2013年2月8日

古田史学会報

114号

1,「高天原」の史料批判
  古田武彦

2,続・前期難波宮の学習
  古賀達也

3,吉野と曳之弩
  阿部周一

4,『正法輪蔵』の中の
   九州年号
  岡下英男

5,碾磑と水碓
史料の取扱と方法論
  大下隆司

6,新年のご挨拶
  水野孝夫

  編集後記

 

古田史学会報一覧

「消息往来」の伝承 岡下英男(会報116号)

『三角縁神獣鏡研究事典』 岡下英男(会報115号)

聖徳太子の伝記の中の九州年号 岡下英男(『古代に真実を求めて』 第十七集


『正法輪蔵』の中の九州年号

京都市 岡下英男

一.はじめに

『正法輪蔵』は、聖徳太子の一生を、一歳一帖の型式で書いた伝記であり、複数の真宗寺院に伝来している。その祖形は、四天王寺の絵伝の絵説本(えときぼん)である。太子を祀る四天王寺の一角に絵堂があり、そこには聖徳太子の一生を表す絵が飾られており、それを説明するための台本として『正法輪蔵』またはその祖形が成立し、それを元に、合冊型式の聖徳太子伝が生まれた。
 写本として現存する『正法輪蔵』には、太子の年次が九州年号で表記されている。多数ある聖徳太子の伝記類の中で、この『正法輪蔵』だけが九州年号を使用していることの理由を考えていて、これが、聖徳太子と九州王朝の関わりを意味するのではないかという考えが浮かんだので報告する。
 九州年号については、小山正文氏によって、「これ以外の太子伝や注釈書類にも若干の九州年号が見られないではないが、『正法輪蔵』のごとく太子の全生涯をそれで表すというのは他に全くない」と紹介されている。 (註1) 本報告はこれに触発されたものである。

 

二.『正法輪蔵』の作者

 作者としては、現存する伝本に名前がある所から専空の名があげられるが、絵伝の歴史は古く奈良時代にまで遡ると言われているので、その台本の歴史も古く、長い時間の間に幾たびもの変遷があった筈である。その最終の編者が専空であったとするのが妥当であろう。ここでは彼を編者として考察を進める。

 

三.『正法輪蔵』は太子の年齢をすべて九州年号で表示している

 翻刻された『聖法輪蔵』(註2、ここでは聖の字が使われている)を見ると次のように書かれている。たとえば、
  三歳帖:是ハ太子三歳御時 年号金光五年歳次甲午・・・・
  十歳帖:是太子十御歳
   年号ハ鏡常二年歳次辛丑春二月・・・・

であり、その他の歳帖もほぼ同様である。「ほぼ」とするのは、帖欠失や九州年号記載の無い歳があるからである。
 このような『正法輪蔵』の九州年号による太子五十一歳の生涯を表1に示す。五十一箇年のうち、九州年号記載を確認し得たのは四十三箇年である。 (註2、3、4) 空白年が八箇年存在するが、空白年の前後の年次から、この間の歳帖にも連続して九州年号が記載されていたであろうと推測される。
 『正法輪蔵』の九州年号を『二中暦』などと較べると、いくつかの年号で差異が認められる。また、「願転」が無い。「*」印は明らかな書写ミスであろう。

四.『正法輪蔵』から『聖徳太子伝』が生まれた

 『正法輪蔵』は、日光輪王寺や醍醐寺などに伝わる完本の『聖徳太子伝 (註5) 』などと内容がほとんど同じである。これを、太子三十七歳条について調べた結果を左に示す。比較のために、各伝記に、太子の年次の表記の仕方を付記した。

甲類・『正法輪蔵』
   [太子の年齢、九州年号、干支]
 太子三十七御歳
 年号光宛三年歳時戊辰
 八月中旬之此、又顕一奇特給ヘリ、
 其故、太子住給ケル斑鳩宮・・・・

乙類・『聖徳太子伝』(輪王寺本)
   [太子の年齢]
 是太子三十七御歳
 八月中旬之此、又顕一奇特給ヘリ、
 其故、太子住給ケル斑鳩宮・・・・

丙類・『聖徳太子伝』(醍醐寺本)
   [太子の年齢・目次あり]
 是太子卅七歳御時
 又彰一奇特也、斑鳩宮・・・・

丁類・『聖徳太子伝』(万徳寺本)
  [太子の年齢と干支・目次あり]
 是太子卅七歳戊辰夏四月小埜大臣・・

 『正法輪蔵』と輪王寺本『聖徳太子伝 (註5) 』が、九州年号と干支の有無以外はそっくりであり、醍醐寺本に若干の違いのあることが認められる。さらに、万徳寺本 (註6) の記事が他の史料と全く違うように見えるが、これは各歳の冒頭の部分であって、内容的には共通する部分が多い。たとえば、醍醐寺本と万徳寺本には目次に相当する部分があって、これを比較すると両者の内容の大半が共通している。
 右の比較から、輪王寺本に九州年号表記を加えれば『正法輪蔵』と同じになることが理解される。このことも、表1の空白年にも連続する九州年号が記載されていたと推測される理由である。
 なお、右で用いている、甲類?丁類の分類は阿部泰郎氏による。 (註7) 阿部氏は次のように書かれている。
『正法輪蔵』の諸伝本を概観すると、それらは大きく四類に分かたれる。甲類は「正法輪蔵」と題する、基本的に各歳一帖形式の伝本、乙類は甲類と共通本文をもつ「聖徳太子伝」と題される合写冊子形式の伝本、丙類は同じく「聖徳太子伝」と題され構成を同じくするが異なる本文の伝本、丁類は甲・乙類と共通する本文を含むが大幅に異文記事を交える伝本である。

 

五.『正法輪蔵』に「九州年号」が使われた理由

 九州年号の使用については、次のような解釈がある。(註8)
 「すでに年号が一般化している鎌倉時代としては、いまだ公称の年号がなかった太子時代の年紀を示すために、たとえ私年号であってもそれによることが一般人の理解のためには便宜が多かったのであろう。」

 と。しかし、一般人の理解のためには、不揃いな年数で改元される年号が、周期が固定された干支よりも便利であるとはとても思えない。そうであるのに、敢えて九州年号が使用された理由は何であろうか。

六.聖徳太子の伝記類の中で太子の年次はどのように表記されているか

 代表的な伝記における太子の年次の表記の違いは四項の三十七歳条の比較に明らかである。
 太子の生涯を、一歳ごとに項を分って叙述する型式の伝記の元になった『聖徳太子伝暦』では天皇即位後の年数と干支で表記されているが、『正法輪蔵』では太子の年齢と九州年号と干支による表記となり、それを書写した『聖徳太子伝』(輪王寺本と醍醐寺本)では九州年号が除去されて太子の年齢だけとなり、それでは不便ということであろうか、万徳寺本では干支が入り、さらに、干支入りの目次が付けられた。この目次は醍醐寺本にも転用されたと考える。このことについては別に報告する。
 ここで注目すべきは、『聖徳太子伝暦』から発展したはずの『正法輪蔵』だけに九州年号の表記があるということである。この九州年号は、輪王寺本以降、消されている。ただし、輪王寺本と醍醐寺本の『聖徳太子伝』には各三箇所(十六、十七、二十二歳条)に九州年号が記載されているが(註5)、それらは元になった『正法輪蔵』の表記の消し忘れであると考える。
 では、なぜ、編者の専空は『正法輪蔵』で九州年号を用い、輪王寺本以降それが除去されたのであろうか。『正法輪蔵』で九州年号が採用された理由としては次の二つを考える。

a・九州年号は、『正法輪蔵』を、現在伝わっている形に編集したとされる専空が、鎌倉時代に、新たにそれを使用した。彼は、原史料には無い九州年号を採用して、新しい絵説本を作ろうとした。

b・九州年号は、専空が『正法輪蔵』の編集に採用した原史料(または、祖型)に使われていた。
さらには、「金光」などの年号は九州王朝のものであり、聖徳太子が九州王朝ゆかりの人物であるという伝承があり、彼はそれを知っていた。

七.太子生誕記事の比較から考える

 『正法輪蔵』に九州年号が使われた理由を考えるために、各種の聖徳太子伝記における太子生誕の記事を比較してみた。ヒントは「金光三年」という九州年号である。それを左に示す。

『聖徳太子伝暦』
 敏達天皇 諱淳名倉大玉敷天皇。・・・・
 元年壬辰春正月一日。・・・・

甲類・『正法輪蔵』
 抑聖徳太子我朝御誕生之時代相尋上古
 侍年号金光三年壬辰歳御事也。・・・・

乙類・『聖徳太子伝』(輪王寺本)
 抑聖徳太子我朝御誕生之時代相尋上古異説
 侍年号金光三年壬辰歳御事也。・・・・

丙類・『聖徳太子伝』(醍醐寺本)
 抑聖徳太子御誕生之時代相尋上古侍レハ年号ハ異説金光三年壬辰歳也。・・・・

丁類・『聖徳太子伝』(万徳寺本)
 敏達天王元三年云
      五年云

 甲類~丙類において、「金光三年」という九州年号が本文の中にも使われている。専空は、『正法輪蔵』を編集する際、太子の年次を表すのに、天皇の即位後の年数と九州年号のどちらでも使うことができたのに、先行する『聖徳太子伝暦』の表記とは異なる九州年号を採用した。彼は九州年号を重視している。それは、彼が使用した史料に九州年号が記載されていたためではなかろうか。
 右のように、『正法輪蔵』の九州年号は、鎌倉時代の編集時に新たに採用されたものではなく、聖徳太子の生誕は金光三年だという伝承が有って、それの延長または継続として使われたと考える。前項であげた理由のbである。
 しかし、輪王寺本の書写者はその意味が分からなかったので、四項の三十七歳条の如く、各歳帖の冒頭の九州年号を削除した。冒頭の九州年号表示は簡単に削除できたが、文中の九州年号「金光」は、これを削除すると文の変更になるから簡単には出来ない、それで年号の「年」の横に異説と小さく注記した。醍醐寺本の書写者は、輪王寺本を見て、さらに九州年号を知らないので、異説を強調するべく本文中に、やや小さい文字ではあるが、入れた。私はそのように考える。
 また、右に述べたように、『正法輪蔵』の最も古い写本とされる輪王寺本に「異説」とある。最も古いということは、『正法輪蔵』の成立からの時間が短いことであるから、その編者の専空が、新たに九州年号を採用したのであれば、輪王寺本の書写者には、その事情も伝わったのではないか。そうであるのに「異説」と注記するのは、事情が分っていない、すなわち、九州年号が使われたのははるか昔のことであって、書写者には事情が分らなくなっていて、そのように注記したのではなかろうかと考える。
 さらに、三項で述べたように、『正法輪蔵』には「願転」が無いが、万徳寺本には、善光寺如来に関して、「・・・・太子卅一歳願転四年・・・・」とある。太子生誕金光五年説を採れば卅一歳は表1の願転四年に相当する。これは、『正法輪蔵』系統以外にも、九州年号を用いた聖徳太子の伝承が存在したことを意味するのではないか。

確認し得た『正法輪蔵』の九州年号

西暦 干支 太子 『正法輪蔵』 『二中暦』

『如是院
  年代記』

『聖徳太子伝暦』
     年齢          
572 壬辰 1 壬辰 金光 3 金光 3 金光  3 敏達天皇 1
573 癸巳 2 癸巳 金光 4   4   4   2
574 甲午 3 甲午 金光 5   5   5   3
575 乙未 4 乙未 金光 6   6   6   4
576 丙申 5 丙申 賢称 1 賢接 1 賢称  1   5
577 丁酉 6          2   2   6
578 戊戌 7 戊戌 賢称 3   3   3   7
579 己亥 8 己亥 賢称 4   4   4   8
580 庚子 9 庚子 鏡常 1   5   5   9
581 辛丑 10 辛丑 鏡常  2 鏡当 1 鏡常  1   10
582 壬寅 11          2   2   11
583 癸卯 12 癸卯 鏡常 4   3   3   12
584 甲辰 13 甲辰 鏡常 5   4   4   13
585 乙巳 14 乙巳 勝照  1 勝照 1 勝照  1   14
586 丙午 15 丙午 勝照 2   2   2 用命天皇 1
587 丁未 16          3   3   2
588 戊申 17 戊申 勝照 4   4   4 崇峻天皇 1
589 己酉 18 己酉 端政   1 端政 1 端政  1   2
590 庚戌 19 庚戌 端政 2   2   2   3
591 辛亥 20 辛亥 端政 3   3   3   4
592 壬子 21 壬子 端政   4   4   4   5
593 癸丑 22 癸丑 端政 5   5   5 推古天皇 1
594 甲寅 23 甲寅 吉貴 1 告貴 1 吉貴 1   2
595 乙卯 24 乙卯 吉貴 2   2   2   3
596 丙辰 25 丙辰 吉貴 3   3   3   4
597 丁巳 26         4   4   5
598 戊午 27         5   5   6
599 己未 28         6   6   7
600 庚申 29         7   7   8
601 辛酉 30       願転 1 願転 1   9
602 壬戌 31 壬戌 吉貴 9   2   2   10
603 癸亥 32 癸亥 吉貴 10   3   3   11
604 甲子 33 甲子 吉貴 11   4   4   12
605 乙丑 34 乙丑 吉貴 12 光元 1 光充 1   13
606 丙寅 35 丙未 光宛 1   2   2   14
607 丁卯 36 丁卯 光宛 2   3   3   15
608 戊辰 37 戊辰 光宛 3   4   4   16
609 己巳 38 己巳 定居 1   5   5   17
610 庚午 39 庚午 定居 2   6   6   18
611 辛未 40 辛未 定居 3 定居 1 定居 1   19
612 壬申 41 壬申 定居 4   2   2   20
613 癸酉 42 癸酉 定居 5   3   3   21
614 甲戌 43 甲戌 定居 5*   4   4   22
615 乙亥 44 乙卯* 定居 6*   5   5   23
616 丙子 45 丙辰* 倭京 1   6   6   24
617 丁丑 46 丁丑 倭京 2   7   7   25
618 戊寅 47 戊寅 倭京 3 倭景 1 倭景縄 1   26
619 己卯 48 己卯 倭京 4   2   2   27
620 庚辰 49 庚辰 倭京 5   3   3   28
621 辛巳 50 辛巳 倭京 6   4   4   29
622 壬午 51 壬午 和京* 7   5   5   30

 

註1.小山正文、「市民の古代」第四集

註2.『真宗史料集成』第四巻

註3.『日本庶民文化史料集成』

註4.渡辺信勝『聖徳太子説話の研究』

註5.『中世聖徳太子伝集成』

註6.渡辺信勝ら、同朋学園仏教文化研究所紀要第二号

註7.阿部泰郎『真福寺善本叢刊』巻五註8.宮崎圓遵『初期真宗の研究』

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2022.3.22 インターネット事務局注記

「確認しえた『正法輪蔵』の九州年号」の混乱は修正済み

横田様

ご指示の会誌投稿原稿をお送りします。
「確認しえた『正法輪蔵』の九州年号」で、「戊—戌」の混乱を修正しました。

以上、よろしくお願いいたします。

令和4年3月20日

岡下英男


 これは会報の公開です。
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