唐書における7世紀の日本の記述の問題 青木英利(会報106号)
二〇一一、六、一六号の新潮 「卑弥呼の鏡の新証拠」に付いて 青木英利(会報108号) ../kaiho108/kai10806.html「卑弥呼の鏡の新証拠」に付いて 新年のご挨拶 編集後記
二〇一一、六、一六号の新潮
「卑弥呼の鏡の新証拠」に付いて
山東省曲阜市 青木英利
新潮の記事は、二〇一一、七、二の久留米大学の先生の講演でも取り上げられて、大下隆司さんの要約と、コピー資料を、七月の関西例会でいただき、私は、知った次第です。
中国・曲阜に新学期に合わせて、舞い戻って、全唐文の巻六八四を開いて、直接自分の目で確かめてみました。また、商務印書館「辭源・修訂本」で字句の検索をしました。
先生の指摘のとおり、「鉗」の字はありますが、「鉗文」の熟語はありません。そして、先生が、三国志倭人伝の「又特賜汝紺地句文錦三匹」の個所から、金と甘いを合わせて作った造語で、「鉗文」とは倭人伝に書かれている贈物全体を示していると考えられます。そうすると、銅鏡と鉗文は並んでいますから、「銅鏡贈物は止めた」と成る訳です。つまり、忠実にして友好的な倭に対しては、豪華な贈物は必要なく、後半の吐蕃に対しては要求するものは与えて慰撫する事が好いと対比して述べているのが、この文章の趣旨だと言っているわけです。
三国志の倭人伝によると、壹與は塞曹掾史張政が魏に帰還する時、遣使二〇人と三〇国の代表三〇人で朝貢し、白珠、孔青大句珠、異文雑錦を献上したとありますが、これに先立つ、卑弥呼の朝貢時の皇帝からの賜り品目の膨大さに対して、壹與に対する賜り品の記録は一切ありません。つまり、豪華な賜り品はなかったのです。その事を言っているのです。
全唐文の巻六八四の王茂元の皇帝への奏上文、「奏吐蕃交馬事宣状」の該当の文章は下記の如くである。「昔魏酬倭国止於銅鏡鉗文」。
「銅鏡」と「鉗文」の間には、「之」も「的」も挿入はないので、「銅鏡の鉗文」とは読めない。仮に、「鉗文」を聖徳大学の山口博の説のように「禍々しい模様や銘文」と解しても、[銅鏡の禍々しい模様と銘文]とは続かないのである。従って、山口博氏の解釈は、字句の解釈と文法、全体の文意の誤り、と言う二点で成り立たない。
さて、この新潮二〇一一、六、一六号が六月一〇日に発売に成った翌日、インターネット上で、応請矩明と言う方が、「DonPoncho」というブログで、批判を掲載している。橿原市の方で、お年が七六歳の方と見受けられる。精力的に古代史の研究をなさっている。その批判の論旨は一貫していて、結論を要約すると、山口氏の鉗文を銘文と読まれて、銘文が無い鏡とは、漢の平鏡の事で、之を要求しているのであって、特注を要求して、三角縁神獣鏡を持ち帰るはずがない。何とか、中国に無い三角縁神獣鏡を特注品としようという魂胆の議論で、浅はかだと批判されている。日本には、直ぐ、事の真偽に迫る方がいると感心した。
私は、この応請の論から、もう一度度、鉗の字に付いて鏡との関係を洗ってみた。鏡には紐帯の穴がある。中国には「銅鏡 打孔鉗」という文章がある。これは、古代から在る表現で、銅器などの使用の利便の為に穴を開けることを言う。現代では、ベルトなどの穴もこの種の打孔鉗である。銅鏡の穴といえば紐帯の穴である。紐帯の穴や文様を止めると確かに平鏡に間違いが無いが、紐帯の穴を開ける摘みが両面に無いという平鏡という舶来鏡の発見は無いので、この読みも無理がある。やはり、先生が説明している、贈物を表す造語であろう。日本の中世以来の神社の鏡は、吊るしていない。置いて飾っているので、紐帯を必要としないだろう。このイメージから論を進めることは出来ない。あくまでも、文献の正確な解釈が重要である。
最後に、原文改定を山口博氏はしている。新潮文面では、「漢は単于に遣る」としているが、これは、原文を改定している。原文は「漢遺単于」である。「遣」も「遺」もここでは意味は近いが、間違いは間違いである。
新年のご挨拶
代表 水野孝夫
明けましておめでとうございます。
昨年は大震災でたいへんな年でしたが、その影響を乗り越えてゆきたいものだと考えます。当会・編の『「九州年号」の研究』を発刊でき、本年頭には会員の方々にお届けできたことを喜んでおります。
皆様も新しい気持ちで研究を進められ、例会や会報や会誌に発表してくださるようお願いいたします。
古田先生もますますお元気で、一月十四日の当会の新年賀詞交換会では多彩なお話を伺うことができました。ただ最近のお話は、われわれに論証のお手本を示すというよりは、宿題のヒントを与えてくださるもののように感じます。先生のお疲れを案じて、お話の時間を制限しているのに先生は新しい話題を全部話したいと考えられるからかも知れません。
一月十四日には全国世話人会議も開催し、会活動について論議しました。会誌をもっと読みやすく面白したいということが中心でした。そのように努力してゆきたいと考えます。
ここに付け加えるのには躊躇を覚えますが、会報一〇七号斎藤里喜代氏「中大兄はなぜ入鹿を殺したか」中の斎藤氏の誤解に注釈しておきたいと思います、(別に一論文にするほどのことがないため)。「一〇五号の水野孝夫さんの反論は誤植があったのか、『古代に真実を求めて・第十四集』に水野論文が見当たらず」とありますが、「水野の説」とは第十四集中の「禅譲・放伐シンポジウム」中の、パネラーとしての水野発言を指し、誤植ではありません。
編集後記
札幌市の阿部さん、久々の大型新人の登場です。古賀編集長と相談の上、異例の巻頭掲載とさせて戴きました。但し、長文のため次号との分載になります。阿部さん、ゴメンナサイ。所沢市の肥沼さんは四年ぶり二回目の投稿です。もっと頻繁な執筆を期待したい会員です。
歳の所為でしょうか。ひと月で骨はくっついたのですが、痛みが未だに取れません。ご心配戴いた数人の方からお見舞いメールなど頂戴しました。この場をお借りして御礼申し上げます。 (西村)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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