追憶・古田武彦先生(2)
池田大作氏の書評「批判と研究」
古田史学の会・代表 古賀達也
古田先生が亡くなられて、生前に親交をもたれていた各界の人士にご連絡をとったのですが、多くの方からご返事が届きました。創価学会インターナショナル(SGI)会長の池田大作氏からも、知人を介して次のような御伝言をいただきました。
「ご生前の御功績をしのび、仏法者として懇(ねんご)ろに追善させていただきました。くれぐれもよろしくお伝え下さい。」
古田先生と池田氏との交流は『「邪馬台国」はなかった』の発刊時にまで遡ります。同書は昭和四六年十一月に発行されています。わたしが古田先生からお聞きしたことですが、『「邪馬台国」はなかった』の書評を最初に発表されたのが池田氏で、それ以来、古田先生の著作が刊行されると贈呈し、そのたびに読書感想を交えた丁重なお礼状や池田氏の著作が届くという間柄になられたとのこと。先生のご自宅で池田氏のサイン入りの写真集なども見せていただいたことがあります。
また、そうしたご縁により、昭和薬科大学諏訪校舎で一週間にわたり先生が開催されたシンポジウム「邪馬台国」徹底論争のときには創価学会より多額の寄付をいただき、「これこそ喜捨というものですね」と古田先生は感謝されていました。その後も、創価大学で講演したり、池田氏の写真展のオープニングセレモニーにご招待され来賓挨拶をされたりすることがありました。京都で行われたときは、わたしも先生の「カバン持ち」として同行させていただきました。池田氏も講演で古田先生からの書簡を引用されることがあったとのことでした。
池田氏の書評は昭和四七年一月十五日の『週間読売』に掲載された「批判と研究」というものです。それは次のような文で始まります。
「最近評判になっている『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著、朝日新聞社)という書物を一読した。はなはだ衝撃的な題名であるが、推論の方法は堅実であり、説得的なものがある。読んでいて、あたかも本格的な推理小説のような興味を覚えた。これが好評を博す理由もよく理解できる。」
そして古田先生の邪馬壹国説を正確に要領よく紹介され、九州説の東大と近畿説の京大との学閥問題にも触れられます。さらには古田史学・フィロロギーの方法論と同一の考え方を示され、最後を次のように締めくくられています。
「『批判』はどこまでも厳密であるべきだ。なればこそ『批判』にあたっては、偏見や先入観をできるかぎり排除して、まず対象そのものを冷静、正確に凝視することが大切であろう。そもそも『批判の眼』が歪んでいれば、対象はどうしても歪んだ映像を結ばざるをえないのだろうから―。」
この池田氏の「批判と研究」は学問的にも大変優れた内容です。この書評は『きのうきょう』(聖教文庫八一、聖教新聞社、一九七六年)に収録されています。
わたしがこの書評の存在を古田先生からお聞きしたのは、「古田史学の会」創立後ですから、今から十五年ほど前のことと思います。そのとき先生はうれしそうなお顔で次のように言われました。
「池田さんとお会いしたことはないのですが、是非、会ってみたいという気持ちと、このまま書簡と書籍を交換するだけの間柄を大切にしたいという気持ちの両方があります。」
こうして、古田先生は池田氏とはお会いされることはないまま逝かれました。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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