2013年 2月 8日

古田史学会報

114号

1,「高天原」の史料批判
  古田武彦

2,続・
 前期難波宮の学習
  古賀達也

3,吉野と曳之弩
  阿部周一

4,『正法輪蔵』の中の
   九州年号
  岡下英男

5,碾磑と水碓
史料の取扱と方法論
  大下隆司

6,新年のご挨拶
  水野孝夫

  編集後記


古田史学会報一覧

新年のご挨拶

代表 水野孝夫

 明けましておめでとうございます。
 昨年末には選挙があり、政治地図が塗り替えられましたが、国際状況を含め、よく理解できぬことばかりのような気がします。それに地球温暖化とか言いながら、寒い日ばかりが続くではないですか。
 しかし、本会報には新しい論客がふえてうれしい限りです。
 古田先生もますますお元気で、一月十二日の新年賀詞交換会では多彩なお話を伺うことができました。この会での冒頭挨拶で、わたしは百済人・祢軍墓誌について、一年前のレジメには墓誌が入っていたのにその後に先生の墓誌に関する発表がないので、発表をお待ちしていると申し上げたのですが、先生は、自身が発表していないのは、会員等の研究を妨げるつもりではないので、どんどん研究するようにとのお話でした。この問題に限らず、皆様方の新しい研究を、例会や会誌・会報に発表・投稿してくださるようにおねがいいたします。

 


編集後記

 本号では、久し振りに古田先生の論文を頂戴しました。お陰さまで、巻頭論文を何にするか悩む必要がありませんでした。
 私事で恐縮ですが、小生この度生まれ故郷である高松市に遷居致しました。高校を卒業した後すぐに関西に出ましたので、四十年ぶりに高松に住むことになります。(古田先生と同じ向日市には約二十五年程暮らしていたことになります)
 家は高松市の東方で屋島と五剣山の間になります。和名抄風に言えば「讃岐国山田郡高松郷」です。付近は史跡といえば、源平の古戦場だらけなのですが、すぐ近くに景行天皇の皇子でヤマトタケルの弟にあたる神櫛王の墓があります。小生はこの神櫛王を「かんぐしおう」ではなく「ちくしおう」ではないかと、密かに疑っておりますので、郷土史などを勉強しようと考えています。
 関西からは離れましたが、会計と会報の担当はそのまま続けさせて戴きますし(FAXやメールで充分に用が足せます。便利になったものです)、関西例会には毎月参加いたします。時には四国の会にも顔を出そうと思っておりますので、四国の会員の皆様よろしくお願いします。
          高松市 西村秀己


 これは会報の公開です。

新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから

古田史学会報一覧

ホームページ


Created & Maintaince by" Yukio Yokota"