち込んでいるのです。どのようにしてイエスの身体をとりはずしたのでしょう。空中の作業で手足の形が崩れないようにはずす事は出来ないのです。(十字架を倒して大きなバールで釘を抜いている図では絵になりません。)聖書もイエスをどのようにして十字架から降ろしたか書いていません。この絵は嘘を描いている。そう思いました。
 最近になって(イエスを勉強して)嘘だらけがわかりました。考古学でははりつつけは十字架ではなくT字架です。手の平では体重をささえきれずちぎれてしまうので、手首に打ち込んでいます。足は甲のところでなく、両足を横向きに重ねて踵の骨に叩き込まれたのです。死体を外す場合、釘は抜けないのでのこぎりで切らざるを得ないとの事。磔刑図を十字架、手の平、足首にしたのは絵心のなせる術です。
 人物は?男五人女三人。女は聖書に名が出ています。「遠くから見ていた女たち、その中にマグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母マリア,またゼベダイの子たちの母がいた」(マタイ)、「その中にマグダラのマリア、小ヤコブとヨセフとの母マリア、またサロメがいた」(マルコ)。絵でひざまづいてイエスの左足をさわり支えているのがイエスの最も愛したマグダラのマリアです。男の弟子たちはイエスとの関係を咎められるのを恐れて逃げ去っています。最も信頼していたペテロでさえ、大祭司カヤパの女中さんに「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と三度も言われ、三度も否定したのです。裏切りはユダだけではなかったのです。
 ただ一人?夕方になってアリマタヤの金持でヨセフ(イエスの弟子・最高法院の議員)という人が、ローマのユダヤ総督ピラトゥスの所へ行って、イエスの身体の引きとり方を願った、と聖書は記しています。ピラトゥスはそれを渡すように命じたとありますから賄ろを使ったのでしょう。正午ころ暗闇が全地を覆い雷鳴とどろき、見ていた群衆は恐れて逃げ去り(親しい女たち以外)アリマタヤのヨセフは引渡しを命じられた百人隊長にも鼻薬を嗅がせたのでしょう。どうはずしたかわかりませんが(此処のところが知りたい)アリマタヤのヨセフは亡骸を受け取りました。
 ルーベンスのこの降架画は劇的につくられた虚構であります。この場面は無いわけです。
ルーベンス キリスト降架(略模写) イエスの美術 阿部誠一 古田史学会報69号

はりつけの刑 イエスの美術 阿部誠一古田史学会報69号

 

ピエタ

 時は安息日の前日、日没からは仕事が出来なくなります。アリマタヤのヨセフは急ぎます。体に香油を塗り新しい亜麻布で包み、自分のために掘った墓穴に運び込みました。それをマグダラのマリアは見ていました。
 ローマの聖ピエトロ大聖堂には、若きミケランジェロの大傑作イタリアの名宝「ピエタ」像があります。聖母マリアが死せるイエスを膝上に横たえ悲しんで見つめている姿です。さすがは名声どおり、そのうまさにしびれました。が最近になって問題あり ーーに気づきました。
 私は日本古代史、古田史学の勉強もしています。その会報に、ピエタ像の横たわるイエスを抱く女性は、聖母マリアではなく、マグダラのマリアではないのか?の小論文が発表されました。(先に文芸春秋から「世界の都市物語『ローマ』弓削達著」が出版されており、ピエタ像を説明しています。)理由は、「ピエタ」の女性があまりにも若く美しいからです。イエス三十六歳としてその母は五十歳くらい。奥さんであったと言われるマグダラのマリアにふさわしいというわけです。
 これは福音書記者の刑場描写からも言えます。聖母マリアはその場におらず、マグダラのマリアは居たのです。墓穴への埋葬まで見ています。
 たゞ、ミケランジェロがどう認識して彫ったのかは別問題でしょう。制作時注文者よりやはり「若すぎるのではーー」と言われ、聖らかな女性(処女出産)は年をとらず何時までも美しいのだと返答したとか。二十三歳のミケランジェロは聖母マリアと認識していたようです。
 ミケランジェロは七十歳を越して三体のピエタ像を作っています。フィレンツェ大聖堂の「ピエタ」は四人による構成、八十歳のフィレンツェの「バレストリーナのピエタ」は三人構成、共に生母とマグダラのマリアをイエスに配しています。老人になって「ピエタ」の認識は変りました。問題は、完成近くの作を壊して死ぬまで(八十九才)彫りなおしていたミラノの「ロンダニーニのピエタ」です。二人の構成。女は生母かマグダラかーー。
 イエスは聖書の記すところ、生れて以後、生母との関係は薄く冷たいようです。胎を借りただけ、母に対してよそ者のように「婦人よ」と言っています。教宣活動にはいって(三十歳くらい)より、生母は登場しないのです。マグダラのマリアとは密になります。私はマグダラ説をとりたい。
 ところが、日没時よりの安息日で埋葬を非常に急がされた状況を考えると、刑死したイエスを膝上に横たえ嘆くシーンはあり得ない事ことになります。「ピエタ」は絵画・彫刻に数多くの名作がありますが、注文者、作者の虚構、空想の産物であります。
 西洋美術の名作はキリスト教に関したものが極めて多くありますが、聖書の検討も含めて研究のメスを入れていくと、興味がどんどん募ります。
〔「えひめけん美術会」第七二号(二〇〇五年三月)より転載〕

 

〔補記〕原稿を書き終えた後、不足を感じていた事を、本会報に転載する機会を得たので補足します。

男・女の項「洗礼者ヨハネ」について?

 古田史学論集『古代に真実を求めて』(第八集)トマス福音書についてーー の古田論文を読み、私はレオナルド・ダ・ビンチを甘く見ていたなと感じました。
 「変性男子」、つまり女を男に変えて、そして後、救済する。 ーー女はストレートに天国に行けない。そのため必ず行わなければならない通過点があって、男に化けることーー イエスは、女たちを男に化けさせる力を持っている。男に化けさせて、しかるのち天国に連れて行く。ーーこの絵「洗礼者ヨハネ」は、イエスに洗礼を施したヨハネに、女人救済の変性男子を重ねている二重化像だとわかりました。加えて、ヨハネはイエスの先輩格です。ヨハネを軽く見ないよう、レオナルドは、変性男子による女人救済の役割をヨハネに託していることは、注目すべきことです。
 すました顔つきではそう気にならないが、にやりとほほ笑まれると、小馬鹿にされたようで注目度が大きくなる。男性優位ーー そんなことはありません。女性も均等に力を果たしているのです。性を重く考えてみなさい!ーー そのようなメッセージを持っていると思いました。レオナルドは「洗礼者ヨハネ」に洗礼を施すことのみならず、女人の救済をヨハネに託している ーー巧妙さを思い知ったのでした。レオナルドは「トマス福音書」を知っていたのでは,と思います(後にも関連する)。

「モナ・リザ」について

 自分の顔を土台にして美女を作り上げた、その動機を考察します。
 レオナルドは私生児として生まれ、母親の深い愛情にはぐくまれましたが、四才の時、母は追い出されることになります。突然の離別となり、母を慕う一念、そのつらさが幼いレオナルドの脳裏にやきつきました。潜在していたこれが父の死に際して、五十二才の巧みな腕をつき動かし、母エカテリーナの追慕の造形となったと思われます(このことの先行研究者に北川健次氏がいます)。
 幼いレオナルドは、母なきさびしさから、ビンチ村の教会にあるマグダラのマリアの木像をよく眺めていたと言われます。マグダラのマリアが脳裏に住みついたのです。それが母の像に重なりました。「モナ・リザ」は母の像であり、且つマグダラのマリア像であります。喪服を着て愛され愛したイエスを追悼しているのです。喪服の下のおなかが少しふくらんでいます。そう、イエスの子です。微笑は、私そしてイエスの子を忘れないでねーとの照れたメッセージであると思います。
 なぜマグダラのマリアと言えるのか?、イエス処刑を見取ったマグダラさんは、危険を感じて逃避するわけです。伝導も兼ねながら。所は南仏、マルセーユ近くのレンヌ・ル・シャトー。其処でマグダラのマリア及びイエスの血脈を守れ?との秘密結社が組織されます。シオン修道会。この九代目の総長がレオナルド・ダ・ビンチであると言うわけです(『レンヌ・ル・シャトーの謎 ーーイエスの血脈と聖杯伝説』、柏書房、参考)。
 レオナルドはマグダラのマリア信仰を守る役目を担っていたのです。この事は表だって表せない事です。異端分子として教会に焼き殺されます。レオナルドの表現には、言い逃れの出来る二重構造をもっていたのです。暗号があるーー と言われる所以です。
 では、リザさんモデルの「モナ・リザ」はウソだったのか。実はルーヴル以外に真筆だとされるものが他に一点あるのです。ヴァザーリが書いた「モナ・リザ」記事によく適合しているし、ラファエロが模写したデッサン通り石柱が二本あるのです。これ、今スイス銀行地下に保管との事、公開が待たれます。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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