『三角縁神獣鏡研究事典』
京都市 岡下英男
本書は、下垣仁志編著、吉川弘文館、二〇一〇年発行、である。資料の部の「三角縁神獣鏡関連論文」に古田武彦氏の著作・論文四点が記載されている(p三九五)。
(1) 『失われた九州王朝』朝日新聞社
(2) 『ここに古代王朝ありき』朝日新聞社
(3) 「古代史を妖惑した鏡 『歴史と人物』
(4) 「鏡の舶載とイ方*製」 『帝塚山考古学』
これらが、「三角縁神獣鏡の研究史」の、次に示す四箇所に引用されているのを見つけた。
「小林説をめぐる賛否」の項の註四二)に(1)と(4)(p一一八)、「国産説の展開」の項の本文に(1)と(2)(p一三三)、「景初四年鏡論争」の項の註六八)に(4)(p一四〇)、および、「銘文解釈の進展」の項の本文に(2)と(3)(p一四七)がそれぞれ引用されている。その概略は、鏡の銘文の詳細な検討とそれから導かれた三角縁神獣鏡国産説である。本書の趣旨から対象は鏡に関する部分ではあるが、『失われた九州王朝』が引用されているのは嬉しい。
このような編集の姿勢を示すものとして、「三角縁神獣鏡の研究史」の部の作業方針に関する註一)の中に下記の文章がある(p二八〇)。
“1)(前略) それでも筆者は、これまでの論争や議論が実りなきものに終わりがちであったのは、他論者の見解への無理解や無視による所が大であったと考えるので、今後の研究に役立てるべく、あたうかぎり多様な見解をとりあげるようつとめたく思う。
また、三角縁神獣鏡の論争や議論の歴史をふりかえると、見解の相違を学閥のちがいに帰する論法がしばしばみられる。とりわけ、いわゆる学術誌や学術書でない書籍に目立つ論法である。学閥がまったく存在しないとまでは思わないが、議論や論争において問うべきは論拠および論理である。他論者の見解を学閥の相違で切り捨てる態度は、なんらかの根拠をあげているようで、じつのところ議論じたいを拒絶している点で、無理解や無視よりも質が悪い。したがって、本書では学閥について明示的にはふれないことにする。(後略)”
これについては、古田武彦氏の講演で、「他論者の見解を学閥の相違で切り捨てる態度」に類する行為、または、それ以上の行為が学術雑誌に存在すると聞いているので、上記の「学術誌や学術書でない書籍に目立つ論法」という箇所には強い違和感があり、「議論じたいを拒絶している点」では「無視」の方が「質が悪い」と考えるが、編者は少なくとも学閥の存在を認め、それに従う議論や論争を非難する、好ましい編集態度と考える。
これは会報の公開です。新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから。
Created & Maintaince by" Yukio Yokota"